見出し画像

何を基準に決めたらいいのか分からない

自己責任ってなんだ?
一生懸命考えて決めたことでも、
誰かに否定されたら、
もはやどうしたらいいか分からなくなってしまう。
何が正解なんだか、どうしたらいいんだか教えてほしい!

最近そう思う人が多いかもしれないですね。
この前のインスタグラムのアンケートでも、
決断の基準についての質問を頂いたので、ヨーガの知恵に基づいた私なりの答えを書きます。

例えば、あなたがヨーガ講師だったとして。
ヨーガのクラスを開催するか否かを決めないといけない場合。
イベント主催者だったとして。学校の先生だったとして。

決断は二つです。

「するか」「しないか」

以上です。

「する」を選んだらその後に「どうやってするか」がついてきますが、
とりあえずは2択。
こんなシンプルなことに何故何時間も悩んで判断がつかなくなってしまうのか?

それは、判断するときに、
結果を想像してしまうからなのです。

クラスを開催する場合に
生まれる懸念点が頭にどんどん浮かぶ。
開催した後に起こりうる結果が。
特に物理的に発生するであろう費用に関してが、
誰かの見えない声が、意見が、
ツラツラと浮かびます。

開催しなかった場合も同じですね。

それが、判断を乱すのです。
結果を予想し、リスクヘッジするのは大事なことですが、浮かんできた「想像の結果」を一つ一つ天秤に載せて、重さを測るからややこしく見えてしまう。
というか、一番重たいものを選ぼうとする欲が、
どんどん目を眩ませてしまう。

そして、苦渋の決断をしたとしても、
それ以外の結果の選択肢が頭をかすめる。
他の人が言ってた方法の方が良かったんじゃないの?
やっぱりやらない方が良かったんじゃないの?

もっと良い結果を得られる動きが出来たんじゃないの?

そうじゃない。
前提が違うのです。

そもそも、結果は私たち個人が選べるものではない。
私たちが選べるのは、「行い」だけであって、
「結果」ではないのです。

いやいや、何を言ってるんだい。

結果を得るためにこちとら頑張って行動してるんですけどもね。と、なりますよね?

でも、例えばどんなに最高なシチュエーションで愛の告白をしても、相手にその気がなかったらけんもほろろですよ。
「告白する」という行いは選べても、「告白してお付き合いのOKをもらう」という結果は選べません。
結果はあなたの手から離れて、相手に委ねられていますから。

実は、歩くという行為でさえ、
結果が確実に実るとは限りません。右足をあげたら、次は右足が地面に降りる。…はずですが、
足が地面に着く前に心臓麻痺で倒れるかもしれない。
地震が起きて地割れになって足が落っこちるかもしれない。
100%確実な結果なんて、実はないのです。99.9999999%確実だったとしても。

今回、多かれ少なかれ、感じた方も多いのでは。
完璧に準備してきたことが、成功確実と思われてきたことが、新型肺炎のパンデミックでいくつなくなったのでしょう。なくならないまでも規模縮小に終わったことも数知れず。

結果をコントロールできると思ってて、もし自分が期待しているとは違う結果だったら、ガッカリします。
悔しがります。
でも、コントロールできないと知っていたら、どんな結果でも受け入れやすい。

結果を得るために頑張っていい。けれど、私という個人は結果(目的)に近づくことは出来ても、完全にコントロールすることはできないのです。


それを頭に入れた上で、
どうやったらベストな行いを選べるのか?

ヨーガは教えてくれます。結果に執着するのではなく、行いそのものに意識を向けること。そして、個人の欲で行いを選ぶのではなく、今からやる事はすべきかどうかを基準にして選びましょうと。
そうすれば自ずとあなたに必要な結果が還ってきますよ、と。(その結果はあなたが望んだものとは限らないけれど)

つまり、
私が今からすることは、
好き(得たいという気持ち)とか嫌い(避けたいという気持ち)ってだけでやろうとしてるんじゃなくて、
すべきだから(必要だから)するのか?
という観点で考え、行いを選択する。

これが、yogaを学ぶ人の「行いを選択するときの基準」です。

(本当は個人の役割だけではなくて、もう少し大きい目線で「宇宙に調和」しているかどうか、で選ぶ必要もありますが、
これに関してはしっかり誤解なく伝えたいのと、今回はなるべく専門用語を使わずに書きたかったので、またどこか別の場所で。)

好きなものを選ぶ、というのは耳障りがいいですが、
これはとどのつまり「得たいという欲」を達成することです。
欲を基準にすると、どうしても目が「結果」に向いてしまいます。

そうではなくて、すべきかどうか、必要かどうかで選ぶ。
そうすると、やりたくなくても今必要だからやる、もしくは好きだけど今必要ないからやらない、という観点で選べることができます。
そうやって、一つ一つ丁寧に選択を見て決めていくのがヨーガの練習の第一歩です。

その結果はどうなるかわかりませんが、
こういう視点で選ぶと、結果に拘らなくなる自分を見つける方も多いでしょう。
これは大きな力となります。

「人生」とは、絶え間なく生まれる選択の連なりとも言えます。

朝起きて、布団をめくるかめくらないか?
ほら、もう行いの選択は始まっている。いきなりこうやって朝から晩まで全ての行いに目を向けると、一気に目が回ってしまいますね!無理はしないで。
でも、ここぞという時にはどうか思い出してください。

あなたは行いの結果は選べません。
けれど、「自分がすべきかどうか」という視点で選んだ行いは、
少なくともあなたの心を磨くことはしてくれますから。
すべきだからやる!で選んだら、自然とあなたの視線は上を向いていますから。

そして、それだけの思いを込めた人の選択に対しては、
どんな選択にせよきっと恩恵という形としてあなたに還ってくるでしょう。
どんな結果かはわからないけれど、それを楽しみにして待ってみませんか。

行いをヨーガに変える道。
それが、あなたの前に広がり始めます。







よろしければサポートをお願いいたします! ヴェーダーンタというヨーガの学びを通して、たくさんの方に知恵を還元できるよう使わせて頂きます。