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心に響く漢詩の物語

第四回
中唐 · 韓愈 題楚昭王廟


詩人紹介

韓愈かんゆ(字:退之たいし、768年~824年)
韓愈は唐代中期の詩人、文章家、思想家であり、河南河陽かなんかよう(現在の河南省孟州市)出身です。
韓愈は儒学じゅがくに精通し、『六経』や百家の学問を修め、詩文の才を発揮して独自のスタイルを確立しました。
その作品と思想は後世に大きな影響を与えました。

韓愈は、儒教の復興を目指し、仏教や道教の影響を排斥する姿勢を貫きました。
彼の詩は、社会の現実を反映し、時には政治を鋭く批判するものが多く含まれています。
詩風は雄奇壮偉ゆうきそういであり、文と詩を融合させた独自のスタイルを築きました。

宋の蘇軾そしょく
「文起八代之衰、而道濟天下之溺」
(韓愈は、衰えていた文学や文章の伝統を見事に復興させた。その儒家の教えは、世の中の人々が苦しみの中で溺れそうになるのを救い上げた。)
と韓愈を称賛し、その影響力を強調しています。

韓愈の詩風は、李白の奇情壮思きじょうそうしや杜甫の千錘百煉せんすいひゃくれんに影響を受けており、宋詩の散文化や議論化に大きな影響を与えました。

雄奇壮偉…勇壮で大胆かつ壮大で偉大な表現やスタイル

奇情壮思…独創的で特別な感情と、壮大で勇壮な思考やアイデアを組み合わせた表現

千錘百煉…単なる感情の表現にとどまらず、深い思考や熟慮の結果として完成させるスタイル

韓愈

詩の内容と背景

この詩は、韓愈が楚昭王を祀る廟を訪れた際の感慨を詠んだものです。楚昭王(紀元前513年~紀元前489年)は春秋時代の楚国の君主で、その徳行が称えられていましたが、後世においてはその遺跡や廟が荒廃してしまいました。
韓愈はこの荒廃した廟を見て、昭王の徳を慕う気持ちと、その遺跡の寂寥感を詠んでいます。

詩の風景

題楚昭王廟 題す楚昭王そしょうおうびょう
(819年2月) 中唐 · 韓愈
七言絶句
丘墳滿目衣冠盡, 
丘墳きゅうふん目に満ちて衣冠いかん尽き,
城闕連雲草樹荒。 
城闕じょうけつ雲に連なり草樹そうじゅ荒る。
猶有國人懷舊德, 
なお国人有りて旧徳きゅうとくおもひ,
一間茅屋祭昭王。 
一間いっけん茅屋ぼうおくにて昭王しょうおうを祭る。

題楚昭王廟
楚昭王の廟に題す

丘墳滿目衣冠盡,城闕連雲草樹荒。
古の墓は視界いっぱいに広がり、かつての衣冠は今はもう失われ、
城や宮殿の跡は雲に連なるように高くそびえ、草木が荒れ果てている。

猶有國人懷舊德,一間茅屋祭昭王。
それでもなお、人々は昔の徳や恩恵を忘れずに心に刻み、
小さな茅葺きの小屋で昭王を静かに祭っている。

物語(韓愈 題楚昭王廟)

唐の時代、詩人の韓愈はその名を広く知られていた。
彼は詩人としての名声を背負いながら、過去の偉人たちの遺跡を巡ることを心から愛していた。
ある春の日、彼は楚昭王の廟を訪れることに決めた。楚昭王はその昔、優れた統治者として知られ、多くの民から慕われていたという。

その日、天気は穏やかで、空は透き通るように澄んでいた。韓愈は廟の前に立ち、その壮大な景色を見つめた。
目の前に広がる丘や塚は、かつての栄光を偲ばせるものだったが、時の流れと共に荒れ果てていた。

古の墓が視界いっぱいに広がり、かつての貴人たちが身にまとっていた衣冠は、すっかり消え去っていた。
韓愈はその光景を見ながら、歴史の無情さを感じずにはいられなかった。

彼の目に飛び込んできたのは、かつての城や宮殿の跡だった。
それらは雲に連なるように高くそびえ、かつての威厳を誇示していた。
しかし、今では草木が生い茂り、荒れ果てていた。

かつての栄華を感じさせる城闕も、今や草木に覆われてその面影を失っていた。
韓愈はその場に立ち尽くし、古の栄光がいかに儚いものであるかを思い知らされた。

だが、その荒廃した景色の中で、韓愈の心を強く打ったものがあった。
それは、簡素な茅葺きの小屋だった。その小屋の中には、楚昭王を祀る祭壇が設けられ、ひとりの老人が静かに祭祀を行っていた。
老人の目には、昭王への深い敬愛の念が宿っていた。

物質的な繁栄は失われても、人々は昭王の徳を忘れずに心に刻んでいた。老人は静かに祭壇の前にひざまずき、昭王に対する敬意と感謝の念を捧げていた。

韓愈はその光景を見て、胸に深い感動を覚えた。
物質的な繁栄は失われても、心の中に宿る徳や精神は時を超えて続いていくのだと悟った。

小さな茅葺きの小屋で、昭王の徳を称え、静かに祭る姿に、韓愈は永遠の敬意と感謝の心を見出した。
彼はその場を後にしながら、昭王の徳を称える詩を心に刻んだ。
そして、その詩は後世に語り継がれ、昭王の徳と韓愈の思いは永遠に残ることとなった。

感想

この詩を読んで、まず目に飛び込んでくるのは壮大な歴史の舞台です。
古の墓が視界いっぱいに広がり、かつての貴人たちが身にまとっていた衣冠が失われた様子は、時間の流れの無情さを痛感させます。
さらに、かつての城や宮殿が草木に覆われ、荒れ果てている光景は、かつての栄華がどれほど儚いものであるかを強く感じさせます。

しかし、この詩が特に心に響くのは、荒廃した景色の中で見つけられる人々の敬意と忠誠心です。
小さな茅葺きの小屋で昭王を祀る人々の姿は、物質的な栄光が失われても、心の中に宿る徳や精神が時を超えて続くことを象徴しています。
この対比は非常に感動的で、古代の偉人たちの徳が現代にも影響を与え続けていることを思い起こさせます。

韓愈の詩は、歴史と現在、人々の心のつながりを深く洞察しています。
物質的なものは消え去るかもしれませんが、心に刻まれた敬意や感謝の念は永遠に続くことを教えてくれます。
この詩を通じて、私たちは過去の偉人たちの徳を再認識し、自分たちの心の中にその精神を受け継いでいくことの重要性を感じます。

最後に

韓愈の「題楚昭王廟」は、過去と現在、そして未来をつなぐ詩であり、その中に込められた深い洞察と感情は、時代を超えて私たちに語りかけてきます。
この詩を通じて、私たちは歴史の重要性と、それを心に刻むことの意味を改めて考えることができました。

この詩が持つ普遍的な価値と、韓愈の深い感慨を多くの人々が感じ取り、自らの人生に活かしていくことを願っています。
歴史の中で培われた徳や精神は、私たちの心の中で生き続け、未来に向けて力強い指針となることでしょう。

この詩を読んでいただいた皆様が、韓愈の思いと共に、歴史の重みと人々の心のつながりを感じ取っていただければ幸いです。

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