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あの子に負けたくない。

かつての恋人が幸せそうにすると少し胸騒ぎがする。

別れたあともゆるくSNSをフォローし合っていて、なんとなくどんなふうに楽しんでいるのかがわかる。

付き合って別れてしまった人は、これまでに何人かいるんだけど、基本的に自分からは一切連絡しないようにしている。

でも、どこかに未練がある。

付き合っている間は、相手のことが嫌いだな、うざったいなと思う瞬間がある。

しかし、不思議なことに、別れた後はそいうった些細なことは忘れて、思い出が美化される。

もちろん、僕は今の生活にそこそこ満足している。

あのころに時を戻したいかって言われれば、以前の僕なら時を戻りたいと即答していた。

今の僕なら、あんまり過去に戻りたくない。

先祖がかつて暮らしていた土地で、僕も暮らすことを決めた。

漠然と大きな意義なものを感じるし、八ヶ岳の気候や風景は僕にとってよく馴染んでいる。

しかし、あの10代の頃の、学生の頃の恋愛はもうできない。

それは少し寂しい。

リードしないといけないとかそんな面倒なことを考えると、誰かに恋するよりも、ひたすらに「どこか遠くへ」いくことのほうが僕にとってエフェクティブじゃないかと思う。

24歳になって、周りに同級生たち結婚する人たちが現れてくる。

ぽつりぽつりと夜の街にあかりが増えていくように。

僕の家にはあかりがともることのないまま、時間が経過する。

僕は夜遅くまで外出中。
僕は年齢を重ねても独身のまま。

かつて愛したあの子も、誰かの妻になり、子どもをもうけて、その子に愛情を注ぐのだろうな。

僕もやろうと思えば、そういう道に今すぐに進み出すことはできる。

女友達もそれなりにいるし、たまに僕に好意を寄せてくれる女性もいた。

だけど、まだ僕は自分自身の旅を続けていたい。

富士山に、御嶽山に、八ヶ岳に登っていたい。
別府温泉に、下呂温泉に、草津温泉に浸かっていたい。

僕は結局のところ、自分自身のことが割と好きで、少し完璧主義だから、もう少しデート代が貯まったらとか、肌荒れが治ったらとか、英語がもっと話せるようになったら、女性と関係を築いていこうという言い訳をずっとずぅっとしているんだ。

かつて、ゆるやかな失恋を経験したあとに、僕自身の空白を埋めるように付き合った年下の女性がいた。

彼女は幼いように見えて、しっかりしていて、自分自身に得意なことがしっかりとあった。

僕も彼女のやっていることに憧れていて、僕自身も同じことを始めてみるが、全く追いつけない。

その子はその分野で仕事をもらったりしていた。

僕は応援していたが、妬みの感情があった。

ほんの少しの妬みの感情や、その他の理由で結局は別れてしまった。

今でもあの子は頑張っている。
もとの場所に住み続けている。
自身の得意なことをずっと継続して伸ばしている。

僕は今でも追いつけそうにない。
いくら高い山に登っても、いろんな場所に行っても、関係ない。

どこかで対等に話をしたい。

あの子に負けたくない。

連絡はしないけど、ライバル心を燃やす。

目の前のことを愚直にやろう。

結局、僕の生き方を羨む人はきっとどこかにいるのだろうけど、僕自身はまだ渇いている。

渇望している。

もっと遠くへ。