第16章 【モスバーガーとオランダ修行】とよ先生の半生記
プロで試合をさせてはもらったものの大してパッとしない生活をしていました。
その日、モスバーガーを店内で食べていました。
「モス地球遊学生制度」(2003年、同時多発テロなど世界情勢悪化の為に終了のポスターが目に入りました。
「あー、まだやってんだ。この企画」渡米する前、高校生時代にも見たことがある長年続く企画でした。海外国内を問わず、夢を追う人にモスバーガーが奨学金を支援するというものでした。
「へー」
「ん?」
「お!」
なんかピンと来ました。
「俺、これいける。」
「刺激が欲しい!!!いってみよ!」
いつもこんな感じです。
勘違い。
結局、人生って勘違いし続ければ、そういう事になるのかなー、とか思います。この時も絶対受かる!と何の疑いも無くそう思って、応募しました。
「キックボクシング大国オランダに行って修行したい」
と応募して、2001年の総応募数4,736人の名から、
5名の1人に選抜してもらいました。
どうやって選ばれたのか、簡単にご説明します。まず、書類審査。
トレーニングといえばアメリカ。
友人とも会いたいからアメリカ!って気持ちをグッと抑えました。
だってアメリカ行きたいなんて応募きっとたくさんあるだろうから、
絶対に埋もれてしまって目を引かない。
キックボクシングのトップ選手がたくさんいるオランダ。中でも、当時のチャンピオン、アーネストホースト選手所属のボスジムに標準を絞りました。
オランダ、ボスジムで修行したい。具体性もあり、珍しいほうが審査を通る。
第一次、書類審査通過しました。次は論文。
あれだけ、嫌だった大学時代のエッセイの書き方の授業がここで役に立しました。
無駄な努力なんてないんですね。
と、いうか過去の努力を生かしていく道を自分で作って生きていく。
審査は次の最終面接まであります。ここの論文ではとりあえず、「なんだコイツ!会ってみたい。」と思わせる内容にすればいいんです。
「変な奴」は私の代名詞です。そのままの私を書きました。
第二次、論文審査通過しました。
第三次、最終面接まで進んだ10人がモスバーガー本社に集まります。
もうここまできたら「俺を選ばずに誰を選ぶの?」な生意気な態度で通します。
みんな緊張している空気な中、私だけ社長と談笑したり余裕顔です。
後で聞いたら、他の応募者の人たちには審査員の一人かと思われていました(笑)今でもそうなんですが、こういう緊張するような場面ではいつもリングで試合をした経験が私を助けてくれます。
リングで殴りあう事と比べればどんな場面も大した事ないです。どんなに緊張する場面でも「相手は俺の顔を殴ってこないっしょ」って思うと楽です。
さらには、26歳という更にバカで*この時ばかりはプラスになりました。*「私で言えば」です。
地球上の26歳の方には、素晴らしい方がたくさんいます。
最終面接合格!!!
私はオランダ滞在1ヶ月を手にいれました。
2001年に応募、2002年冬に合格して私は2002年春にオランダに行ってきました。
この時の私の「絶対俺が受かるでしょ。」って感じは何の根拠もなく、
ただ単にバカエネルギーだったなーって思いますが、
何かを得ようとする時、必要な精神の一つではあると今でも思います。「もしかしたらダメかもなー」という気持ちじゃ競争社会では勝てません。
「絶対いける!」って思ったとしてもダメかもしれないんです。
英会話教室だってみんな「絶対成功する。」と思って競争しています。
e-kidsも「英会話を習うならここが世界一素晴らしい場所だ」
と、私が信じないと立っていられません。これから夢に向かって走り続けるe-kidsの子たちには、「必ず夢を手にする!」と、信じて欲しいです。
周りの全員が否定しても自分だけは、心の炎を燃やし続け「絶対にできる」と信じきるバカエネルギーを持って欲しいです。
そういう事を伝えるクラスを指導しています。
で、私はオランダに1ヶ月行きました。まず感じた事!みんな背がデカイ!!!アメリカの比にならないです。女性の平均身長180cm! 女性です。平均です。男性の平均身長は190cm!
184cmの私を日本の標準に当てはめると、日本の女性の平均を160cm。男性を170cmとすると、この男女の間に俺はいるから、私の184cmはオランダの町では、日本でいう164cmくらいな感じです。だから、女性の平均よりチョイ高いくらい!日本では人ごみですぐに見つけられる私ですが。オランダの街中ではまずに見つけられません。
路面電車のつり革が私にはちょっと高すぎました。頑張って手を伸ばさないと届かない!
これは一般人の話しです。アスリートは平均がこれにプラス5cmです。
私が修行したボスジム、とにかくみんな背が高かったです。
言葉はみんな英語がとてもきれいで上手です。オランダ人同士はオランダ語で話し、1人でも外国人が入るとみんなきれいな英語で話します。
日本もこんなだと素晴らしいなぁと思いました。スマートフォンやiPadはまだありません。(もちろん紙の)地図でジムを探し、「こんにちはー」と、ジムの扉を開けて1ヶ月の会員になりました。練習はとにかくスパーリング(試合形式)中心でした。私より背の低い選手なんて2-3人しかいなかったです。みんなでかい。
アーネストホースト先生のクラスも受けました。朝はランニング。練習合間にウエイトトレーニング。負傷しながらも頑張りました・・・
と、当時は思っていましたが、今思えばただの、「つもり」でした。今思うと全然ダメです。もっともっとできました。1人で全ての自分のスケジュールを管理するという生活、私には自分にもっともっと厳しくする心の強さが足りませんでした。アスリートとして、自分の限界に挑戦して頑張るなんてのは当たり前のことで、「あー、これもう限界!」ってところから、「ウォリャー!!!」って底力を出して、限界を超えなきゃアスリートとしては十分ではありません。
私にはそこの力が足りませんでした。自分に甘かったです。この反省を今のe-kidsの指導に活かしています。e-kidsで私はこの頃、自分になかった底力を持って職務に取り組んでいます。そして、キッズにはこの底力の大切さも伝える指導をしています。
カルチャーショックは身長の他にもまだありました。オランダって犬がたくさんいるんです。で、だーれも、犬のフンを片付けません。ビックリですよね。
遠くから見てとてもきれいな公園の芝生も近くにいくと歩くのもイヤになるくらい、犬のフンだらけです。オランダで毎朝ランニングをしていたんだけど、とにかくそこらじゅう犬のフンだらけです。
私はキックボクシングで殴りあいになるとアゴが上がっちゃう癖があって、それを直すのが課題でした。アゴが上がるとそのアゴを殴られて倒れやすくなってしまうんです。自分より背の高い相手にアゴを引きながら戦うのはとても難しいです。だけど、オランダでのランニングでとにかく犬のフンを踏まないように走ったおかげで、
アゴを引く癖ができました。(笑)ずっと下見て走るので・・・あれだけ犬のフンがあって、家は土足なんだからたまらないです。はい、1回フンだ
他にもカルチャーショックと言えば、ゴミでした。分別を一切しないんです(2002年当時)。生ゴミも電球もペットボトルも一緒の袋で捨てます。日本ではもう忘れ去られているあの黒いゴミ袋で、です。そう言えば、日本での話しですが、イギリスの選手と道場で練習後に一緒に掃除している時、
「トヨ、分別の仕方が分からない・・・」
って紙とペットボトル両手に持って言ってた事を思い出します。
その選手は別にアホじゃないからね。人間ってやったことないこと出来ないんですね。今のヨーロッパってどうなんだろ。詳しい方、教えて下さい。
後、バスもカルチャーショックでした。停留所で待っていても手を挙げて合図しないと、止まってくれないんです。何回もスルーされました。おっと、バスとは言え話が脱線し続きました。
全力を出したと勘違いのままの1ヶ月オランダ修行は、あっという間に終了しました。モスバーガーの最終面接で一番年配の役員の方から受けた質問が今でも気になっています。「あなたは、オランダに行ってもっと頑張ろうとしているけど、あなたみたいに体も大きくて、ここまで頑張って来た人が上にいけない世界なんだから、これ以上頑張っても無理なんじゃないの」
その時はただの反発心で、「いけるんすよ!夢を信じて叶えるです!」なんて応えましたが・・・結局はその方の言っている通りになっています。
今のところ・・・
人生を生き抜いてきた年配の方のこの質問が今になってもずっとずっと頭から離れません。現実を教えてくれていたのでしょう。私の弱さを見抜いていたのでしょう。今の私へのエール(応援)の言葉なのでしょう。
窪田豊彦
とよ先生まで(たった?)3年 。オランダを経験。
とよ先生の半世紀 e-kids 10周年記念バージョン【第16章 モスバーガーとオランダ修行】
最後まで読んで下さってありがとうございました。
読者のみなさんは海外の話し飽きたかもですね。
なんか違う激しい内容聞きたいですね。はい。
次回は、交通事故にあってきます。2箇所手術1ヶ月間寝たきり生活。
キックボクシングも終了か(涙)そんなお話しです。
第17章もお楽しみに~
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?