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13 透明にしちゃいけない

先日、北海道の道徳授業セミナーでこんなことな話題になりました。

たとえば九九の7の段が言えないような「そんなことで困っているの?」という子を透明にしちゃいけない。そういう子がいるってことを、クラスの子たちにちゃんも知ってもらう必要がある。じゃないとやさしい社会はつくれないもの。

僕はこの意見にものすごく共感した。首がもげるくらい頷いた。w
特に北海道のような小さな町で、地元に残る子が多い学校は、そのことをちゃんと意識する必要があると思う。
石川晋さんがよく言うが、10年後、20年後の地域が潰れてしまったら「あいつ(学校の先生)のせいだ」と言われても仕方がない場所で僕らは働いている。その責任を追求されても仕方がない場所で働いていることを、ちゃんと自覚しなきゃいけない。僕はそう考えます。

将来部活動がなくなる学校で、講義型の授業をばかりして子どもたちを分断し続け、やってもやらなくても変化のない行事や総合的な学習の時間をしていたら、まちがいなく町は崩壊する。透明な子をつくったことで、その子のことを考えない政策を打ち出し、独りよがりな政策を進める大人をつくってはいけない。僕らは地域の子どもたちが一斉に集まる「最後の塞」で働いているのだ。

明日から生徒たちが登校してくる。明日の授業を考えながら、僕は怒りに満ち溢れているのでした。