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弦が切れるその日を待って。

足の裏に張り詰めた弓の弦がある感覚が、子供の頃から2.3ヶ月に1度の周期である。
それは今にも切れてしまいそうで、歩くのすら恐れを伴う。
切れても構わないと、思い切り走ってみたり、背伸びをしてみるが、切れた感覚は一度もない。
きっとこれは切れない弦なのだろう。
でもたった一度、この弦を切ってみたくてしょうがなくなる。
切れたらどうなるのだろう。
血が大量に出て、何かしらの筋が切れているのは安易に想像できるが。
弦は空洞なのだろうか。神経は通っているのか。私が醜女になることなど容易いのだ。
なんの脈絡もない文言を入れるのは、女特有のヒステリックであると思う。
それを悪意なくしてしまう女の気持ちも、嫌悪に感じる男の気持ちもどちらも分かる。
だから私は問うのだ。無意味で不毛な議題でも。
分かり合いたいのだ。押し付けだとしても、1%でいいから寄り添って欲しいのだ。
ある日突然私が醜女になる可能性を、0.01%も感じていない貴方の背中を、たった今眺めています。
唐突で不毛な議論を持ちかけては、誠実さを推し量る私の醜悪さを、どうか許さないで欲しい。
ただある日突然私が、到底私に見えない容姿になったとしても、許し愛する覚悟は持っていて。
それはタラレバなんかではないのだ。
弦がプツンと切れるように、私の醜形恐怖も終わりを迎える。
私は私の美しさを知っている。何故なら全てコントロールしているから。
美とは強迫観念だ。偶然や流れの中に美は存在しない。
だから私は今の美しさと同じだけ、醜くもなれる。
それは便器に吐き出すか若しくは排泄した、あの食い物たちをこの体に留めていれば。
私は一人ではない。
酷く醜い女が、今も私の背中合わせにいるのだ。
弦が切れるその日を待って。

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