デ・ラ・ソウルのドキュメンタリーです。
放送時期:1995年
※動画を再生してから読むのがオススメです。
1988年、MTVはすべてラップのコーナーを始めた。
それはすぐに成功を収め、ラップの視聴者がメインストリームのロックの視聴者と同様に、人種や階級の壁を越えて広がっていることを示した。
しかし、ロサンゼルスからMTVが放送を拒否したビデオを持つグループが現れた。
彼らのラップはギャング戦争や女性蔑視の物語で重かった。
彼らは自分たちをN.W.A.、Niggas With Attitudesと呼んだ。
彼らのレコードでギャング暴力や性差別をあおると非難され、FBIからさえも反警察の歌詞で警告されたが、アイス・キューブやドクター・ドレーを含むいわゆるギャングスタ・ラッパーたちは、単にロサンゼルスのストリートでの生活を描いているだけだと主張していた。
一部のラッププロデューサーが品位の限界を試そうとしている一方、ロングアイランドの郊外からデ・ラ・ソウルが登場した。
彼らのアルバム「Three Feet High and Rising」はラップミュージックにメロディとユーモアをもたらし、郊外での経験から生まれたより楽観的な世界観を提供した。
ここにいることで、違う光を見ることができた。
つまり、ブロンクスに住む人たちは毎日犯罪を目にし、地域社会の問題に毎日直面していたかもしれない。
ここにいることで、俺たちの考えが広がっただけだと思う。
騒音や犯罪、他のラッパーたちが話すようなものに囲まれず、心が乱れていなかった。
最初のアルバムは、実験をしまくったんだ。
そんな感じだったよ。
やりたい理論や概念は決まっていたけど、何かが起こったら、たとえターンテーブルにミルクをこぼしても、それがカッコよければそのまま残した。
それが僕たちのやり方だった。
最初のアルバムは、ウッドストックや60年代を連想させると多くの人々に言われ、その時代を取り戻していると感じられたが、実際には関係なかった。
自分自身でもそれについて何も知らなかったんだ。
でも、それが人々にそんな印象を与えたなら、いいじゃん、問題ないさ。
それが人々の記憶を呼び戻して、僕たちの音楽に入り込んでくれるなら、うれしいよ。
デ・ラ・ソウルがどんなものかという独自の視点を持っていたけど、ヒッピーじゃなかったんだよ。
人々は僕が黒い肌だと言って僕をけなすと思っている。
僕はそれを知っているから、Qティップに指をさして、彼は黒は黒だと言う。
デ・ラ・ソウルもまた幅広い音楽からサンプリングしていたが、タートルズからの100万ドルの訴訟、裁判外で解決されたものの、彼らや他の人々がより慎重になることになる。
彼らは音源にわずかな変更しか加えておらず、我々にとっては侵害行為であり、音源の独占権を侵害している。
今は、叫び声であろうと音楽の1小節であろうと、すべてクリアしないといけないんだ。
だって、弁護士は最初にアルバムで一緒に座るんだよ、レコード会社の弁護士とか、そして彼らが言うんだ、「この時点では、あの誰だっけ、ハーブ・アルフォードはもうラップが好きじゃない」って。
彼はお前からのサンプリングを望んでないんだ。
彼のものに手を出すな、さもなくばハーブ・アルフォードが前金で8000ドル要求してくるぞ。
それを払いたいか?
彼らは何が起こっているかを教えてくれる。
触れない方がいい人や、触れるならお金を払わないといけない人のリストがもらえるんだ。
まず、レコードや音楽をサンプリングするんだ。
訴えられそうなものはサンプリングしないように気をつけるんだ。
ターンテーブルにレコードを置くんだ。
ラップのパイオニアたち、例えばグランドマスター・フラッシュは、手でねじったターンテーブルを使ってレコードの短い部分を再生していたが、デ・ラ・ソウルのようなグループは、現代の電子機器を使って曲の小さな部分をキャプチャしていた。
レベルを取得するんだ。
サンプルがカットされる。
サンプル編集に行く。
割り当てたチャンネルに、レベルを最大にして、サンプルを開始したいところまで編集する。
そして、できあがりだ。