見出し画像

広島県旅行の記録 その3(福山市のホロコースト記念館)

はじめに

こんにちは、eiketsuです。先日福山市のホロコースト記念館を訪れたので、そのことに関する話をします。

当時の歴史の概要

1930年代以降のナチスの歴史

世界史上の非常に重大な事件としてよく知られていますが、おさらいも兼ねて概要を記しておきます。
1930年代前半頃から、ヒトラーの率いるナチス・ドイツによる過激なユダヤ人差別が始まりました。その後、第二次世界大戦が勃発した後の1940年代前半頃、ナチスはひたすらユダヤ人を捕まえて、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所などへ送り込みました。そして、ガスや焼殺によって非常に多くのユダヤ人を殺しました。あるいは、比較的健康で働けると判断したユダヤ人に対しては、奴隷として扱って過酷な労働を強制しました。

ホロコースト

この残虐な事件が、一般に知られているホロコーストです。一説では、ホロコーストによって殺されたユダヤ人の人数は約600万人です。ホロコーストは、焼かれた生け贄という意味です。

アンネ・フランク

ホロコーストの被害に遭った歴史的人物として特に有名なのが、当時「アンネの日記」の原作を描いた少女アンネ・フランクです。アンネは直接的に殺されたわけではないですが、飢餓・寒さ・不衛生という地獄の環境に苦しめられ、やがて衰弱とチフスによって亡くなりました。
アンネやホロコーストについて最初に学びたい場合は、小学館の販売したこの学習用書籍を勧めます。私がアンネやホロコーストに強い関心を持ったのは、この本がきっかけです。

ホロコースト記念館について

ひとことにホロコースト記念館といっても、全世界にたくさんあります。今回私が行ったのは、広島県福山市にあるホロコースト記念館です。

ホロコースト記念館の庭にあるアンネの像と、アンネの形見のバラ

この記念館では、ホロコーストに関する様々な資料や遺品が展示されています。印象的なのは、アウシュビッツ収容所の全体的な模型です。
この模型を見たときは、恐ろしい思いをしました。まず、ひたすら延々と規則正しく並んだ無数の無機質な小屋。これらの小屋の多くは、たくさんのユダヤ人を押し込めるための小屋です。何百万人ものユダヤ人を殺戮するつもりがなければ、こんな強制収容所を作るでしょうか?これだけでもおぞましいです。
また、中には人体実験用の小屋もあり、それはとても言葉にできないほどひどいものでした。

ホロコーストについてさらに学んだ内容

ナチスによるホロコーストはなぜ起きてしまったか

これは、ホロコーストに関する最大のテーマの1つです。結論から言えば、紀元後から脈々と続く宗教的な対立・偏見・差別・迫害が特に大きいと言えます。
これまでにユダヤ教以外の宗教の教徒たちは、何かにつけてユダヤ人を迫害してきました。例えば何かの事件が起こると、まったくの根拠なしに犯人をユダヤ人だと決めつけたりしました。他にもありますが、それが伺った話の1つです。

ユダヤ人と、アーリア人至上主義

理由はそれだけではないです。
そもそもユダヤ人とは、1つの定義としては、ユダヤ教を信仰する人や、母親がユダヤ人である人です。ユダヤ人とは別に人種ではないのに、19世紀にある学者が、人種による優劣を唱えたそうです。これが元となって、ナチスによるアーリア人至上主義が大きく推し進められてしまうことになりました。このことが追い打ちとなって、ホロコーストにつながったことになります。
それまで私は、ホロコーストの背景の1つとして1930年頃のドイツの不況が割と大きいと考えていましたが、思い違いをしていました。それはきっかけにすぎなくて、やはり前述した、紀元後からの宗教的な差別や迫害が根本的な背景だと痛感しました。

諸国民の正義の人

ただ、一方で励まされる話を知ることもできました。それは、「諸国民の正義の人」と呼ばれるものです。
これは、当時のナチスがホロコーストを犯していた頃、自身の身の危機にも関わらずユダヤ人を助け出した人のことです。他にも条件があって、例えばユダヤ人を助け出すことに対する見返りを求めないこと。そしてそれらのことが、他の人による証言などに基づいて認められることなどです。諸国民の正義の人として認められた方は、全世界で約27,000人になります。日本人で唯一該当するのは杉原千畝です。詳しくは、Wikipediaなどをご参照ください。

私がこの話から励まされた理由の1つは、そのような偉大な方々も数多くいらっしゃったことです。そして何よりの理由は、このような制度が設けられたこと自体です。なぜなら、このこと自体は、自らの身の危機にも関わらずに、見返りなしに誰かを助けようとする行為を称賛する方がいたことになるからです。私は、そのような制度の存在自体を初めて知り、感動しました。

今回発信したいこと:歴史の熟知の必要性

ここからは、別の重要な本題になります。今回ホロコースト記念館を訪問・見学して特に意を強くしたのは、歴史をもっと深く理解していかないといけないことです。

ホロコーストに限らない、歴史全般の理解不足

今まで自分なりに学んできたホロコーストでさえ、今回の訪問・見学で新たなことを知り、ショックを覚えました。ということは、ホロコーストに限らない歴史上のあらゆる出来事も、まだほとんど理解していないことになると思います。

歴史を知らずに、的確な方向に進むことはできない

少し別の話になりますが、例えば人生や仕事で、的確な方向性を模索する場面があると思います。その際、自分自身の今までの経緯をきちんと把握していなかったら、的確な方向性を模索できるでしょうか?できないと思います。これは、試しに昨年以前のあらゆる出来事を失念や誤認識してしまったと仮定したら、容易に想像がつくと思います。
これと同様に、我々が今までよりも的確な方向に進むことを目指すなら、社会全体の経緯である歴史をよく学ぶことが重要だと思います。けれども、前述の通り、私はまだまだ歴史全般をほとんど分かっていないようです。

以上のことから、私はこれからもさらに歴史を深く学んでいかなければ、と強く思いました。

おわりに

今回訪れたホロコースト記念館では、館長の方やスタッフの方とお話ししたりして、とても親切にしてくださいました。本当にありがたく思います。

マロニエの木。アンネが隠れ家から見ていたマロニエの若木から育ったもの。

記事をお読みいただき、ありがとうございました🙇

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?