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GRAPEVINEを“科学”する-prologue-

GRAPEVINEを語るとき、田中和将(Vo・G)の書く歌詞の素晴らしさは避けて通れない。彼は、GRAPEVINEのほぼすべての曲の作詞を手掛け、その言葉のセンスと精度から、GRAPEVINEは初期より“文学ロック”と呼ばれるほどだった。

田中の歌詞の特徴は“自意識”が先行しないことだ。アーティスト気質のバンドマンには、メッセージ先行で曲を手掛ける人もいるが(もちろんそれが悪いとは言わない)、田中は違う。

「要は、書きたいことはないんですよ。書きたい感じのことはいっぱいあるけど、別にそんなものは書かなくていい」
「なんかしら聴いてる人の持つ映像を呼び覚ましたいというか。だから僕も、僕がその曲を演奏したり聴いたりアレンジしたりすることで呼び覚まされる映像を書くだけなんです」

――スペシャル・ブック『風の跡』より

まるで、誰かの人生をもとに小説を書くように、他人が撮る映画のサウンドトラックを作るように、田中の歌詞は、本人が「こうしたい」「こうありたい」という地点から乖離して紡がれる。それが彼には自然なことなのだ。それによって、圧倒的に安定したクオリティの歌詞をつねに書き上げてきた。

しかし、そのなかで何の変遷も生まなかったかと言えば、そうではない。

GRAPEVINEは、今年で結成26年目だ。その間に、バンドからは、リーダー・西原誠(B)がジストニアにより脱退し、田中は、結婚して子どもができた。特に後者は、壮絶な幼少期を送った田中にとって、自我ではコントロールできない大きな出来事だった(これについてはまたまとめようと思う)。

自意識を一切提示しなかった男から、くしくも零れ出してしまったもの。それが田中の歌詞の、そしてGRAPEVINEの変遷を作っているのだ。

そして、その先で、最新作『ALL THE LIGHT』に収録されている「すべてのありふれた光」に、田中はこう書いた。

《それは違う》

“自意識”がある言葉だ、と思った。かつての田中なら、絶対書かなかった――いや、書けなかった言葉だ。だからこそ、長年のファンとしては胸に刺さるものがあった。

ただし、これは“自意識”がある言葉でありながら、“自意識”が先行している言葉ではないのだ。これを感覚値だけでなく言語化するには、GRAPEVINEを“科学”する必要があると思った。

科学、と言えば大げさだが、要するに整理するということだ。

まずは年表。GRAPEVINEに関しては、アルバムの発売日、西原の脱退など。田中個人に関しては、プライベートなことなので発表されていないことも多いが、家庭を持った時期、子どもができた時期などを予想しながら進める。これまでの作品はだいたい、第1~3フェーズにわかれると考えている。ちなみに、『ALL THE LIGHT』からは第4フェーズに入るのではないかと、個人的には思っている。

そして、田中が書く歌詞。これは、もちろん自分で読み込むということもあるが、今回はテキストマイニングツールも使用する。これにより、田中がよく使う言葉(=単語出現頻度)や共起キーワードが明確になり、ワードクラウドなどで視覚化することもできる。こんな感じだ。

この部分が、さしずめ“科学”と言ったところか。

年表と歌詞を照らし合わせ、どのように《それは違う》と言い切れるまでに至ったかを、洗い出してみようというのがこのシリーズの試みだ。

次は、フェーズ分けについて説明できればと思う。

#GRAPEVINE