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冗談じゃないです。

 お疲れ様です。よこたです。
 今回の写真はアメリカのお菓子屋さんです。甘ったるそうなお菓子が樽いっぱいに入って並べられています。量り売り形式だったと思います。外国のお菓子ってなんであんなに美味しくなさそうなんですかね?

 先日、記念すべき第一本目を投稿しました。読んでいただけたでしょうか?顔見知りしか読まない前提で書いたので、全く知らない人からもいいねされていて正直なところビビりました。赤の他人が読むと思うと、ある程度は内容を考えなきゃなと、多少筆が重くなります。(重くなるのはキーボード?

 皆さんは2021年12月19日に行われたM-1グランプリの決勝戦をご覧になりましたか?決勝戦出場の経験がある組はより洗練され、初登場の組は初登場ながらも経験者に食らいついていて、どの組も非常に面白かったです。あ、ランジャタイは除きます。ランジャタイ以外は面白かったです、はい。見ていて感じたのは、やはりプロは違うなということ。YouTubeで3回戦、準々決勝、準決勝の様子を見ることができますが、決勝に進む組は、進めなかった組とは一線を画すというか、ちゃんと面白いですね。あ、ランジャタイはもちろん除きます、、、(笑)。
 もちろん審査員の方々もプロですから、彼らのコメントも勉強になります。「いや、なんの(白目)」と思うかもしれませんが、これが本当に勉強になる。各組を見終わって感じる「なんか違う」「物足りない」に的確にコメントをあてるので、さすが笑いを仕事にしている人たちは違うなと思いました。

 で、今回何を書きたいかというと、冗談を成立させるのは難しいよねって話です。そしてそこからケアの話まで持っていきたいと思います。

 僕たちは基本的に話し相手の顔が見える状況でおしゃべりをし、冗談を言います。お笑い芸人の方々は不特定多数の人間を対象に、相手の顔が見えない状況で、ネタ(冗談)を言うので、僕たち一般人とは違うわけです。もちろん、不特定多数を笑わせることは非常に難しく、誰にでもできることではありません。だからといって、顔が見えるコミュニケーションで冗談を言うのが簡単というわけでもありません。冗談を言うには、知識・経験・技術が必要です。適切な言葉を、適切なタイミングで、適切な声で、面白く発するという流れは一朝一夕には身に付きません。これは、冗談を聞く側も同様です。ただ、話し手と聞き手がそれぞれ個人で努力するだけでは、冗談を「成立させる」ことはできないと僕は思いました。
 では、何が必要か?それは相手のことを理解し、思いやることです。相手がどのような冗談なら理解できるのか、相手が発した言葉が冗談であり笑うべきなのかそれとも冗談ではなく笑ってはいけないのか、そもそも冗談が通じる相手なのか…。話し手側も聞き手側も、お互いがお互いの反応や雰囲気から推測するわけです。そこにお笑い芸人の方々が求めるような普遍的な笑いはありません。相手が誰であるかによって、適切な冗談が変わるのです。これが冗談の難しいところであり、面白いところでもあります。上手い冗談を言う人は余裕があるように見えますし、知的な感じもしませんか?そして何より、冗談は場の雰囲気を和ませ、コミュニケーションを円滑にします。僕は緊張する場では特に意識して冗談を言うようにしていますが、これは結構いい感じです。
 というように、冗談を成立させるには相手への思いやりが必要だと僕は考えます。思いやりが重要な点と正解がないという点で、何か聞いたことある並びだなと思い、考えていたらある本の中の文章を思い出しました。あの人は視覚障害者だからこういう配慮をしましょう、この人は発達障害だからこういうケアをしましょう、というように個人が一般化された障害者のカテゴリーに組み込まれ、ラベリングされてしまうことで一人の個人が持つ多様性が見えなくなるという感じの内容でした。これは適切なケアはその人を知ることで見つけられると読み換えられると思ったのです。このケアの考え方と上で書いた冗談についての考え方は通ずるものがあると考えて、今回の記事を書きました。冗談とケアという全く異なるものの中に共通点を見つけられたよっていうお話でした(笑)。

次回は英語論文読解の予定です。その次は伊藤亜紗『手の倫理』を読みたいと思います。


この記事は2021年中に書き上げようと思っていましたが、無理でした。
これが2022年初投稿となります。
今年もよろしくお願いします。

よこた


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