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「類は友を呼ぶ」的な考えで、まちに仲間を増やしていけないだろうか?|日々思考雑記

※根拠などない、僕個人として思いつきです。ご注意ください。

さぁ、今日は仕事に関しての妄想。
そして、この27年の短い人生で僕がみてきた背中の話。
「類は友を呼ぶ」が僕の暮らしを圧倒的に豊かなものにしている。
この話をする上で少し、僕がみてきた「まちづくり」を振り返ろう。

僕がまちづくりに出会ったのは、デザイン学科で建築を学ぶ学生だったころ。
社会問題を解決に近づけ、そのことが意匠にも現れているそんな建築を作りたかったし、目指していた。
そのことを徹夜続きでやっている時に出会ったのが、Co-展だった。
そしてCo-展が僕にとってまちづくりを意識させた瞬間に違いない。

まずは、Co-展とは何か?を僕なりに説明しよう。ただ、あくまで僕の解釈だから違うとおもう運営メンバーもいるかもしれないが、それすら良しとする姿勢がCo-展にはあると思っているし、その姿勢こそが特徴と捉えている。
逆に言うと、Co-展を自分の言葉で語れないメンバーがいない。そんな感じな気がする。

とは言いつつ、まずはCo-展のSNSを見てみよう。

暮らしを豊かにするモノ/コトづくり =”ワクワクづくり”をならしのの文化にしたいから、まちのワクワクづくりの担い手たちが集まって、まちの新しい楽しみ方を展示します。
Co-展のFacebook説明欄より

そう、Co-展はまちのマーケットではなく、担い手とまちの楽しみ方を展示する「人」の展示会なのだ。
僕が関わりはじめた学生のころ、よくCo-展オーガナイザーののりさんに「Co-展はイベント的な、ただ売る場所にはしたくないんだよ。」と言う話を聞いていた。
表面上の形状としては、確かにマーケットイベントに近いが、僕らはマーケットイベントをやりたいんじゃなくて、暮らしの近くに自分たちでワクワクをつくる文化を作りたいし、伝えたいんだ。その一手法としてマーケット形式をとっているだけという姿勢が、めっちゃ面白いなこの大人たちとなって、どハマりしていった。

Co-展の様子
Co-展の様子

そんな熱い話を大人たちとしていくうちに、「Co-展は思想なんだ」と僕は思いはじめていた。Co-展のアウトプットは、あくまで僕らが良いと思うもの、ワクワクするものだ。もっとパンクな味付けを好む人もいれば、ガーリーな感じを好む人もいるし、アンニュイなものが心に刺さる人もいる。
そんな「ちょっと違うな」と思う人たちへのCo-展からのメッセージは、「つくっちゃいなよ。僕らができるから君にもできる」だと思う。
そうすると、味わいの異なるCo-展のようなものが、アメーバのように増殖していく。「ワクワクづくりを文化にする」思想が広がっていく。そしてその思想こそがCo-展なのだ。

だから、おもてなし的な尽くしてくれる感じはCo-展からは感じ難いかもしれないし、受け手でいると心がうごく感じを得られないかもしれない。でも、それでいいと思っている。物足りなさを感じたらチャンスだ。あなたがつくればいい。
そうそしてCo-展がくれたこの感覚が、僕にとってまちづくりの芯の価値観となっている。
サービスじゃないんだ。

僕はパッケージを含めたデザイン周りを学生チームで関わっていました。

さて僕のCo-展論を展開したところでそろそろ、タイトルの「類が友を呼ぶ」的な考えで、まちに仲間を増やしていけないだろうか?を回収しておこう。
そんな、Co-展を運営しているのりさんをはじめとした人たちの周りは、決まって面白そうな人が集まってきている、その背中を見ていたのだ。そして、その波に乗っていた僕の周りにも「ワクワクを作りたい」と思っている人たちが少しではあるが集まってきていて、Co-展とは別に、プライベートで展示をやったり、ZINEの作成に誘ってもらったり、「〇〇やりたいよね」と言う声が届いているのだ。

京成津田沼発のZINE。デザインと写真で関わっています。イラストは別の方。

そんな、環境について考えていると、面白がっている人のところには面白くしたい人が集まってくると言うことだ。このことは、まちづくりとそれに必要な仲間づくりにとって最も重要ではないか?と思えてくる。
「古着を買うなら下北沢」と言うように、習志野の「面白がる人」同士が反応を起こし「ワクワクに挑戦するなら習志野」になる。と類は友を呼ぶ的な思考で考えられないだろうか?
暮らしを自分ごとで楽しみたい人が集うまち、なんてことを妄想している。

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