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多様性を得るために誰でもできること

私は昔から本に囲まれて生きてきた。人生で通算何冊読んだかなんて想像もつかないけれど、今年は例の自粛のお陰で順調に読みまくっている。今読書記録アプリのカウンター見たら今年は今日時点で165冊。

よくそんな暇あるね?と聞かれるけどあるんですよね~暇が。自分でもびっくりするほどたんまり。笑

子供の頃から世界中の本を読んで過ごした。私小学生くらいまで自分についてのほとんど記憶が飛んでて全然覚えてないんです。それにも関わらず幼少期に読んだ本はかなり鮮明に残っている。頭の中の空想とマッシュアップしちゃってる恐れはあるんだけどね。

よく思い出すのは「おちゃめなふたご」で出てきた”アンチョビ”(うちではそんなこじゃれたものは一切食卓に乗らなかったので何のことだか分からず想像して読んでいた)。
作中で、アンチョビじゃなくて間違えて靴磨きのクリームを食べちゃうという話が忘れられなくて。おえ~ってなるシーンがどうしても頭に浮かんで、大人になってもしばらくはアンチョビってゲテモノ的な食べ物だと思ってた。

あとは「クレヨン王国」シリーズ。特に「クレヨン王国の十二か月」と「黒の銀行」がお気に入りでした。「十二か月」では色と月が変わるごとに世界がどんどん変わっていく様に心からときめいたし、「黒の銀行」では”キャッシュカード”が憧れで早く大人になって私もキャッシュカードを使いたい!と願った。

そういうかわいらしい小説を好んだ私が、一番何回も何回も繰り返し読んだのは、「マザーグース」でした。母がくれた可能性もあるし、父がくれた可能性もある。どっちもありえるな~(こういうのは覚えていないんだよねぇ)

和田誠さんの絵も大好きだったし、谷川俊太郎さんの翻訳も素敵だった。それも事実。

でも何より子供心に鮮明だった気持ちは「ナニコレ全然意味がわからない!!!」だった。

ハンプティダンプティが怖すぎた。意味不明だし。壁のヘリに座る意味ある!?卵なのに!もう釘付け。理解ができなくて、できなくて、何回も眺めた。
「誰がコマドリ殺したの?」も恐怖だった。イギリス式葬式の仕方もよく分からない上に、ひんやりとした口調の動物達のやり取りに慄いた。

大人になると韻がどうとか、英語や翻訳のすばらしさとか、イギリスの昔の風習とかそういった説明によって納得できることもあるんだろう。けど子供にとっては大人の理解関係ない。不気味でしかない。なのにとてつもなく惹かれて、手垢まみれでボロボロになるまで読みました。

本を読んでいてこういう「理解のできなさ」に出会うことはしょっちゅう。特に国が変わると本当によく分からないんだよね。文化の違いなんて子供の時分には認識不能だから、この世界ではそういうものかと受け入れるしかない。読んでいてこんなくそみたいな人間もいるのかと怒りに震えたり、こんな素晴らしい人が誰にも讃えられずに死ぬなんてと涙を流したりしたものでした。

「動画やネットは受動的、本は能動的に使うもの」

これは愛子さん(ヴェーダーンタ講師)が以前クラスで仰っていてまさしくと膝を打った言葉です。(愛子さん勝手に拝借しました、すみません事後報告)
本は、そもそも手に入れようとする行為もページをめくる行為も能動的なアクション。1頁目は勝手に私の手の中にやってこない、自らが本に赴かないと。

他者の世界(物語)に飛び込むんだから、同調も共感も反感も違和感も愛情も嫌悪感もそれはもう多種多様に湧くけれども、決して干渉はせずに最後のページを読み終えたらこの世界に戻ってくる。そんな作業をひたすら続けて育った価値観がダイバーシティ=多様性だったと今改めて思うんです。

多様性って何か?

私の肌感では、日本では「ダイバーシティ」「多様性」という言葉だけが先行してなんともふわっとしてる気がする。だからちゃんとはっきりさせておきたい。
現代に生きる私たちにとって多様性という価値観はとんでもなく重要だということを。
じゃあ多様性とは何か?
何に重きをおいて育ってきたかは人それぞれ千差万別であるから、それを否定せずねじ曲げる事もせずに受容し、かつ互いに違う考えを上手に組み合わせて新しい世界を作ろうとする社会的価値観、ではないだろうか。

簡単に言うと多様性とは、相手の意見と私の意見が違っても、まずはその違う意見双方においてリスペクトを持つ。その上で、両方の視点が活かせるよう互いに前向きに検討して新しい何かを生み出すこと。無理して一つにならなくていい。なってもいいけど。

「一つにならなくてもいい」
ページを開く能動性は持とう。他人の物語を自分事として捉えよう。そして読み終えたとき、本から得た教訓が自分にとって必要だと感じたならば受け取って、そうでなければ無理せずちゃんといつもの自分に戻っていいんだってこと。どの本も一冊の本として優劣をつけずに、そしてどの本も忘れずにちゃんと心の本棚にしまっておく。
この本棚の本の数が増えれば増えるほど多様性の価値観が層のように重なり強固なものになる。必然的に、沢山の未来への可能性があなたの手元に増えていくことになる。

私はこれが真の多様性だと思う。(かりそめの、無理強い感の強い多様性が世に横行している気がするから、あえて「真の」をつけてみた)
相手を理解しなくていい、ということではない。理解する努力は必要。でも、理解の範疇は個人に限りがあることも事実だから。理解を試みた結果に対して多様性を持ちましょう。

余談ですが「相手を受け入れましょう」という言葉の質感に惑わされないように。相手を受け入れるたびに自分が不鮮明になっていくようだったら、それは「受け入れる」のではなく、ただ相手に同調して自分の考えを薄めているだけ。受け入れるとはイエスマン(パーソン?)になることではない。

多様性を手に入れる

真の多様性を身に着けようのに、今からでも有効で誰にでも取り組めるのが、本を読むことじゃないかな。やっぱり。
小説でもハウツーでもノンフィクションでもいい。本を読みなれていない人は出来れば紙媒体で読むことをお勧めします。読み進めたページの分量を見て今どの地点にいるのか、これからどれくらいの話量があるのか想像しながら読んでほしいから。人差し指を間に挟んでね。自分の想像と違う結末や結論でも気にしない。むしろ違うから面白いんだし!やられたそうきたか!とね。

文字とイマジネーションで構築された本という他人の人生に興味を持ってみよう。今回の人生では決して得られることのない未知との遭遇があなたを待っていますよ。それってめちゃくちゃにワクワクする!!
本を通して多様性の扉、開いてみようよ。

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