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心に響く漢詩の物語

第六回
唐 · 司空曙 送王閏。


詩人紹介

司空曙しくうしょ(720?—790?)
字は文明、一字は文初、広平(現在の河北省永年)出身。
彼の詩は、「大歴十才子たいれきじっさいし」の一人として、送別や漂泊の感情を表現したものが多く、その表現は樸実ぼくじつ真率しんそつであり、多くの人々に感動を与えた。
中唐の詩人の中でも特に情感に富んでおり、その表現は自然で美しいです。

司空曙

詩の内容と背景

「送王閏」は、唐の詩人司空曙が友人の王閏おうじゅん(または王潤)を見送る際に詠んだ五言律詩です。
この詩は、友人との別れの情景と感情を自然の風景を通じて巧みに表現しています。

詩の風景

送王閏。 王閏おうじゅんを送る。
唐 · 司空曙
五言律詩
相送臨漢水, 相送あいおく漢水かんすいに臨みて,
愴然望故關。 
愴然そうぜんとして故関こかんを望む。
江蕪連夢澤, 
江蕪こうぶ夢澤むたくに連なり,
楚雪入商山。 
楚雪そせつ商山しょうざんに入る。
語我他年舊, 
語る我に他年たねんふるきを,
看君此日還。 
る君が此日還このひかえるを。
因將自悲淚, 
りてまさに自ら悲涙ひるいせんとす,
一灑別離間。 
ひとたび別離べつりの間にそそがん。

送王閏。
友を送り出す漢水のほとりで。

相送臨漢水,愴然望故關。
友人を見送るために漢水のほとりまで来た。
別れの悲しみを胸に故郷の関所を遠く眺める。

江蕪連夢澤,楚雪入商山。
川辺の草は広がる美しい湿地へ連なり、
楚の雪は静かに商山に積もっていく。

語我他年舊,看君此日還。
友人は再会を約束してくれた。
今、君が去るのを見送る。

因將自悲淚,一灑別離間。
別れの悲しみに涙が溢れる。
一滴の涙を別れの間に流し友を見送る。

物語(司空曙 送王閏。)

漢水のほとり、静かな冬の朝。
川の流れが、氷のように冷たい風に逆らってゆっくりと動いている。
その岸辺に立つ司空曙は、心の中に深い寂しさを感じていた。
今日は、親友である王閏を送る日だった。

司空曙は、漢水に臨みながら、遠くの故郷の関所を見つめていた。
友人が去ることを思うと、胸が締め付けられるような感情が込み上げてきた。

川辺の草が広がる夢のような湿地は、遠くの山々に続いている。
楚の国から吹いてくる冷たい風が、商山に雪を運び、静かに積もっていく。その景色は美しくもあり、どこか儚げだった。

王閏は、笑顔で司空曙に再会の約束をしてくれた。
「いつかまた、この場所で会おう。」
その言葉に励まされながらも、今日の別れが現実であることに変わりはなかった。

司空曙の目に涙が溢れ出した。
それは別れの悲しみと、友人への深い思いが交じり合った涙だった。
彼はその涙を一滴、別れの瞬間に流し、友を見送った。

王閏が船に乗り、ゆっくりと遠ざかっていく。司空曙は、その姿が見えなくなるまでずっと見守っていた。彼の心には、友との再会を信じる希望と、今この瞬間の悲しみが交錯していた。

感想

この詩「送王閏」は、古代中国の詩人司空曙が友人との別れを描いた作品です。
その繊細な感情表現と美しい自然描写が、読む者の心に深く響きます。
詩の中で、司空曙は友人を漢水のほとりまで送り出しながら、その悲しみと再会を期する希望を詩的に表現しています。

まず、詩の冒頭で「相送臨漢水,愴然望故關」とありますが、これは友人を送り出すために漢水のほとりに立つ詩人の姿が描かれています。
遠くの故郷を眺めるその姿には、別れの悲しみが滲み出ています。この一節は、単なる別れの場面を超えて、故郷への懐かしさと友人への深い思いが交錯する瞬間を捉えています。

続く「江蕪連夢澤,楚雪入商山」では、川辺の草が広がる夢のような湿地と、楚地方の雪が商山に積もる情景が描かれています。
自然の美しさと広がりが、別れの寂しさを一層際立たせています。この風景描写は、詩人の繊細な感受性と自然への深い愛情が感じられる部分です。

「語我他年舊,看君此日還」は、友人との再会を約束する場面です。
再会の約束があることで、別れの悲しみが和らぎ、希望が見出されます。これは友情の力強さと信頼を表しています。

最後に「因將自悲淚,一灑別離間」は、詩人が別れの瞬間に涙を流す場面です。
この涙は、友人への深い思いと別れの悲しみが入り混じったものであり、その感情が非常にリアルに伝わってきます。
別れの悲しみを超えて、再会を信じる心が描かれていることに、詩の深い人間味と感動を感じます。

この詩を通じて、司空曙は友人との別れの切なさと再会を願う心を美しく描き出しています。
現代に生きる私たちも、この詩を通じて友情の大切さと別れの儚さを再認識することができるでしょう。
この詩は、時を超えて多くの人々に感動を与える一篇です。

最後に

この詩「送王閏」を読みながら、私自身も大切な友人との別れを思い出しました。15歳という年齢は、友人関係がとても大切な時期です。
私も、友達との思い出をたくさん作り、一緒に笑ったり、泣いたりしてきました。
しかし、時には別れが訪れることもあります。

私は昨年、親友が引っ越しをすることになり、遠くに行ってしまうという出来事がありました。
最初は信じられなくて、何度も「またすぐに会えるよね」と自分に言い聞かせていました。
しかし、送別会の日が近づくにつれて、現実を受け入れざるを得なくなりました。
送別会の当日、彼女を見送りながら泣いてしまったことを今でも鮮明に覚えています。

詩の中で司空曙が友人を漢水のほとりで見送るシーンは、まるで私の経験を映し出しているようでした。
彼の涙に共感し、自分の心の中にも同じ感情があることに気づかされました。
そして、友人との再会を約束する場面は、私も同じように再び会える日を信じている自分と重なりました。

この詩は、ただの別れの悲しみを描くだけではなく、再会への希望と友情の力強さをも伝えています。
別れが辛い時も、その先にある再会を信じることで、心の中に希望を持つことができるのです。

現代の私たちがこの詩から学べることは、友情の大切さと、それを支える希望の力です。
友人との別れを経験することは、誰にとっても辛いものですが、それを乗り越えることでより強い絆を築くことができます。
この詩を読むことで、私たちは自分の感情を見つめ直し、友情の大切さを再認識することができるでしょう。

この詩に感動し、共感できるのは、私たちが同じような感情を抱くからこそです。
皆さんも、友人との絆を大切にし、別れの悲しみを乗り越える力を持っていることを忘れないでください。
この詩が、少しでも皆さんの心に寄り添い、励ましとなることを願っています。


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