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ダイエット哲学:若返りたいなら〇〇を手離そう

【ダイエット哲学:若返りたいなら〇〇を手離そう】
  
今日は日曜日だしつらつらと
自問自答して気付いたことを書きますね。
(めっちゃ長文です。覚悟して!)


お時間ある時に読んでもらえたら嬉しいです。
一部の江口ダイエットファンに届くといいな。
(だいぶターゲット絞ったな)



私なりのダイエット哲学でございます。


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▼ 思考が老いるのはDNAレベルで抗えない
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身体が老いるとかじゃなくって、
思考が老いるのは絶対抗えません。


だって、生きる上で「学習」することが
生存戦略で大切なんだもの。



しかも、それは細胞レベルで行われてて
意識しようがしまいが行われている。



たとえば免疫なんかもそうですよね?



ウイルス・細菌が身体に入ってきた。


「おっ。こういう形か。
 じゃあ、この抗体かな?」


として、生き残るために戦うわけですよね?


学習 = 効率が良い = 無駄を省く


学習の末路は知っていますか?


無駄を省きすぎる、これはもう「衰退」です。



完ぺきになればなるほど、バカは出来ない。
アクシデントの時に無駄なバカが出来ないのは危ない。



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▼ 人に頼れない人
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この学習の末路の落とし穴に
はまっている人をたまーにみかけます。


「だんなが昔ながらの亭主関白。
 私に謝ったことなんて一度もない。」

「うちの嫁は○○で、ほんとうにどうしようもない。」

「子どもには迷惑をかけたくない。」


先ほどの通り、
誰しもが老いるんですよ。


今の所、身体も思考も老いる。


だから、いずれは私もあなたも「衰退」する。


たすけてー!


ヘルプミー!


それって、持ちつ持たれつ。


人に頼れなくなる状況・環境をつくるなんて苦しいよ。


「謝れない」なんて苦しい。



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▼ 小さな「役割」なんて手離しちゃいな
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人に頼れなくなる時、
きっとそれは「役割」を演じているから。


この「役割」って良い面・悪い面があって、


良い面 → 行動を起こす源


悪い面 → 自分を追いつめてしまう時もある


たとえばー。


私だったら仕事だと、新人で入職して
必死に学んで目の前の患者様を治療する。


そしたら、ぞくぞく後輩が入職して
今度は教育をしていく。


教育ができるようになると管理職になる。


管理職なんてタイプじゃないと
前々から思っていたんですが、
この時「役割」を演じました。


演じるって言葉はきく人によって
違和感が出るかもしれないけれど、


きっと的を得ていると思うから
そのまま使うね。



「部下の話をヒアリングするには
 どんなリーダーでいたらいいのだろう?」


そうやってリーダー論や
コミュニケーション論を勉強し直したのは、
これは良い面ですよね。



自尊心・自己肯定感・承認欲求


みたいなものは誰しもが持ち合わせているし、
成功への道を歩みたいじゃないですか。 



ただ一方で、
責任感に押しつぶされそうになって
初めての管理職でうつ病になりかけた時もあります。


あの時のあなたはおかしかった。
寝言はいつも「すみません。」ばかり。
と、妻が教えてくれました。


泣きながら上司に「もう、できません。」と
辞職を願った日もあります。



とまぁ。こーんな風に
仕事にプライベートに
「役割」って大人になるにつれ、増えていきます。


ただ、その先って知っていますか?


私はご年配の方とよく話したり、
教えて頂いているから知っています。


~~~~~~~~~~~~~~
時が経つにつれ増えていった「役割」は
さらに時が経つと強制的に手離される
~~~~~~~~~~~~~~


老いってそういうことです。


身体も心も老化はおきます。
自分の知らない間に。
その時にいつまでも「役割」にしがみついては
いられないんです。


半ば強制的にしがみついたとしても、
早かれ遅かれいずれは強制的に手離されます。



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▼ 若返る人はこうしている 
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身体が老いたとしても
この人は心が本当に若いなぁ。


ハッピーだなぁ。


そういう方もいるじゃないですか?
(もちろん、そうじゃない場合もいっぱい見てきてます)


その差ってなんでしょうか?


それは「役割」を上手に手離しているんです。


いい例で言うと、子離れでしょうか。


私なら二児の父です。


父という「役割」を演じています。


それを子供たちが中高生になった時、
いつまでも父親をやっていたらどうでしょう?


子ども達からすると「うざい」でしょうね。


社会がみえてきて
自分もいつかはひとりの社会人として
「役割」を半ば強制的につけられる。


そんなプレッシャーがうっすら感じる中、
自分でも自立したいけれど、
経済力はまだ未熟。


気持ちを発したいけれど、語彙力も表現力も乏しい。


それをトップダウンのように、
上から支持される父親を演じているやつがいる。


そりゃ「うざい」ですよね。


反抗期って言葉は親目線ですよね。


あれは反抗じゃなくって、
自立への成長期です。


社会人として認めつつ、
サポートしてあげる時期なやつです。


「父親」なんてちっぽけな役割は
手離しちゃえばいいんです。
(その場になったらできるか分からないけど)



と言う具合に、
早々に「役割」を手離しちゃえる身軽さって
強くないですか?



その身軽さこそが「若返り」老いない秘訣なんだと
最近気づきました。



さらに気付いたことがあって・・・



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▼ 受信者を常に探している
──────────────

ただ、誰だって身軽に
もしかしたら血と汗と涙の結晶である
「役割」かもしれない。


仕事だったら超重要な役職は、
本人や周りを殺し合いの一線を
戦い抜いての「成功」かもしれない。


それを身軽に手離せますか?


会社って自分の子どもって例えられます。


その会社を身軽にぽーんっと
他人にあげられますか?


あげられる人を一人知っています。
キングコング西野さん。
本当に凄すぎます。


普通、できない。


手離したが最後
「自分が自分じゃなくなっちゃう。」
そんな気さえして、
認知症やうつ病になっちゃう人だっているでしょう。



でもね。


最近、気付いたんです。


手離される人はこれに気付いているんだって。


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生命として存在している限り
発信者という「役割」から逃れられない
===============


決して手離せない逃れられない「役割」
「役目」とも言うのかな。
それがあるんです。


「発信者」だということ。


言葉を発していなくても、
ただただ座禅を組んでいても、
その場にいるだけで「発信者」になっちゃうんです。


生きているだけで
どんな形にせよ
発信しつづけている。


そして、人・モノ問わず、
私たち人間は受信者を探しつづける。


「発信者」という役割を果たせる環境づくりの方が
どんな役割よりも大切であって苦しみから解放される道です。


逆の視点から言えばね。


最高のおもてなしって「受信者」になること。


みんながみんな「発信者」という役割を
果たしたがっているのだから
「受信者」になれば100%喜んでくれます。


何かをプレゼントしたり、
豪華絢爛きらびやかなものを見せたり、
そういうこともいいけれど。


そうじゃないこともいい。


ただ「受信者」になる。


それが相手へのプレゼントになるってことですよね。


最近、それに気付きました。


長々とすみませんでしたー!


それらしいことをちらっと
患者様に言ったら
「江口先生は哲学者なんだね。」
って人生で初めていわれましたけど、


ただ考え過ぎちゃう
そんな大したもんじゃありません。


明日はライトでポップな
投稿にしまーす♪


ということで本日は以上でーす!


今日と言う日とは今日のみ。
自分なりに面白い1日にしていきましょう♪
それではまた明日!


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