賭博の街
大正時代の仁丹のセールスマンによる「馬来半島縦断記」という本があります。仁丹と言えば、早くから東南アジアに進出していて、大正時代のバタビア風駅の絵はがきにも、あの大礼服の看板が写っているのを見たことがあります。で、この本の中に、ほんの少しだけジョホールバルについての記述があるのですが。
ジョホールバルーは四五年前迄は有名な賭博公許の街で、土曜日から日曜日にかけては、随分日本人も出かけて行ったものだそうな。
確かに。JBのモンテカルロって古い絵はがきを見たことがある。建物の前には辮髪の人力車夫が屯っていて、いかにもってな写真でした。
しかし。賭博の町とはなんと不名誉な。いいのか?ジョホール王国?
ジョホール音頭(著作権:ジョホール日本人会)の歌詞では、食の都だの水の都だの、ジョホールバルはたいそう美しく例えられているんですけどね。本当に賭博しか取り柄のない街だったんだろうか(涙)。
それでも。負けた場合にも丸裸で放り出すことはせず、シンガポールまでの交通費だけは残してくれたそうです。
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