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食べるとは奪うこと

第6回目は食べることについてです!
 
 
 
ご飯って毎日食べますよね。 

3食ちゃんと食べる人もいれば、朝食べないという
人や5食食べるという人もいると思います。食べ物
を摂取しないと人は生きていけません。

 
では何を食べてますか? 

肉、魚、野菜、穀物など、いろいろなものを食べ
ていると思います。ベジタリアンの人やヴィーガ
ンの人は、食べる食べ物の種類が少ないと思いま
す。動物を殺すのが可哀想だからという理由(?)
で肉や魚は食べていません。(違ってたらごめん
なさい、、)

 
僕、ベジタリアンの人やヴィーガンの人の考えっ
て、ほんとにその通りだと思うんです。生き物を
殺すのは可哀想です。僕も、生き物を殺すときは
良心が痛みます。
 
 
 
 

僕たちが普段、何気なく買っている肉や魚は、全
部死んでいます。
死んだものを食べています。
ということは、誰かが殺したものを、普段食べて
いるということですね。

ただ自分が殺していないというだけであって、僕
らは常に殺しているんです。 

 
 
 
殺している実感がないから、「奪っている」実感がなくなるんです。

 
 
もし僕らが食べているすべてのものを、自分で殺
していれば、多分、食べ物を残すことはできない
と思います。
 
なぜなら可哀想だから。
 
元気な姿で生きていて、死にたくないと叫んでい
る彼らの姿を見たら

 
 
悲しくて、申し訳なくてしょうがない。

 
 
僕は実際に、自分で鶏を絞めて、食べたことがあ
ります。
僕が殺した鶏は、死にたいなんて微塵も思ってな
かったはずです。
 
でも僕に殺されました。
 
そのとき、僕には命を奪ったという罪が生まれた
と思うんです。その罪を償うために、僕は彼(彼女?)をきちんと食べました。

命を奪った時点で、僕には「食べる責任」が生ま
れたからです。

 
 
 
 
 
自分が奪われた側に立って考えるとわかりやすい
と思います。
 
自分が食べるために殺されて、そのまま捨てられ
たらどうですか?
嫌じゃないですか? 
自分は何のために死んだの?って聞きたくなります。
捨てるくらいなら、生かしたままにしてくれても
いいんじゃないか?っ言いたくなります。
死んだらなにも聞けないし、言えないんですけどね。

 
 
 
誰だって生きていたいんです。
 
どんなに死にたいと思っている人でも、首を吊っ
たり、溺れたりしたら、もがくんです。
精神がどんなに死にたくても、肉体が生きていこ
うとしている証拠だと思います。

そんな生き物を殺して僕らは食べています。
食べるためには、生きていくためには、奪うしか
ない。
生きようとしているものたちを殺すしかない。
奪ったからには、その奪った命の分まで生きてい
かないといけない。
その命を背負って生きていかないといけない。
 
 
僕たちの命は、そんなたくさんの命の上に成り立っているものなんです。
 
 
 
 
 
 
 

ここであなたに質問です。

 

「そのたくさんの命の分まで、胸を張って生きていますか?」

  

自分一人の命のほうが、そのたくさんの命たちよ
り、精一杯生きていると言えますか?
僕は、その命たちに胸を張って生きていけるよう
に、日々を過ごしています。
 
 
それこそが僕が負うべき責任だと思うから。

 
 
 
 
 
 
 
 
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