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■ 其の104 ■ 松本・文春問題‥‥3次被害への憂慮

🔣まず、今回の問題には、二つの事案があると考えます。
ひとつは複数の女性が松本さんから性被害を受けたとされる事案。
もうひとつは週刊文春が被害の訴えを掲載したという事案です。
 二つを混同せず、それぞれについて考えます。


🔣今回の問題について、世間では批判や擁護をする声として、
以下のような考えがあると思われます。

■松本さんについて・・・実際にそういう行為をしたのならば、言い訳はできない。裁判に専念すると言って唐突に休業宣言したのは逃げではないか。社会的に大きな影響力を持っている人間として、脇が甘いし無責任だ。
 逆は、現段階で報じられている内容がどこまで真実なのかわからないのに、無責任に叩いたり社会的制裁を加えるのは控えるべきだ。

■女性たちについて・・・被害を受けたのならば、それを訴えるのは当然だ。過去のことを蒸し返すなという批判はおかしい。
 逆は、結果的とはいえ被害に遭うような場に行ったことは、大人として責任が全くなかったとは言えない。

■文春について・・・たとえその人に非があったとしても、ひとりの人間の人生を破綻させるまで追い詰めてもよいのか。そんな権利があるのか。
 逆は、報道の自由の範囲で行うことに圧力を与えたり、自粛を求めることは民主主義の根幹を揺るがすことになる。

 
🔣これらを踏まえて、まずひとつめの「女性たちが松本さんから性被害を受けたとされる事案」について、

 わたしは、本当に性加害があったとしたら、おそらく松本さんに弁明の余地はないと思います。 一般的な例として、仮にどんな露出の多い服装をした女性がいたとしても、痴漢行為をすれば、その人が完全に悪いことになります。感情的に様々思うことがあったとしても、女性に非はありません。
 同様に今回の事案も、状況や力関係、当事者の心境などさまざまな要因はあるでしょうが、性加害の事実が「有ったか、無かったか」が問題です。
 事実が有ったとすれば、松本さんの非は限りなく10割だと思います。 無かったとすれば、もちろん話は0に戻ります。

🔣次は「週刊文春が、被害の訴えを掲載したという事案」について、

 わたしは、この事案に対する非を、かりに数字で表すなら、
 松本さん4、女性4、文春2と考えます。

 被害があった場合に女性がすべきは警察に訴えることです。してもよいのは法的な刑事告訴だけです。文春に内容を話すことはあってはならないと考えます。聞くところによると、松本さんには思春期の、おそらく中学生くらいの「娘さん」がいるといいます。松本さんが加害者であったとしても、娘さんは別人格であり、傷つけてよいはずがありません。 被害にあったという女性は、自分が傷ついたのなら、その傷が深ければ深いほど、他者の、ましてや未成年の女性を苦しめることなどしてはならないはずです。

女性たちが性被害を受けたのならそれは1次被害です。
女性たちに対し、言われのない非難や中傷をすることは2次被害です。
そして娘さんを傷付けることは3次被害です。
ただし、女性たちが訴えたという事実を知って、それを文春が報じるのなら、もちろん責任はありません。

 しかしこれだけの騒動が起きることが容易に想像できたにもかかわらず、週刊誌に「語る」ことで第三者の未成年女性を傷つけ苦しめたとしたら、その点に関しては「加害」であると思います。ただし、その元となる原因は松本さんにあるのですから、彼女たちと松本さんの非は同じと考えます。

 文春についてのわたしの印象は、「世間の人々が関心を抱くことについては、良し悪しや、影響の有る無しというより、ある意味フラットに何でも報じ、それについての評価や判断は、報道を受け止めた人々にゆだねる」というスタンスに感じます。あくまで印象です。 
 文春に対して、「ろくでもない奴らだ」と思う人もいれば、「政治問題などをあぶりだしているのは、新聞よりも文春だし、社会的存在意義がある」と考えている人もいるでしょう。「文春」が存在しているという時点で、今回の報道は回避できなかったと思います。

 ところで、あってはならない事だし、考えたくもないですが、もしかりに上記の第三者が自殺(未遂)を起こしたとしたら、いまの空気は一変するでしょう。 彼女たちは、おそらく自分が受けた傷よりも重いものを一生背負わなければなりません。 文春は廃刊に追い込まれるでしょう。 
願わくば、父親のDNAを凌駕するくらいタフで何事にも屈することのない、それでいてしなやかな女性であってほしいと思います。

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