自分のコンピュータ遍歴

過去のコンピュータ遍歴から自分を説明する試み。

NEC PC-8801
IBM JX
EPSON PC-286
Apple Macintosh Classic/Performa
SUN Ultra
Apple Newton MessagePad

初めてのコンピュータ

初めてコンピュータに触ったのは自宅の居間。ブラウン管のテレビに接続されたNECのPC-8001mk2でした。自分の記憶では幼稚園の時に家に来たと思ったが、発売年を確認すると既に自分は小学校に入っていた。あれ?
先日父親や兄と当時の話をした時に、父はそれはPC-8001だった言い、兄はPC-8801mk2だったとか話しており、その時は「二人とも間違っている」「自分の記憶だけが正しい」などと心の中で思っていたが、このnoteを書くにあたり可能性のある機種の発売時期やスペックそして本体画像を調べつつ記憶を辿ることで如何に自分の記憶がいい加減だったかに気が付いた。
事実は、最初父親がPC-8001を借りてきて、その後PC-8801を購入した様であった。(決め手はキーボード分離型の筐体と8色表示できたはずのグラフィックス性能の記憶。グラフィックス性能の記憶の決め手は当時遊び倒したRPGのブラックオニキス)

ちなみに最初PC8001mk2だと信じ込んでいた時に見たこの記事で、そのショボさに結構がっかりしてました。

この頃はカセットテープで流通していたゲームを正規・非正規問わず兄がどこからか入手してきてそれを遊ぶ以外に、雑誌に掲載されていたBASICやマシン語で書かれたゲームを打ち込んでみたり、自分で簡単なプログラムを書いてみたりしてた。当時のパソコンには分厚いユーザーマニュアルとリファレンスマニュアルがついていて、付属のBASICの説明が充実していたので見よう見まねで画面に色々な図形を描いたり色々やってました。そしてもう一つの教科書の様なものがすがやみつるさんによる「こんにちはマイコン」で繰り返し何度も読んでいた。

幼稚園の時からコンピュータに触れていたと言うのは言い過ぎだったけど、それでも小学生の低学年から家で触れられたのは本当に恵まれていたし親には感謝している。ちなみに、その幸運と引き換えにうちはファミコンのない家になった。

特殊なパソコンとパソコン通信

次に出会ったパソコンはIBMのJX。同世代はもちろんもう少し年上の当時パソコンに積極的に興味を持っていた人たちもあんまり知らない、覚えていないであろうパソコン。後に世界を席巻するIBM PC/AT互換でもなく、日本とアジアパシフィック地域に独自でIBMが個人用途にむけて導入したパソコン。16bit CPUなのにバスが8bit幅で性能もちょっと残念。時期は小学生から中学生の時期だったと思う。

ROMカセットのスロットと3.5インチフロッピーディスクドライブが内蔵で色々出来そうだけど対応ソフトはあんまりなかった。ロードランナーや当時は近畿圏しかなかった信長の野望などのゲームを遊んでいました。他には、初めてワープロソフト一太郎に触ったのも確かJXだった。そして実は重要なのが初めてのパソコン通信。父親がNifty Serveを始めるのに家族のアカウントも作ってくれたので少し触ってみたり良く分からない草の根パソコン通信に繋いだり。

王道のPC-98、互換機でDTMにプログラミング

高校に入った頃、王道のPC-9801の道に進む。と言っても高校生なりに吟味した結果、EPSONの互換機PC-286VFを手に入れる。しかも自室に。


そこから一緒に手に入れたRolandの「ミュージ郎」で何か打ち込んでデスクトップミュージックっぽい事をしたり、BASICとアセンブラで色々プログラムを書いたりしてました。特にグラフィックがちゃんとスクロールするゲームが作りたくて、スクロールエンジンとドット絵のキャラクタエディタやマップエディタを作って楽しんでました。BASICではどうにも遅かったので描画部分はアセンブラで、しかも自己書き換えのルーチンを組んでBASICから呼び出したり。この頃は高校の授業中にノートにアセンブラのコードを書いて、家に帰ってから入力したりしてと楽しく夢中でプログラムを書いてました。でも結局ゲームは出来上がらず、と言うかエンジンで満足してしまってた。

CPUは80286だったけどBASICから呼び出すだけなのでプロテクトモードを扱える訳でもなく8086互換のリアルモードで8086にセグメントアドレスだけ少し意識する程度で使ってました。この頃のおかげで大学でC言語を使い始めてもポインタで躓くことがなかったのは良かったと思ってます。
その頃から実家に残っている本棚がこちら。

画像1

そしてMacintosh

大学に入った頃だったと思うけど、家族共用で家にMacが来ました。確か最初はColor Classicで後にPerformaの何かだったと思います。

ただMacではこれと言って何かをした記憶があまりなく、多分インターネットが普及し始めていた時期だったのでWebブラウジング中心だったのかなと思います。ただこの頃もNiftyはやっていて後述のNewtonと絡んでFNEWTONに入り浸っていたし、Newtonの母艦やほんの少しだけやったNewtonアプリの開発環境として使っていた感じです。

大学ではWorkstation

理工系の学部に入り、最初に演習で使っていたのは機種は忘れたけど文字通りの「端末」で5席くらいある長机に本体が一つ画面とキーボード/マウスの端末が5台と言う構成でした。2回生の頃には演習室のコンピュータも入れ替わって一人1台のSonyのNEWSになりちょっと速くなって嬉しかったのを覚えています。3回生からは研究室に入る様になり修士課程までずっとSunのUltraシリーズを使ってました。
研究では非線型偏微分方程式を扱っておりその数値計算をやっていて、修士課程の頃は当時のマシンで1回の計算に数日かかっていました。(並列化はやってなかった)計算の状況をインターネット経由で家から見られる様にして、計算が終わったら大学に行く様な事もしてました。他には数値計算の本質関係なく、X Winodw/Motifで凝ったGUIを作り込んだり。この頃はC言語のみでした。

そう言えば研究室の奥から誰も使っていないNEXT Cubeが発掘されて、使えもしないのに嬉しがって自分の席に置いたりしてました。(高価なPostscriptビューア)

Newtonとの出会い

高校生の頃に雑誌でAppleのNewton MessagePadという手に収まる未来のコンピュータを知った。PDA(Personal Digital Assistant)と呼ばれペン入力で操作するそのコンピュータは、assist機能をはじめとする先進性を愛嬌のあるUIに包んで登場し僕は心を奪われてしまった。それから雑誌や立ち上がってきた日本のユーザーコミュニティーで情報を入手しながら、やがて大学時代にMessagePad 120だったか130だったかを手に入れた。

Newtonについては技術的にも哲学もそして文化としても本当に沢山の思い出と思い入れがあり、ここでは語り尽くせないのでまた改めて書きたい。

ちなみにこんな記事が出ているのに今更気が付いた。泳げる頃はまだ来ない。

NewtonではNewton OS上でNewton Scriptで簡単なプログラムしか作っていないのでCPUは意識していなかったが初めて触れたARM CPUを使った端末だった。そして最後に使ったMessagePad 2100で使われていたStrong ARM SA1100が会社に入って最初に関わった試作ボードで使われていたのも思い出。そしてその後自分が関わる製品は全てARMアーキテクチャのCPUだった。

Newtonに出会った事で人が手に持って使うものを作りたいとの思いを持ち今の会社に入ったり、その時出会ったユーザーコミュニティの人の一部は今でも繋がっていて本当に自分の人生に影響を与えたと思う。

最後に僕の好きなNewtonの記事。


その後

その後はプライベートではiBookからMacBookを、会社ではWindows PCを使い続けているけどある種普通のものでしかない。コンピュータという切り口では、携帯電話/スマートフォンの話もあるがそれはまだ別の機会に。

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