『令和版 現代落語論』 ーやさしい高回転ストレートー
はじめに
山本英晶といいます。36歳の、ただのおじさんです。
『令和版 現代落語論 〜私を落語に連れてって〜』という本を読みました。
ひろのぶと株式会社の株をちょっとだけ持つ僕は、この本の刊行発表以来戦々恐々としていました。
落語。なんもわからん。
不安な思いを抱えてオンラインストアで予約した本は、発売日より一足早く手元にやってきました。
「落語なんもわからんおじさん」がこの本を読んでどうなったのか。
ご笑覧いただけますと嬉しいです。
『令和版 現代落語論 ~私を落語に連れてって~』書評
本書の著者は、落語家の六代目 立川談笑師匠である。こう書くとなんだか厳つい。落語家の育成が徒弟関係で成り立っているので、一流の落語家は師匠と呼ばれる。「前座」に始まり腕を上げて「二つ目」さらに腕を磨き「真打ち」になって一流。といった落語界の常識や一見わかりにくい言葉も、本書では欄外の注釈でその都度理解しながら読み進められる。忍者を目指すべく友人とともにマンガ『落第忍者乱太郎』の欄外の注釈で勉強した、小学生時代を思い出す。友よ、元気にしてますか。ちなみに『落第忍者乱太郎』の欄外には狂気のまとめサイトがある。作成者があの友でないことを祈る。
師弟の関係に、僕のような日和った現代人は「師が絶対的なやりがい搾取の大地獄」のようなイメージを持つ。しかし、談笑師匠のお弟子さんである立川吉笑さんが著した『現在落語論』を事前に読んでいたらこんな話が出てきた。
ぜんぜん厳つくなかった。むしろ師匠の姿や言葉から直に教わる徒弟制度の利点にブーストがかかっている。尊敬する人だからこそ師と崇め弟子入りするのだから、師を見定める目と師に認められる何かが自分にあれば、徒弟とは実はとても健全なのかもしれない。
そんな談笑師匠が著した本書は、落語への思い込みや誤解を解き去るような一問一答から始まる。
*むずかしい
*江戸の時代背景や言葉遣いがわからないとつまらない
*素人には笑いのポイントがわかりにくい
*雰囲気が堅そうで気軽に楽しめない
これらの誤解をしていたのは他でもない僕なのだが、全て解けた。すごい。
誤解が解けて臨む第一章は、談笑師匠の落語家としての由緒から始まり、落語の存在意義、そして落語の過去から現在について語られる。ページをめくるたび目から鱗がぽろぽろ落ちる。レーシック顔負けだ。なかでも「落語は双方向」のお話は、おそらく普通に落語を聴いていただけでは立ち入ることのない、本書の肝だと感じた。
文章は全体を通してかなり崩してある。落語を論ずる本なのになんでかなとしばらく考え、だからこそだなと思い至った。例えば「落語とコンプライアンス」のお話は、落語なんもわからんおじさんには正直ちょっと難しい内容だ。それがインタビューを書き起こしたような人肌を感じる文体によって、ややこしめのお話や、落語の生ものとしてのよさ、そして変わりゆく落語に変わらず吹き続く「江戸の風」という掴みづらい概念のようなものすらも、読み手へ伝わる本に仕上がっている。談笑師匠の温かみと、編集の廣瀬翼さんの仕立ての相乗効果の賜物だと思う。
第一章を読み終えて、落語とは実はトレンディで優しいものだとの理解に落ち着き、すっかり落語を知った気分のにわか者がここに爆誕した。確かに談笑師匠の改作落語とは、聴き手への配慮と優しさにあふれた現代的なものと言える。
「おいおい第一章を読んだだけで知ったかぶりか」
「シッタカブッタか」
「レオナルド・シッタカプリオか」
最後のはあまり悪い気分はしないが方々からそんな声が聞こえる気がする。ネットは怖いので早々に自己保身に走る。
「あ、あの、違うんです、この本には談笑師匠の高座の動画が9演目も収録されていて、第二章はその演目ごとの解説なんですよ…」
言ってて自分の理解が追いつかない。理解をより速く走らせる方法がわからない。ちなみに世界最速の動物はチーターと思われがちだが、獲物を追って急降下するハヤブサの約390km/hが最速だという。僕も急降下すれば200km/hくらい出そうなものだがよしておく。千屋牛は空を飛ばない。
話をもとに戻すと、
①この本を買うために2,500円払うと
②落語への誤解が解け
③目からぽろぽろ鱗が落ち
④談笑師匠の演目を9題も楽しめ
⑤9演目の解説まで読め
⑥お釣り80円を持ってラ・ムー岡山中央店へ行けば清涼飲料水も買える
のだ。理解を速く走らせるのに必要なのは文の箇条書きだった。
そのまま速度を保って本の装幀にも触れたい。座布団を模して箔押し印刷された七宝柄の紫四角。艶やかな朱。瀟洒なカバーを外せば、談笑師匠と故・七代目 立川談志師匠の写真が背表紙を挟んで並ぶ。脈々と続く徒弟の歴史と、いまをひた走る改作落語の鮮烈さの共存を見るようだ。装幀を担当された上田豪さんの、古きもののよさを貴びつつ新しきもののよさをアドオンしていくスタイルがシャープにマッチしたマーベラスなビジネスである。語彙が少ないばかりに後半からルー大柴さんに頼ったが、つまり
⑦表紙が見えるスタンドで本棚に飾れば書斎がおしゃれになる
のだ。
そして談笑師匠と中江有里さんとの対談は、この一冊の総ざらいとして読むことができる。「うんうん、そうですよね」と相づちを打ちながら二人の話を読む僕は、本書を読む前とはもはや別人であるし、
⑧なんだか落語の仲間に入れてもらえた気分になった
のだった。
「そもそも落語、ましてや落語の本なんて人生に取り入れる必要ある?」
僕が誤解とともに鞄の底に持ち歩いてきた疑問だ。
これは「二ーバーの祈り」の一節だ。ベストセラー書籍『嫌われる勇気』でも「神よ、願わくばわたしに、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ」との訳が引用される。というかそれしか知らない。
「受け入れるべき変えられない物事」とは、不運あるいは不遇と言い換えられるだろう。僕は小学校高学年のころに落語を会場で聴く機会が一度あり、そこでたくさん笑った記憶がある。だが当時、僕は楽しく忍者を目指していたのが嘘のような酷ないじめにも遭っていた。談笑師匠は本書で『落語は、聴く人が「ふう」と一息ついてリラックスできるようにと行きついた憩いの場です。』と書いた。落語会場にいた僕も、きっとどうしようもない不運や不遇を、よくわからないなりに笑いたかったのだと思う。
ニーバーの祈りの一節には続きがある。
「一日一日を生き、一瞬一瞬を楽しみ、困難を平穏への道として受け入れさせたまえ」と訳してみる。楽しいひと時を過ごしながら、降りかかる不運や不遇を受け入れる。まさに落語そのものだ。そして談笑師匠の改作落語は「変えることのできる物事を変える勇気」の賜物だろう。
「人生に落語を取り入れたい」
そうして鞄は軽くなった。あとは山ほどのレシート類や乾燥したウエットティッシュも、そのうちなんとかする。
サブタイトルの「私を落語に連れてって」は映画『私をスキーに連れてって』の捩りであり、それは映画『私を野球につれてって』の捩りであり、さらにそれは『私を野球に連れてって』というアメリカの愛唱歌に由来する。サブタイトルも脈々としている。談笑師匠は落語が伝統芸能としてただ古びて消えぬよう、「1番 センター 不運」や「4番 サード 不遇」といった強力なバッターのバットが空を切るよう、リリース直前までボールに指をかけてスピンをきかせる。そのストレートは受け手に優しく、また易しい。本書を読み、また収録された談笑師匠の高座を聴いたたくさんの人が、その高回転ストレートを生身で受けてみたくなるだろう。僕はなりました。
(2023年10月30日、11月3日 一部修正しました)
おわりに
ここまでお読みくださった方、ありがとうございます。
『令和版 現代落語論』、とてもよい本ですので、お手に取っていただけるとさらに喜びます。
なにとぞ、ぜひに。
(了)
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