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40代は、『不惑』ではなく、『惑う』年頃。

40代は、『惑わない』年頃と言われます。人生経験をある程度積み、自分の人生において、迷いが無くなることを意味しますが、自分の40代を振り返ってみると、『不惑』どころか、『惑いっ放し』の10年間でした。

それは、公私共に、様々な展開が待っていた日々となりました。

仕事面では、一言で言うと、『自信の芽生えから喪失、苦しみ、停滞、そして、新たな門出』と表現出来るような10年間でした。

40代のスタートは、天職にしようと、社内公募制度を利用して臨んだ研修会社でのコーディネーターの仕事でした。

幹部候補生研修を担当することになり、ちょうど、自分と同世代の受講者たちをサポートしながら、自身の学びにもつながる日々は、充実感に溢れ、「この分野で生きて行こう!」と思っていました。

しかし、自分自身にも矢印を向け続けて、サポートしている内に、「もう一度、今の学びを活かして、最前線で勝負がしたい!」と強く思うようになり、上司に志願して、社内の花形事業部の営業職、それも韓国担当という、全く未知の分野に転進することになりました。

そこからが、思いも掛けない、苦しみの毎日のスタートとなってしまいました。

自分らしさを発揮出来ず、行動が守りに入り、主体性を失って、それまで築き上げた自信は、瞬く間に、崩れていきました。

結果、特定の関係者から批判を受けるようになり、「これ以上、信頼する上司に迷惑掛けられない」と思い始め、自ら事業部を去り、地方のグループ会社の職場に出向しました(工場の福利厚生業務を受託する会社の管理職)。

そこでも、落下傘的に異動して来た私に対する風当たりは強く、4年間在籍した内の3年程は、自分の存在が確立出来ない感じでいました。

そして、迎えた4年目にようやく、職場のリーダーとして、周りから認められて来たところに、最初の営業職時代の縁で、工事会社の営業職としてオファーを頂き、今の会社に異動出来ました。自分としては、まさに、新たな門出となりました。

プライベートでも、『惑う』時間が続きました。

夫婦関係の悪化が進み、上記仕事での苦労と重なって、一人暮らしを選択したのは、43歳の時でした。

そして、48歳で離婚。高校生から社会人となる大切な時期に、そのような不安定な両親の関係に直面させてしまった息子に対し、今でも、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

趣味のランニングでも、大いに惑いました。40代直前で、20年間続けて来たマラソンでの進歩に頭打ち感を感じ、初心に帰る気持ちで、今も所属するマスターズ陸上の短距離チームに加入。スプリンターとして再出発しました。

結果として、チームメンバーとの実力差を早々に感じるようになり、マスターズ陸上におけるスプリンターでの可能性の無さを察知して、再び、長距離に戻ることになりました。

その頃から、「自分が築いて来たランニングに関する知識と経験を伝えたい!」との思いが強くなり、徐々に、他の市民ランナーに教える機会を持つようになりました。同時に、37歳で始めた中学校陸上部のコーチも、47歳まで続けました。

そして、40代最後の半年で、現在、監督を務めている会社のランニング部の前身であるサークルに参加。今も続く箱根駅伝の完走イベントを立ち上げるに至りました。

以上、私の『惑いっ放し』の40代について、お伝えしました。その後、50歳で再婚。新たなパートナーと人生を歩むことになりましたが、上記40代の惑いが無ければ、順調に結婚生活を送れていないと思っていますし、このように、ブログで発信することも出来なかったと実感しています。

今、57歳という年齢に至っていますが、遅ればせながら、『不惑』の境地へ歩みを進めている思いです。








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