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鬱と診断されるまで

前回から結構日があいてしまいました。
出来れば週一くらいで更新したいとは思っていたのですが、書く気力がなく、気力を振り絞りっても少しずつしか進まなかったのです。なにとぞ、ご容赦ください。

実は、前回のポストをした当時からすでに気力や意欲の減衰があったのですが、その後に職場で嫌がらせを受け、精神エネルギーが完全に枯渇してしまいました。
病院で鬱病の診断がついて休職。ついに退職しました。

次の収入源? そんなものはありません。
まぁ、どうにかするしかないでしょう。

退職を決めた日


仕事を続けるうち、少しずつ体調に異変を感じてはいたものの、人数が少ない職場でしたし、40代の私が最若手という状況ですから、いち早く成長して管理職側に来てほしいと思われるのは当然のことだし、できるだけ期待に応えたいと思っていました。

今はまだ慣れていないから大変なだけ。慣れれば楽になってくる、子供を旅行や外食に連れていきたいし、貯金もしたい。利用者さんのことは好きだし、仕事も楽しいことのほうが多い、だから頑張ろう。
そう考えていたからこそ、通勤のために6年のカーリース契約も結びました。少なくとも五年以上働こうという考えはあったのです。そして、苦しいなりにも一応うまくいっていました。

しかし、事態は急変します。

私の勤めていた作業所では希望者向けに昼食を提供しているのですが、ちょっとした理由があり、利用していた配食サービスが使えなくなりました。
とはいえ、昼食の提供をなしにするということはできませんので、別の配食サービスに切り替える必要があります。短い期間の中で条件の合う業者を探し、新しい業者を決定しました。

ところが、この決定に不満を抱いていた人がいます。作業所の運営団体のトップである理事長です。

新しい業者は価格のわりに味がよく、内容的にも特に問題はありませんでした。利用者さんの中には高齢の方や体に麻痺のある方もいますが、介護食にする必要がある人もいませんから、形態的にも問題はなかったのです。

じゃあ何が不満だったのか?
業者選定に自分が参加できなかったことが不満だったんです。

申し添えておきますと、私たちは理事長をのけ者にしたわけではありません。理事長がミーティングに参加してないだけです。参加を呼びかけても私用優先で参加しないのです。
理事長は、自分が参加できる時間帯にミーティングを開けと言いますが、理事長が参加できる時間帯は利用者さんが作業所にいる時間帯であるため、ミーティングを開くことはできません。
こうなると、理事長を外して決めることになるのは仕方のないことです。だって、時間がないのだから。

そうして決まった新しい配食サービスを使った昼食提供初日。理事長の不満と怒りが爆発しました。
お茶休憩の準備をしていると理事長が大声で怒鳴りながらやってきて、なぜか利用者さん(女性)に向かって職員に対する不満や怒りをまくしたてる。な、なんでやねーん!!!
突然の出来事に目を丸くして固まる利用者さん。てんかんを患っており、強いストレスがかかると発作を起こして倒れることもありる方です。その場にいた私ともう一人の職員は「発作が起きたらどうしよう」と気が気ではありませんでした。
そんな気も知らない理事長はひとしきり怒鳴り散らした後、怒りが収まらぬ表情のまま立ち去っていきました。残されたのは呆然とする利用者さん。全く無関係なのに訳のわからないことを突然大声でまくしたてられれば呆然とするのは当然です。すぐにフォローしなければと思いました。

私「○○さん、急に驚きましたね。大丈夫ですよ、気にしないでくださいね」
利「何を言われてるか全然わからなかったです。ほんと、どうしようかと……」
私「ですよね、困っちゃいましたよね」

ストレスと緊張を和らげるため、優しい口調と笑顔で話しかける私。凍り付いた空気が緩んで一安心と思いきや……。

「何笑ってるんや! 自分事として考えられへんのか! 利用者さんのことなんやと思っとるんや! 頭おかしいんちゃうか!」
と、理事長の怒声&罵倒が飛んできた。

私は理事長がお怒りの内容を馬鹿にしたわけでも笑ったわけでもありません。ただ、巻き込まれてしまった利用者さんのストレスを緩和しようと――いうなれば、理事長のやったことの尻ぬぐいをしようとしただけです。利用者さんのことを考えてこそのフォローです。むしろ、無関係な利用者さんに余計なストレスをかけたあんたの方が何を考えてるんだという感じです。

言いたいことはいくらでもありました。でも、言い返してしまえば事態が悪化するのは明白ですし、私の主張のために利用者さんにストレスを与えたくないので私は黙っていました。勘違いで怒鳴りつけられ、人前で罵倒されるなんて理不尽極まりないことですが、とにかく嵐が過ぎ去るのを待ちました。

しばらくすると嵐は収まり、私は「休憩の準備をします」と宣言してから中断していた作業を再開。用意したお茶を配り始めたのですが、二人分配ったところで調子がおかしくなり、もう一人の職員に後を任せてから事務所に退避して泣きました。
これは、感情が高ぶって泣いたというわけではなく、脳がストレスを処理しきれなくなって発作を起こしたような状態です。確かに、理不尽に対する怒りや悲しみの感情は少しありましたが、それ以上に「あー、困ったなぁ。こうなってしまうと自然に収まるのを待つしかないんだよな。とりあえず、無理にしゃべったりせず、ゆっくり呼吸すれば落ち着くかなぁ」というような、自分自身に対するやるせなさのほうがずっと強かったです。自分では制御できないので本当に恥ずかしいし困るんですよね。

できる限り「これは発作のようなもので、時間がたてば収まるから気にしないでほしい」と伝えるようにしていますが、言葉で伝えること自体がストレス・刺激となって涙を長引かせてしまうため、伝えることは容易ではありません。それがストレスの原因になった人相手ならなおさらです。
この時も、後から事務所にやってきた理事長が「涙流してる場合ちゃうで!」と吐き捨てていきましたが、発作のようなものですとは言えませんでした。

しばらくして涙は収まりましたが、この件で精神的にかなり疲弊してしまいました。その日のうちに業務で乗る車を二度もこすり、さらに運転中にボーッとしてあやうく事故を起こしかける始末。
さらに後日、今日はボーッとしないように頑張ろうと考えているにもかかわらず、前回と同じような状況で事故を起こしかける……という状態になってしまいました。
この状態では利用者さんの送迎など恐ろしくてできませんし、車の運転ができなければ仕事を続けることも難しいです。もう辞めるしかないと考え、その日のうちに退職の意思を伝えました。

鬱病の兆候


しかし、私がいても人員はカツカツな職場でしたから、辞めると回らなくなる……ということで、後任が決まるまで続投するという方向に。
ただ、こんな状態なので運転業務からは外してもらいました。また、辞めると伝えたことで周囲に期待されることがなり、その効果もあったのかストレスはだいぶ減ったように思います。嫌なことがあった職場で働き続けることはストレスですが、差し引きすればプラマイゼロという感じで、後任が決まるまでは勤められるだろうと思っていました。

しかし、そううまくはいかないものです。
理事長は私が辞めることを知るとあからさまに冷たい態度をとるようになりました。
例えば、私が挨拶するとめんどくさそうに「あぁ」というだけか、抑揚のない声で「おはよう」と返事をするだけで、他の職員とは明らかに違う態度をとってきます。私は相手によって態度を変えるようなことはしないので、以前と変わらずニコニコと接しているにもかかわらずです。
また、理事長は私に話しかけなくなりました。彼が私に話しかけるのは文句を言うときだけなのですが、それがなんとも首をかしげるような内容なのです。
例えば、月曜日の朝、仕事用の車に理事長の私物が大量に乗っていたため、荷物を載せるために男性職員におろしてもらったら、勝手におろすなとかおろした後の置き方が悪いとかいうのです。私からすれば「月曜日に使うことが分かっている車に私物を乗せっぱなしにしている理事長が悪いし、おろしたのは私じゃないから知らんがな」としか言えません。土日に時間があったんだからおろしておけばよかったんじゃないのと。
このほかにも、言いがかりとしか表現できないような小言が何度かありました。

きちんと仕事さえできれば関係ない。私はこれまで通りの姿勢で仕事を続ければいい。そう考えて私は、理事長が無視しようが不機嫌な態度を取ろうが、気にせずニコニコと明るくふるまい、元気よくあいさつし、利用者さんにも他の職員にもこれまでと同じように接しました。
嫌がらせによるストレスは、それを無視することで緩和できます。ですが、ゼロにはできません。じわじわとストレスがたまり、心身の調子も徐々に悪化していきました。中途覚醒と早朝覚醒がほぼ毎日起こるようになり、体は重く、気力も意欲もなくなり、趣味の創作活動やゲームが一切できなくなってしまいました。明らかに鬱の兆候です。

ただ、仕事中は笑顔で過ごせるし、ちょっとした冗談を言って笑うこともありましたし、以前ほどの元気さはないものの動くことができていました。おそらく、私に鬱の兆候が出ているなどとは誰一人思わなかったでしょう。私自身、意欲や気力がわかないのは電池切れのようなものだと考えていたくらいです。

診断


話が前後しますが、辞めると決める少し前に健康診断があり、胃と肺レントゲンに要検査が出たため内科の受診を予約していました。その後、理事長に怒鳴りつけられ体調が悪化。胃の不快感や疲れに加え、ぼーっとするなどの自覚症状があると訴えたところ、一度神経内科を受けてみてはどうかと勧められました。
自分の症状はストレスによるものではないかという考えはありましたが、若年性認知症や脳の問題である可能性も否定できません。そうだとしたら命に関わることもありますから、精神かなり心療内科なりを受診するのはそちらを否定してからでもよいだろうと思い、時間やお金はかかるものの神経内科を受けることにしました。

退職の意思を伝えた数日後、神経内科を受診。
私は体調不良に加え、睡眠の不調や話を聞いているのに内容が頭に入ってこないこと、集中力の低下などについて話しました。
すると、神経内科の医師は「話している感じだと、脳に問題はなく精神的な原因ではないかと思います。検査をすることはできますが、おそらく何も出ません」と言い、精神科の紹介状を書きましょうと言ってくれました。
私は少し残念なような、それでいてホッとしたような複雑な気分でした。少し残念に思ったのは「自分が何か重大な病気で余命いくばくもない身であれば楽になれるな」のような受動的希死念慮があったからで、ホッとしたのは「命に関わる病気はないのだ」と安堵したのと、精神的な重荷を下ろすことができるという見通しが立ったためです。今思えば、この時点ですでに限界来てますね。

自宅から最も近い市内のクリニックあてに紹介状を書いてもらったのですが、予約の電話したところ対応が非常に悪く「ここはダメだ」と感じたため、夫が通っていて私もお世話になったことがある病院に電話をしました。
受付の方に受診したい旨を告げると相談員という方に代わり「どのような状態か・何があったのか」をしっかりと聞いてくれました。聞いてくれることが嬉しくてボロボロ泣きながら半月後に後に予約を入れました。

短いとも長いともいえるこの期間、以前と変わらぬ明るく元気な姿で仕事をこなし、家では何をする気にもならずボンヤリと過ごすという状態を続けていました。気力と意欲は日に日に失われ、創作活動は停止、毎日やっていたゲームもできなくなり、受診一週間前には寝る以外は食事と仕事だけという状態になってしまったのです。
このころには、後任が決まるまで時間がかかりそうだから年内いっぱいで退職という方向に変わり、先行きが見えてきたのがせめてもの救いでした。

もうすぐ診察を受けられる。少しは楽になるだろう。そうすれば年末まではもつはずだ。
そう思っていた受診二日前、理事長による嫌がらせを立て続けに二度も受けました。何かがボキッと折れたような気分になり、その日のミーティングで「もう無理だ、今月いっぱいで辞める」と伝えました。
翌日は出勤中に涙が出てどうしようもなく、しかしどうしても人がいないので出なければならない状態であったため気力を振り絞って仕事をしましたが、午後から出勤の職員が来た時点で精魂尽き果てて早退しました。

病院では問診と簡単な診察だけですぐに「明らかに鬱病。休職して。期間はどのくらいにしようか?」といわれました。そんなにすぐ診断がつくほど、明らかだったんですね。

現在の悩み

こうして、診断がついて休職し、そのまま退職となったわけですが、問題は山積みです。
まず、収入が全くなくなったこと。さらに、半年ほどで退職したため失業給付金も退職金も出ません。つまり、シンプルにお金がないのです。
だというのに、鬱病ですからほぼ働けません。単純作業であればなんとかなりますので単発アルバイトであればなんとかなりそうですが、それですら気力を振り絞らないと厳しい状態です。
車のリース契約を解約することはできません。私はもともと自分の買い物はしないので、毎月の支払いと言えば食費と保険、あとは家族のために買ったものの分割払いや医療費ですので削るのは困難です。

何とかしなきゃなぁ…というところで、今回は終わりです。長くて暗い話でしたね。いやはや全く困ったものです。

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