飴梨果の入学史記

 梨果さんは長生きだ。人ならざる者の血を引く、と自称している。何百年も生きているから、数えきれないくらいたくさんの学校に入学したらしい。
 ぼくと同じ小学校に通っていたこともあった。
 もりずみ小学校は少子化の影響で、その年入学する子どもはぼくだけのはずだった。なのに、入学式の当日、梨果さんは当然のようにぼくの横のパイプ椅子に座っていた。しかも、どういうわけだか、校長先生や山科先生やぼくのお父さんやお母さんの前で、新入生代表のあいさつをした。
「桜咲き、春の息吹を感じる今日、わたしたちは、もりずみ小学校に入学いたします」から始まって、「新入生代表 飴 梨果」で終わるスピーチだったことは覚えている。
 なんでだよ。誰だよ。あめりかって。
 代表のあいさつはぼくがするはずだった。当たり前だ、ぼくしかいないんだから。
入学式が終わって、教室に行き、山科先生に明日から始まる授業の説明を受けている間も、ぼくはずっと梨果さんの様子を伺っていた。
 真っ黒な髪に、大きな目、とがった鼻、青白い肌。ぼく以上に痩せている薄い体に、ピタリとした灰色のワンピースを着ていた。
「今日はおしまい。二人とも、帰っていいよ」
 山科先生は梨果さんがいることに何の疑問もないようだった。新しく引っ越してきて急遽入学することになったとか、そういう説明もない。
「なんなんだよ、お前!」
 帰り道、ぼくは無礼にも梨果さんを怒鳴りつけた。
「私は、飴梨果だけど……」
「それは知ってるよ! 変な名前! それより、お前どっから来たんだよ? いつからこの町にいる?」
「失礼な子。飴梨果のどこが変だというの……苗字が珍しい?」
「ごめん、名前を悪く言ったのはぼくが悪かった。でも、おかしいだろ、昨日までこの町にいなかった子が、新入生代表なんて」
「ふーん、小学生にしては言語力が高いのねぇ。でも不思議、どうして効いてないんでしょう。他の人はみーんな、私のこと昔馴染みだと思ってくれたのに。あなた、何かすごく強いお守りとか持ってる?」
「知らないよ! 変なやつ! 変なやつ!」
 ちょっと怖くなってきて、ぼくは梨果さんから逃げた。この後のことについては詳しく語りたくはないのだが、この2時間後、ぼくは熊に襲われて死にかけていた。
 痛みとか苦しみとかの記憶はない。なんで熊に襲われたのかも忘れてしまった。たぶん梨果さんが記憶を少し消してくれたんだと思う。
 山で死にかけのぼくを見つけた梨果さんは、「死にたくない、助けて」というぼくの言葉を真に受けて、何語か分からない呪文をぶつぶつ唱え、永遠の命を与えてくれちゃったのである。
 梨果さんと、梨果さんの手下?になったぼくは、世界のあちこちで入学と退学を繰り返した。梨果さんとぼくの見た目は何十年経っても老けないから、同じ学校に通い続けることはできないのだ。
「どうして梨果さんは学校に通うんですか? 勉強する必要ないよね?」
 ワルシャワの学校に通っていた頃、ぼくは梨果さんに尋ねた。
 梨果さんはラトビアの学校案内を読みながら、ロシア語で何か言った。
「いや、分かんないです。日本語でお願いします」
「ごめん、頭がロシア語になってた。学生という身分は色々と都合がいいの。何かのコミュニティに所属していないと怪しまれるけど、会社員だと働かなくちゃいけないでしょ?」
「梨果さんは、学校を卒業したことはあるんですか?」
 ぼくを驚いたような目で見て、梨果さんは目線を遠くの建物へ移した。ワルシャワの美しい建物が梨果さんの瞳の中で揺れる。
「…………それが私の目標なのかもね」
 世界中の学校に通いながら、梨果さんが何を集めているのか、ぼくはまだ知らない。何かを集めることで、梨果さんは「ふつうに死ねる」人間に戻れるらしい。

 3回目の世界大戦が終わって、アメリカ合衆国がちょっとその名前を変えた頃、梨果さんはついに「コンプリート」した。
「やっと見つけたの、最後の……」
 何を集めたのか、結局梨果さんは教えてくれなかった。
 梨果さんは涙を流しながら言った。
「長い間、一緒に旅してくれて、ありがとう。私やっと、次へ進める。やっと死ぬことができる。あんたと会うまでは、ずいぶんと長い間孤独だった。この数十年は、一人じゃなかったから、楽しかった! でも、あんたを私と同じにしちゃったことは、申し訳ないと思ってる。どれだけ時間がかかるか分からないけど、諦めずに探して。集めたら、ちゃんと死ねるから」
「ぼくは何を集めれば?」
 梨果さんは首を横に振った。
「それは言えない。自分で見つけなくちゃいけないの」
「今から死ぬんですか、梨果さん」
「そうだよ、そうだよ。ありがとう…………」
 梨果さんは本当に死んだ。ぼくの腕の中で、安らかな顔でお亡くなりになった。
 それから20年くらいだったか、ぼくは一人で梨果さんの足跡を辿った。梨果さんが数百年手帳に書き残してきた「入学史記」を頼りに、まだ残っている国があれば足を運び、学校があれば入学した。
 今、ぼくの隣にはボサボサした栗毛の女の子がいる。アメリカの、昔サンフランシスコと呼ばれていたあたりで拾った。
 地雷を踏んで死にかけているところを、助けた、と言っていいのだろうか。梨果さんに習った呪文を唱えたら、体の損傷は治ったけれど、梨果さんやぼくと同じ「人ならざる」何かになってしまった。
 梨果さんを「人ならざる」何かにした人は、どんな人だったんだろう。ぼくもいつか、ちゃんと死ねるのかなぁ。ぼくがいなくなる時に備えて、この子を一人でも旅ができるように育てよう。梨果さんが、そうしてくれたみたいに。
 そんなことを思いながら、今日も、新しい学校の門をくぐる。
                                〈おしまい〉
#古賀コン #アメリカの入学式   #古賀コン2

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