見出し画像

「手話って何?」と聞かれる皆さんへ

 お疲れ様です。よこたです。
 写真はアメリカのテキサス州フォートワース、ストックヤードという地域?地区?です。高校1年の時に行きました。詳細はいつかご紹介できたらと思います。今まで写真を使う場面がなかったので、本文とは全く関係ありませんが、入れてみました。実はプロフィールアイコンもアメリカの写真です。今後ちょいちょいアメリカの写真を挟んで、供養していこうと思います。

 今年ももうすぐ終わるということで、年末年始の予定もたて始める今日この頃。さすがに今回は帰省しようかなということで、いろいろ考えることがあります。個人的な懸念点は、親戚としゃべらなきゃいけないこと。コロナ禍なので、挨拶回りがあるかどうかわかりませんが、もしあれば彼らとのおしゃべりを避けては通れません。大学生には大学の話を聞くのが鉄板なので、僕もその鉄板の上で踊らされるわけです。めんどい。。。

 高校以前の友達と久しぶりに会う時も似たようなことで困ります。お互いの大学のことは気になるもので、必ずと言っていいほど大学の話をします。何に困るかというと、切れる手札が少ないこと。僕は大学で熱心に勉強に取り組んでいる方ではないので、環境トップメタである「勉強」を使えないわけです。必須級カードを持たない僕は「サークル」を軸に会話を構築しますが、僕が持ってるのは、マイナーな「手話サークル」。しょうがないので手話サークルの話をしますが、大抵の人は「手話⁉(高音)」という反応をします。僕が成長の中で通ってきた道では手話の存在はあまり大きなものではありません。もちろん友達も同じ。そもそも手話って何ぞやというところから話が始まります。これが意外に難しい。長々説明することはできますが、だれにでも分かりやすく簡単に説明するには、ある程度の知識が必要です。その手助けとなっているのが、昨年受講した言語学の講義の最終課題で書いたレポートです。

 手話サークルに入った大学生の多くが手話の説明に苦労するだろうと思い、年末年始のおしゃべり問題にも役立つし一応載せておこうかなということで、過去のレポートを引っ張り出してきました。下に原文ママで載せますので参考まで。
(原文ママってなぜカタカナなのでしょうね。「まま」でいいと思うんですが。原文ママだと、どんな母親なんだろうと想像してしまいます。Googleの検索窓に入れると、サジェストに「原文ママ パパ」とありました。みんな考えることは同じですね笑)


言語としての手話

1. はじめに
 斉藤 (2007) によれば,手話は少数言語であるため,手話を知らない多くの人々は手話を言語であると認識していない.「手話とジェスチャーはともに空間についての表現主体のイメージが身体の外に表される表現手法である」と坊農 (2008: 1) は述べる.手話とジェスチャーは似ている部分があるため,手話に触れる機会がない人々には混同されやすい.そこで本レポートでは,まず言語とは何かについて確認した上で,手話が独自の体系を持つ言語の一つであることを述べる.その後,手話とジェスチャーの区別が困難である理由を考察する.

2. 言語
 本節では言語とは何かについて述べる.
 広辞苑第六版によると,言語とは「人間が音声または文字を用いて事態を伝達するために用いる記号体系」または「ある特定の集団が用いる,音声または文字による事態の伝達手段」である.「音声または文字を用いて」とあるが、手話はそのどちらも用いない.それでは手話は言語ではないのか.広辞苑第六版の説明は十分ではなく,手話は言語であるということを第3節、第4節で説明する。

3. 脳科学的研究
 本節の内容は斎藤 (2007) に基づく.
 脳の右半球は空間の認知や操作,ジェスチャーの利用を担い,左半球は音声言語の理解や生成を行うということは既に明らかになっている。このことから体の前で位置関係を用いて手を動かす手話は,脳の右半球が使われると考えられるが,実際はそうではない.ネイティブ・サイナー(手話を母語とするろう者)が手話で話すときには、脳の左半球の言語野と呼ばれる部分を用いているのだ.斉藤 (2007) が述べるように,このことは,H・ポイズナーとE・S・クリマとU・ベルージによる,脳に損傷を負い失語症や失行症になったろう者を対象とした実験から分かった.以下,その実験について説明する.
 実験は手話を母語とするろう者で,脳の右半球損傷者と左半球損傷者3名ずつを対象とした.一部の患者の症状を紹介する.
 一人目の被験者ゲイル・Dは脳卒中により左半球(言語を用いる)を損傷した.彼女は手話をある程度理解することができたが,自身が手話を使うことはできなかった.文法は用いず,手話単語も思い出せないことが多かった.文を構成するための屈折(同じ手の形であっても方向や動かし方によって「行く」と「来る」という意味を表すこと)も表すことができなかった.
 二人目の被験者カレン・Lは左半球を損傷し,失語症になった.彼女は発症当初は手話をほとんどできなかったが,かなり話せるまで回復した.しかし,手話単語の構成要素である手型・運動・位置のどれかを間違えることが多かった.斉藤 (2007: 7) が述べるように,この症状は「手話単語がいくつかの要素に分解されて習得され,その要素の組み合わせによって手話者は単語を形成しているということの現れ」である。
 三人目のポール・Dは脳卒中により左半球に損傷を負った.彼は手話だけでなく書記英語も用いた.脳に損傷を負った後,書く時でも手話を用いる際でも,同じような間違いをしたのだ.
 上に述べた三人はいずれも脳の左半球を損傷した被験者であった.言語を用いる際に使う左半球に損傷を負った患者が手話を使う際に支障が出るということが分かった.一方で空間の認知やジェスチャーで使う脳の右半球を損傷した患者ではどのような症状が出るのか.
 右半球に損傷を負うと視野の半分を無視してしまうという症状が出ることがしばしばあるが、手話能力に支障はない.右半球に損傷を負ったあるネイティブ・サイナーの手話は,図形の認知が必要な表現では間違えることがあるものの,手話の文法的に空間を使う際に方向を間違えることはなかった.被験者の中には,普段左手が麻痺し動かしづらいにもかかわらず,手話を使うときだけは両手が自由に使える人がいたという.
 本節では脳の右半球と左半球のそれぞれが担う役割を確認したうえで,そのどちらかが損傷した場合のネイティブ・サイナーが用いる手話への影響について説明した.脳科学的観点から,人間の脳は手話を言語の一種として処理していることが示された.

4. 手話の言語的特性
 第2節では人間の脳の働きから手話が言語の一つであることを説明した.本節では,手話自体が持つ言語としての特性について述べる.
 手話は手指の動きや形によって特定の概念を表し,その概念をある一定の規則に基づいて並べ替えることで文を作る言語である.それぞれの概念を表す語の他に,アルファベットや五十音などの一つ一つを指で表す指文字を用いることもある.しかし,それら手指による記号だけが手話ではないことを以下で説明する.
 手話の文法で重要なものとして空間の使い方が挙げられる.具体的には方向や指差しである.
 例えば,第2節で取り上げた「屈折」と呼ばれる表現では方向が用いられている.同じ指の形であっても自分から遠ざける動きをすれば「行く」を表し、自分に近づける動きをすれば「来る」を表す。このような空間の使い方は語に限った話ではない。斉藤 (2007) が挙げた例を用いて説明する.「猫が犬を噛んだ」という文と,「犬が猫を噛んだ」という文は,どちらも「犬」「猫」「噛む」の三つの語を同じ語順で表す.二つの文はどちらも「犬」と「猫」の二つの語を空間に固定して表すが、その違いは,「噛む」という語を動かす方向にある.
 空間の利用について,坊農 (2008) はろう者が複数の登場人物がいる話を手話で説明する実験を行い,それに関して興味深い記述をしている.

表現者は提示物としての「母」と「弟」を手話(表現)空間に再現すると同時に,話し手が聞き手に向き合っているという会話空間において,表現者の身体もまた手話(会話)空間に組み込まれたものなのである
坊農 (2008: 6)

これは手話者が聞き手と会話している空間と中の空間という二つの空間を使い分けて話を進めていることを示している.
 手話において指差しは特別な意味を持つことがしばしばある.一人称や二人称,「あれ」や「その」など目に見えるものを表す際に指差しを用いることは他の言語でもあることであるが,手話ではそのほかに代名詞や助詞として使うなど指差しは様々な意味を持つ.坊農 (2008) は家族について語る日本人ろう者の分析の中で,空間に登場人物を配置する点に注目している.ろう者は話の中で,「母」を右側に,「弟」を左側に配置し,話を進める.「母」や「弟」を二回目以降に登場させるときは「母」「弟」という語を用いず,それぞれの方向を指さすのだ.斉藤 (2007) も指差しの違いだけで,「ファックスが壊れた」と「(彼/彼女が)ファックスを壊した」を表す例を示している.以上のように空間の使い方は手話において非常に重要な役割を担っている.
 空間の使い方だけではなく,自身の顔の使い方も手話では重要である.斉藤(2007: 16) によれば「ネイティブ・サイナーは手話を読み取るとき,手話者の口のあたりに視覚の中心を置いており,手指記号は周辺視野で読み取っている」。非手指記号には,眉を上下させたり目を細めたりといった顔の表情の変化と,うなずきや首振りのような顔の動きがある.顔の動きは単に感情を示すだけでない.例えば「薄い」という語を表す際には,目を細め,口をすぼませる.逆に「厚い」を表すときは,目を見開き,頬を膨らませる.このように手指記号とそれに伴う非手指記号の二つを利用するのが手話の特徴の一つである.口形を利用することもある.日本手話において,口形とは単に日本語を発音するときの口の形ではない.「終わる」という語を表す時は「ぱ」の口形というように独自のルールに沿って用いる.手話の口形と,それに意味的に対応する日本語の音形を発音する際の口の動きとは無関係である.
 本節では手話の言語的な特性について述べた.空間の使い方や指差し,顔の使い方といった,他の音声言語には見られない手話独自のルールがあることが分かった.

5. 手話とジェスチャー
 第3節,第4節では手話がジェスチャーとは異なり,言語の一つであるということを説明した.手話を研究すると,手話が言語であることは明白である.しかし,手話を知らない人からするとジェスチャーとの違いが分かりづらい。本節では手話とジェスチャーが混同されやすい理由について述べる。
 手話とジェスチャーの区別が難しい原因として,手話の分かりやすさが挙げられる.日本手話において,小指を立てれば「女」,バットを振る動作をすれば「野球」,コップを口元で傾ける動作であれば「飲む」を表す.日本人であれば手話を知らなくとも意味が容易に想像できるだろう.神田 (2010) は,「手話の記号は恣意性があるが,記号により透明的な記号と有契的な記号がある」と述べている.このように手話の中には透明性を持つ語が少なくない.身振りやジェスチャーと似ている語が存在するのだ.それが手話とジェスチャーの区別を難しくする理由の一つであると考えられる.
 手話にはCLというものが存在する.これも手話の透明性と同様に手話とジェスチャーの区別を難しくしている.CLは Classifier の略称であり、中野(他) (2018) によると「ものの動きや位置,形や大きさなどを手の動きや位置,形に置き換えるもの」であり,「ジェスチャー的・図像的な性質と,文法に関わる性質の両方を併せ持つ」ものである.通常「本を読む」と表す際,合わせた手のひらを本が開くようにして広げる「本」という語とその上を目線が動く様子を表す「読む」という語を並べるが,CL構文の場合,本の厚さや大きさという情報を付け足し,小説を読むのであれば小さく軽い本を持ち,百科事典を読むのであれば大きく重い本を持つというように,まるで実際にその本を持っているかのように振舞う.このように理解・表出に想像力を用いるCL構文は手話が分からない人でも理解できることがあり,その結果として手話をジェスチャーや身振りと同じであると考えてしまうと考えられる.
 本節では手話が持つ透明性やCL構文が,手話とジェスチャーとの類似性を感じさせ,手話とジェスチャーを混同させてしまうということを述べた.

6. まとめ
 本レポートでは手話がジェスチャーとは異なり,独自の体系を持つ言語の一種であることと,手話とジェスチャーに類似点があることを述べた.第2節では言語とは何かについて触れた.第3節では手話が言語の一種であるとは人間の脳の働きを脳科学的に説明された.第4節では言語学的観点から,手話には文法が存在することや,非言語的なルールがあることが分かった.第5節では手話とジェスチャーの類似点に触れ,その類似点により手話が言語であるということの理解が困難になっているということを述べた.

参考文献
神田 和幸 (2010) 『手話の言語的特性に関する研究-手話電子化辞書のアーキテクチャ』 福村出版
斉藤 くるみ (2007) 『少数言語としての手話』 東京大学出版会
中野 聡子・後藤 睦・原 大介・細井 裕子(他) (2018) 「学術手話通訳にお  ける日本手話要素の表出に関する分析:ろう通訳者と聴通訳者の比較から」 『大阪大学高等教育研究』 6巻, pp 1-13
坊農 真弓 (2008) 「日本手話談話における空間と視点-手話研究とジェスチャー研究の接点」 『手話学研究』 17巻, pp1-10

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?