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私が世界と思っていたのは「私の目」が見ている世界だったという衝撃

みなさん、こんにちは。

私は大人になってから(といってもずいぶん前ですが)目が悪くなりました。
ホームの時刻表の字がぼんやりしている。私こんなに見えなかったっけ?
片目を手で塞いでみる。もう一方も塞いでみる。どちらもよく見えません。
眼科に行って測ったところ、1.5だったはずの視力が0.2になっていました。なんとなんと!

今は、もう慣れてしまったため、普段は裸眼で過ごし、投影された映像や文字を見る時だけ眼鏡をかけています。

中学生の頃、担任の先生が、先生の友達の視力が4.2だという話をしました。

「みんな、視力4.2の世界って想像できるか?」
「視力4.2? アフリカの人?」
「日本人や。ホームに立ってるとするやろ。向かい側のホームに立ってる人の新聞の字が読めるんやで。」
「うそやろ?」
「ビルの4階から、1階を飛んでるハエが見えるんやで。」
「はえ?」

衝撃でしたので、視力、階数といった数字は今も覚えています。

大学の頃、友達どうしのグループで神津島に行きました。
夜になると満天の星がとても綺麗でした。
当時、私の視力は1.5
深い意味なく眼鏡をかけたらもっとよく見えるのではないかと思い、友達に眼鏡を借りて空を見上げました。

満天!というよりも、ボードに粉ふるいで粉をシャーーーーッとまいたくらい、隙間なくお星さまが見えました。
「星ってこんなに、こんなに、あるんだぁ」

私が世界と思っていたのは、「私の目」が見ている世界でした。
中学の担任の先生の話を思い出しました。
私が視力4.2であるならば、この世界は別世界。

夜空は、満天の星で真っ白。
テーブルの上は、埃で真っ白。
花びらは、フォルムよりも花弁にある細かな筋が見える。
手や指も、細胞の集まりように見える。
看板は、大きなロゴよりも細かな説明が気になる。

色々違う。
色々見えると、色々気になる?
生活も思考回路も大きく変わる。

生きる上では、重要なこと選び、間引くことも大事だと思います。
見えすぎちゃうと、選ぶことが多くなって悩みが増えるのではないかしら。

私は相当大雑把な性格で、比較的生きやすい人だと自覚していますが、もしかすると0.2の視力に助けられているのかもしれません。



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