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わが家に野良ちゃんがやってきた!


第1章(偶然の出会い)

 3年前の9月のある休日だったと思う。まだ、夏の気配が空気を支配している秋と夏の狭間だった。いつものように、愛犬をつれて、散歩にでかけた。その日は何故か散歩コースを変えてみたくなり、いつもとは違う公園まででかけた。公園内は、爆竹のような子供たちの声があちこちで響いていた。そのときだ。道路脇の植え込みの中から細くてまっすぐな視線を感じた。眼をやる。
そこに1匹の子猫が座っていた。
まわりでうるさく騒いでいる子供たちにも動じていない。毅然とした眼差しを私に向けていた。そのわずか数秒間が、のちに思い返すと運命ともいえる出会いだったのだと思う。
子猫といえど、かなり大きい。4~5ヶ月くらいだろう。内心、”えっ、こんなところで生きていけるの?”と思った。愛犬はスタスタと前に向かって歩行を進めている。私の足は前に進み、私の視線はその子を追いながら、その場を立ち去ることになってしまった。
それから、何故か気になり、同じ時刻にその辺りを愛犬と散歩した。会えずに1週間が過ぎた。ある日の深夜、夜に行っても会えるわけもないと思いながらも、また公園に行ってみたくなった。深夜は、子供の声も車の音もしない、静寂だ。愛犬と共に公園に入る前の道にさしかかったときだ、7~8メートル先に小さく背を丸めて佇む子猫のシルエットが見えた。うすぼんやりと道を照らす街灯の下に浮かんでいた。”あっ、いた!”その子猫は、道路の真ん中で、真夜中の自由な空気を満喫していた。近づいても、逃げない。薄暗がりの中で猫の眼は光っている。
その眼で、また私をじっと見ている。すでに知り合いかのように。
ようやく、私の中に納得するものがあった。”あ~、この子猫は、ノラちゃんが産んだんだ”と。しばらく立ち止まり、お互いの存在を確認し合って、私は帰宅した。

翌朝、目覚めてすぐに思った。あんな無防備な子猫が、家もなく、家族もいない。どう考えても、そう長くは生きられないはず。この世の中は、それほど、野良猫にあまくはない!
あの子猫が頭から離れなくなっていた。

結局、朝、午後、夕方、あの公園まで、行ってみることにした。
朝、昼は見つけられなかったが、夕方6時くらいに行ってみたら、あの子猫を見かけた。
どなたかが公園の一角で、野良ちゃんにご飯をあげてくださっているようだ。あの子猫も、そこで、ときどき、ご飯にありつき、生命を繋いでいるのだろう。
そのエサ場には、数匹の野良さんがやってくるようだ。縄張りの親分のような大きくて、厳しい顔をした三毛の雄猫もくる。数日通って、植え込みに身を潜めていると、野良猫たちの生きる裏社会がみえてきた。
あの子猫に兄弟やお母さんはいないようだ。

あの子猫を保護するべきか、悩みながら、家にもどった。
わが家には、すでに、シェルターから引き取った1頭の雑種犬と近所で保護した2匹の雑主猫がいる。
もし、今回も保護したら、”猫3匹か~” と世話をする我が身を憐れんで思わず声がでた。
ちょうど自宅にもどってきた息子に、子猫を保護するべきか!迷っている気持ちを話した。
即答だった。”連れてくるしかないんじゃない!”と。
私の背中は、押されてしまった。それも、勢いよく、ポン!と。


第2章(捕獲作戦!拍子抜けの成功)

 保護すると決めたからには、急ぐべきである。翌日の夕方6時少し前、あの公園のエサ場に出かけた。猫を病院などに連れて行くときに使う細長い猫専用のバスケットとカツオの猫缶を持って。うまく捕獲できるかどうかもわからないのだから、まあ、ダメモトでいいかな~と、努めて気楽に考えようとしていた。
公園についた。まだ、どなたも餌を持ってきてはいない。こういう時は手ぎわよく行動しなければならない。バスケットの扉を開け、その中の一番奥に、お皿に移したカツオの缶詰を置いた。こんなことしても、入って来るわけもないのにと思いながら。10月中頃の午後6時は、かなりうす暗い。公園の街灯がすこし向こうであたりを照らしている。
カツオの缶詰をバスケットに仕込んでから、1分くらいしたときだ。
私は地面にヒザをついて、左手側にバスケットを置いて、真上についた取手を握り、右手は扉をすぐさま締められるように膝の上で待機させていた。
うんっ?、足元のすぐ目の前にあの子猫が現れた。さーっと私の前を横切り、バスケットの中になんの躊躇もなく入っていった。まさかの出来事だった。私の右手は、反射的にバスケットの扉を閉めていた。そのガチャという音を聞いた子猫は、パニックになった。バスケットの中で大暴れしている。たぶん、身体はカツオまみれになっているに違いない。私の家まで、近道をすれば5分。ガクガク揺れ動く猫バスケットを落とさないように気をつけながら、自宅まで足早に歩いた。脳裏によぎるのは、半信半疑のまま、また、家族を増やしてしまった。あ~、つい心をはやらせて、よく考える前に行動してしまう。この自分の浅はかさを憂いていた。しかし、両手はしっかり、子猫の入ったバスケットを抱きかかえていた。


第3章(野良猫を、我が家へ)

 うまく保護ができたら、当面はゲストルームに入れておくつもりでいた。今思えば、その考えがおろかだった。我が家には、犬用の大きなケージがあるのだから、その中にしばらく入れておくことを計画するべきだった。後悔先に立たずとはこういうことである。
生後4~5ヶ月とはいえ、一度、野生になってしまった猫が、どれほど、大変なのか!代々1ヶ月前後の小さな仔猫を保護していたので、その大変さを経験していなかった。人間の数ヶ月とは大違い。猫は12ヶ月で20歳になるのだから、4ヶ月違えば、人間の7~8年にあたいする。この仔猫にとっては、この拉致は、生まれてはじめての大変な恐怖だったにちがいない。バスケットに入ってきたのは、それだけお腹が空いていた!ということにすぎなかったのだ。
ただ、私とはじめて出会ったとき、何かしらのシンパシーを感じてくれたことは確かだと思う。

ゲストルームに入り、バスケットから出した瞬間、その子猫は張り替えたばかりの白壁を爪で駆け上がり、天井にぶつからんばかりだった。それを何度となく繰り返し。すごい声で鳴き叫び。排気口から逃げられないかと、排気口の穴を爪でゴリゴリ。穴のまわりの壁紙をビリビリに破き、暴れるだけ暴れて、ベッドの下に隠れてしまった。私が2~3メートル以内に近づくと、フッーと威嚇してくる。トイレだけは、ちょっぴり我が家の長女猫さんのオシッコがついた砂をいれベッドの下に置いたら、そそうもなく使ってくれた。
う~ん、手強い。これは、一生ダメかもしれないと思った。


第4章(野良猫から、りっぱな飼い猫へ)
こうなったら、寛容と忍耐しかない。私は、自分の仕事デスクをパソコンごとゲストルームに移すことにした。とにかく、同じ部屋の空気を吸って、声を聞かせて、私の匂いをかがせて、何ヶ月かかっても距離を縮めるしかない。覚悟をきめた。
それから、忍耐強く、毎日、食事を運び、トイレを変えて、2ヶ月くらい経ったある日。
仕事も一段落して、パソコンの手を休め、目線を床に落とした。あっ~、いる!
私の座るイスの下まで出てきて座っていた。視線が合った。じっくり顔を見られたのは、それがはじめてだった。身体は白黒のブチさん。額はハチワレ。目は黄金色。鼻の下には可愛い黒いちょびヒゲがある。なかなか個性的である。

お正月をまたいで、さらに2ヶ月くらいした頃、猫ジャラシで玉を取ってくれるところまできた。一瞬、頭を撫でさせてくれたりもする。これぞ、忍耐のタマモノ。
半年がすぎた頃には、ゲストルームから出てきて、家族みんなでリビングで過ごせるようになった。しかし、触ることはできるが、抱っこはできない。
抱っこができるようになったのは、1年が過ぎた頃だ。

3年過ぎた今は、眠るときは、私のベッドで一緒に眠り、昼間は仕事をしている私の膝の上でゴロゴロくつろぎ。家族の誰よりも偉そうである。
名前は、「エリオット」。私の中では、空から舞い降りた妖精!のイメージ。これも、空から降ってきたインスプレーションで名づけた。

半年が過ぎて、獣医さんにも連れて行けた。そこで判明したことがある。
エリオットは女の子。猫エイズをもっている。心臓にも肝臓にも影がある。獣医さんの診断では、いつ死んでもおかしくない!そうである。
現在は、毎日クスリを飲ませ、食事療法も行っている。どこかが悪いとは思えないくらい元気である。ただ、他の猫より、圧倒的に体温が高い。何かのウイルスと闘っているのだろうか。

私は、毎晩、眠る前に、エリオットの頭をな撫でながら話かける。”今日も、生きていてくれて、ありがとう”と。
彼女は黄金色の眼で私の眼をくい入るように覗き込みながら、撫でている私の手を頬ずりする。

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(あとがき)
日本中には、数えきれない野良猫が生きている。彼らは、過酷な環境で毎日を生きながら、子供を産み続ける。だから、自然淘汰されても、その数はいっこうに減らない。
その中のたった1匹を救うことに意味があるのだろうかと。私は自分に問う。ジレンマである。
でも、こうも考える。
”エリオット!” きみが、棲む家をもたない全ての野良猫の代表として、みんなの分も幸せに生きる!それが、今のママにできる、ベストなのだよ、と。

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