■ 其の45■ セーラー服という奥深い存在
🔣広島県の呉市に行くと、セーラー服を着た海上自衛隊員を見かけることがあります。セーラー服=女性の服という意識を持っていたわたしは、呉で彼らを見ると、「そうそう、元々は海の現場で働く水兵さんの服装なんだ」と認識させられます。 筋骨隆々でマッチョなポパイこそ「THEセーラー服」的存在で、それがアレンジされて女子の制服になったのです。ジーンズ同様、働く現場がルーツです。
🔣そんなセーラー服には、かつてスカートの裾をドレスのように長くした不良少女仕様がありました。そこへ武器のヨーヨーやチェーンを手にした姿は文句なく画になりました。ばえる場所を借りて素敵なわたしを演出する今どきの女子とは異なり、彼女たちには自分の存在感で場を支配する人間力が必要でした。やはりあれはセーラー服でなければなりません。スカート丈が地面に届きそうなブレザー姿の不良など想像しただけでも滑稽です。
また、もし仮にセーラームーンが「ブレザームーン」だったとしたら、あれほど認知された存在にはなれなかったでしょう。一見異常なアレンジでも成立させてしまう懐の深い汎用性があります。
🔣そしてセーラー服には、汚れ、傷み、生地のへたりなど、劣化することをも甘受する深い豊かさがあります。
踏み切りの中で立ち往生するお婆さんに迫ってくる列車! そこに飛び込んで間一髪で救った少女の制服は破れて血が滲んでいます。そんな彼女が着ているのは「セーラー服」です。船の甲板で汗水ながして働く水兵の流れを汲んでいるセーラー服の方が合います。伝統ある英国カレッジの学生がすまして着ているブレザーには、傷みや泥臭さは似合いません。
🔣ただ、かつて校則もへったくれもあるか!とばかりに世の中を席巻したルーズソックスが似合っていたのは、ブレザーの方でした。今やセーラーVSブレザーの比は、1対9になるとも言われます。
〈 付録 〉
わたしにとってセーラー服を着る事は、今の学校に通う最大の悦びです。キッコーマン醤油の卓上瓶。ペンテルの赤・黒サインペン。初代新幹線の先頭車両。これら名品と同様、セーラー服には不変の美があります。たとえ才能溢れる服飾デザイナーが心血注いでデザインしようとも、超えることのできない可愛さがあります。しかしこのままブレザーにシェアを奪われ続けていけば、いずれ制服界の絶滅品種になるかもしれません。もしかしたら将来、セーラー服が有形文化財に登録され、国立民族博物館に展示される日が来るかもしれません。その時お祖母さんになったわたしは、孫を連れてセーラー服が飾られたガラスケースの前に立ち、「わたしね、高校生の時これを着ていたのよ」と自慢することでしょう。