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父の思い出  細川映三

何年も前に書いた随筆です。
時間と気持ちにゆとりがありましたら、読んで頂けますか?
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幼い頃、父に連れられてどこかへ出かけたという記憶に乏しい私の中にあって、時々ふと思い出す懐かしい出来事がある。
私が小学校高学年の時に、父と共に埼玉の親類を訪ねたことがある。田舎に暮らす私にとって目に映るものすべてが新鮮でまぶしかった。父は重い病気を患っていたので余り外出を好まなかった。希に出かけることがあっても用が済むとそそくさと家に帰り、疲れた体を床に休ませた。そんな父が親類の家を出て駅に向かう時、「折角だから上野へ行こう・・・」と言い出した。西郷さんと動物園を見てから帰ろうというのだ。

初めて上野駅のプラットフォームへ降り立った時、私は不思議な恐怖心を抱いた。夥しい人の数に何かしら私たち父子を陥れる罠が潜んでいるように感じられたものである。

広小路口へ出て上野公園へ向かう途中占いがあった。一度通り越したにも拘わらず父は私の手を引いて「見てもらおう・・・」と言った。必要に迫られてやむを得ず倹約を主とする父からは意外な発言であった。しかも自分ではなく私の将来を占わせることが何とも疑問であった。ともあれ千円の代価と引き替えに「この子は余り長生きの相ではない・・・二十台の内に大きな転換期があるはずです。タイミングを失うと若い内に命を落とすかもしれません・・・」という嬉しくない結果を頂いた。

そんな出来事があってから二年と経たないうちに父は他界した。父の病気はもうどうにもならないところまで来ていて、万が一にも回復の見込みはなかったということは、後々知ったことである。

その話を聞いた時に、あの時私にとっては無駄と思える金を費やして私の将来を占った父の心の底に、父を亡くした息子の将来に果たして幸福の要因は残るだろうかを案じる親心があったのかもしれないと涙がこぼれた。
父に連れられて歩いた上野の公園・動物園は楽しいものだったに違いない・・・があの時の光景で私の心に深く刻まれている印象は、占いの一件である。

父が死んでからもう二十五年以上になる。あの時の占いに反して、平凡に生きながらえてきた今の私を思うとき、果たして父はどんな思いを抱くのだろうと考える。月日の経過と共に風化していく記憶の中で、父と出かけた上野は、今も時折瑞々しく私の中で蘇るのである。

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