"普通"ということ

2021.11.03 & 11.07
実習中というレポートが溜まりに溜まっている時期であることを分かっていながら、FC枠で全滅したチケットを一般販売でもぎ取ってまである舞台を観劇した。

 "LUNGS"

 
大千秋楽を迎えた日に、感情が溢れて止まらなくなって書きました。
あまりにも個人的かつ暗い話になったので、暗い話とか苦手な人はバックしてね。
私は考察とかあんまり得意じゃないし、何より舞台を見てから時間が経ちすぎているから、内容の考察とかは(多分)しません。わかんない。もしかしたら書いてる途中に書きたくなるかもしれない。
だけど、溢れて止まらなくなった感情の部分を書いていければと思う。
 
いきなり私事で申し訳ないけど、私はとある病気で手術をした。それも3日前。
で、その病気が発覚したのは、観劇する2週間前。どんな病気かと言うと、詳細な病名は避けるけど、婦人科にかかるような病気。
そう、言えば今回の舞台のテーマがいきなり私にとってはタイムリーだった。だって、見つかった病気の状態によっては将来子どもを産めない可能性だってある病気だった。
私は、小さい頃から、普通に結婚して普通に子どもを産んで、というWも言っていたような、"普通"を望んでいる。それはあの舞台を見た今でも意見が変わることはないんだけど。その"普通"が物理的に叶わなくなってしまう可能性があったのだ。
結婚もしていない、なんならまだ親の扶養からも抜けていないただの大学生が、珍しくまだ見ぬ将来の子どもについて考えたその時に、私がそんな病気で不安を抱えていて手術もしてという時に、自担はあの舞台を創っている。思うところがない訳がない。
 
だから、私が珍しく考えた将来のこと、子どものこと、そんなことを考えながらこのブログを書こうと思う。
病気がわかった時、それはもう色々考えた。なんという時期に見つかったんだろう(実習中)とか、20代でもこんな病気有り得るんだとか、まず大学を卒業できるのかとか、手術が怖いとか、子どもが産まれなくなる可能性もあったのかとか。それはもう色々。もしかしたら、大学受験の時、就活の時以上に将来のことについて色々考えたかもしれない。
そんな中でのLUNGS。その中で大きなトピックのひとつだったのは、"子どもを産むということ""それに関する女性の身体への変化"だ。
私の病気だって女性の身体じゃなかったらない病気だし、子どもを産むために存在している臓器の病気だし。「そうか、妊婦さんってこういうものを抱えてるのかもしれない」って思った。この病気の影響で身体への変調がいくつも見られた。それと同じで(子どもを病気と一緒にするのは申し訳ないけど今はこう表現させてほしい)、妊娠ってこういうことなのかもしれないと思った。身体の中に私の知らないものがあって、それはずっと身体にあって。その影響で身体の中でマイナスの影響(つわりとか)が起きたりして。
私は妊娠じゃないけど、そういうことが起きてからLUNGSのことを考えてみるとWの言いたいことが少しだけだけどわかった気がした。
だってそれって怖い。私の知らないものが身体の中にあるという未知の恐怖もあるし。手術(つまり妊娠の場合は出産のこと)知らないことをされる(する)という恐怖もあった。手術後の痛みも怖かった。

LUNGSでは、Wの体に変化が起きて、Wが身も心も親になった時、「なんの実感もない。台風の目のような」(とてつもない要約)と言った。無責任にも聞こえるし、女性の立場からしたらは?ってなるセリフだったし、その時は確かに、「なんて他人事な!」ってイラついたりもしたんだけど。
しばらくしてハッとした。
だって私、こんな病気になるまでこんなに考えたこと無かった。実際にこうなってみたら不安で不安で仕方なかったし、実際手術を受けたら、それはそれはしんどくてしんどくて、事前に考えていた何倍も辛くて、何度もナースコールを押してしまった。だからそこで私は結局、人間は実際に起きてみないと分からないのかなと思ったのだ。いや、気付いたと言った方がいいかもしれない。
だって、当事者になるであろう女性である私でもこうなるまでこんな恐怖とか考えたこと無くて、どこか"他人事"だった。Mが分からないのも無理はない気がした。だからって浮気は許されないけど。
だからこそ、あの舞台で描かれていたWとMのズレが生じているのかもしれない。
初めての経験で色々と不安で仕方のないWと、経験したこともないしこの先することもないから想像ができないM。
実際に身体に子どもを身篭っているWとその身ごもったという事実しか知らないM。
そりゃああんなすれ違いが起きるよな、と思う。流産して落ち込むWは塞ぎ込んでMはWの気持ちが分からなくなっていくシーン(かと言って浮気は許されない※2回目)だとか、Mは子どもを作ろうと積極的だけど、Wは子どもを身篭るということにちょっと尻込みしてしまうシーンだとか、いわゆる不倫で子どもが出来てしまうシーンでのWとMの態度の違いだとか。沢山あるすれ違いのシーンは、ほとんどが"実際に自分の身に起きてないから想像出来ない"ということによるすれ違いだ。
実際に起きてみないと分からないことがたくさんあるからこそ、それをわかった上で言葉を交わす、相手と対する、ということが必要なのかもしれない。
言葉足らずなことですれ違ったMとWが、話し合うことでもう一度やり直したみたいに。
 
突然話は変わるけど、もうひとつだけLUNGSのお陰で考えられたことがあるからこれだけ書かせて欲しい。それは、世の中の"普通"について。
病院で、手術前診断を受けた時、主治医の先生に「まだ若いし将来子どもを産むだろうから」って言われた。女性だから、若いから。子どもを産むから。そんな言い方をされた。
でもそれって女性である私でもそれが当たり前だと思って「確かに」って普通に流したし、嫌な思いをするまでもなく当たり前に受け入れた。それはきっと男性も同じ。
世の中、ジェンダーだなんだ言われているけど、そういう性に纏わる事実は、女性自身でも疑問を持つことなく当たり前に受け入れている人が多い。
結婚したら名字が変わると当たり前に思ってるし。男は仕事で女は家事なんて古い考え方はしてないつもりだけど、"イクメン"だなんて言葉がある世の中だもん。イクメンなんて言葉、女性が子育てするのが当たり前だと思ってないと生まれない言葉じゃない???  でも、女性である私でも、それはヤケになってとかではなく、ごくごく自然に当たり前だと考えてる部分がどこかにある。
だけど、舞台を見て思ったのは、結婚して子どもを持って。という多くの女性がきっと1度は考えるその"普通"というものは、決して当たり前ではなくて。
あの舞台は、世の中の大部分が"普通"とするもの自体に疑問を持って、それを投げかけていてくれた気がする。

私は、こういう病気をしてLUNGSという舞台に出会ってようやくこういう考えを持って、そういう当たり前に疑問を持つことができた、"普通"の人間だけど。こうやって新たな考えをさせてくれる舞台に出会えたこと、とても幸運だと思う。
 
LUNGSという舞台。
間違いなく、私の中では強く印象に残る舞台だった。多分一生忘れない。
大千穐楽の日が入院のベットの上で。
術後の痛みで戦ってる時も、2人が頑張ってるからという意味でエールを貰えたりして。
内容も少しだけ私の中でタイムリーな話で。
舞台の上で演じられていた2人も、とてもとてもすごい演技をしていて。
言い表せないぐらい、色んなことを考えさせられた。
東京公演が見れなかった事だけは心残りだけど、せめてダイジェスト映像は上がると信じて。
全33公演。
神山さん。奥村さん。お疲れ様でした。
こんな舞台を見れて私は幸せでした。
お二人の今後が素晴らしいものでありますように、心から願いを込めて。
 
2021.12.24 えーる

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