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ご下賜金

写真は北白川宮妃房子内親王殿下。明治天皇の第七皇女です。(「戦前シンガポールの日本人社会」より拝借)大正11年10月19日に箱根丸でシンガポールへご寄港された時のもので、前日18日は接岸後、ジョホールまでお越しになりました。

ペナンとシンガポールの日本人会へは各百円、マラッカの日本人会とペナン極楽寺に各五十円、そしてジョホール日本人会へは三十円ご下賜されたそうです。

パリへはご遊学中の背の君のお出迎えで行かれたのですが、半年後にご夫妻と朝香宮鳩彦王殿下は自動車事故に遭い、運転されていた北白川宮成久王殿下はご薨去。

朝香宮妃允子内親王殿下は明治天皇の第八皇女、北白川宮妃房子内親王殿下の妹君であらっしゃり、朝香宮殿下の事故の報を受けて筥崎丸で急遽パリへ向かわれました。途中シンガポールにて北白川宮殿下の霊柩と最期のお別れをされたそうです。

残された房子妃内親王殿下は、病院で治療を受けられてからお一人で翌13年に白山丸でご帰国されました。帰路もシンガポール経由ですが、下船はされませんでした。

失礼とは存じますが(笑)。ジョホールへのご下賜金が三十円だったのはなぜでしょうか。それに。シンガポールの次の寄港地って、ペナンのはずですがマラッカにもお寄りあそばされたのかしら?

と、思って調べてみたところ。箱根丸はマラッカへ寄港していたのでした。妃殿下はご上陸されなかったようですが、日本人会の役員たちが船上までご挨拶に出向いたそうです。

で、なんでこんな記録が残っているかと言うと。箱根丸の給仕さんがカニの中毒で亡くなっているそうなんですね。墓標が妃殿下のご寄港を永遠に思ひだされる(南洋の五十年)んだそうです。

ちなみに。マラッカ日本人墓地の埋葬者名簿を調べてみたところ、給仕さんのものと思われる記録はありません。そして3年後に秩父宮殿下がご寄港されたのを最後に、郵船のマラッカへの寄港はなくなったそうです。


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