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#12. くだらない未来だってわかってるけど

7月に「男性脳・女性脳とジェンダーの関係」という記事を書いた。

SEO効果もあって(現時点で「男脳 女脳」で検索順位1位)、今私が公開している記事では、直近1ヵ月で最も読まれているものだ。

この記事は、「話を聞かない男、地図が読めない女」に代表されるような、従来の男脳・女脳の価値観に疑問を呈す内容になっている。そして、先人の研究結果などを引用させていただくかたちで、男脳・女脳は生来的なものではなく、おもに生育環境に起因する「ジェンダー化された脳」という結論を出している──少なくとも現時点では。

時々、おもにTwitterで記事タイトルをエゴサしているのだが、この記事を通じて新たな発見があったり、違和感に答えを出したりしてくれている人がいてすごく嬉しい。単純に興味を持ってくれているだけでも嬉しい。それはポジティブなことだと思っているから。

でも、昨日ふと思い立って、被リンク(外部サイトから自サイトへ向けられたリンク)チェックをしてみたところ、まともに傷付いてしまった。

私の記事が貼られているサイトは、そのすべてが、従来の男脳・女脳を肯定するためのものだった。その材料として、まったく逆の結論をもつ私の記事が、一部だけ抜粋されて使われていた。

こんなことにいちいち傷付いていたらインターネットなんてやっていられないし、これもSEOの弊害。いろんな人に読んでもらえた喜びの裏で、こういうことも当たり前に起きうる。言論の自由だってあるし。

そう納得しようとしたけれど、やっぱり、本質的にはそうじゃないと思って、今このnoteに吐き出している。

私があれを書いたのは、記事の最後にも書いたとおり、その未来が見たい、その未来を手繰り寄せないといけないと思ったからだ。どんなに微力でも、自分にできることで。

男脳、女脳の考え方だけじゃなくて、誰かの自尊心を平気で傷つける理不尽なものには、ちゃんとNOを提示したい。私が享受できるものは結果として何もなくても、私の大切な姪や甥が大人になったとき、そしてそのまた次の世代の子どもたちが、そんな意味のないことで傷つかなくていいように。全部今に残して、忘れてもいい。豊かな気持ちで生きていく、その一助になるならば。

なのに、結論がまったく真逆の、しかもそれを否定するために書いた記事をそんなふうに使うなんて、と思う。そんなの悪魔の編集じゃないか。そのずるさや無神経さに辟易するし、私が書いたものはもしかしたら、傷つかなくていい誰かを傷つけてしまうかもしれないと思うと、本当に、いてもたってもいられなくなる。

こういう未来の話をするとき、その未来は結局私が見たい未来の話だと、それだって同じようにくだらない思想だということは、痛いほどにわかっている。

でも、とるに足らない小さな変化しかもたらせなかったとしても、誰かの豊かさのために何かを作りたい。私が何かを書き続ける限り、その気持ちだけは忘れないで生きていきたい。

そんな愚痴と決意のお話。