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新社会人の過去の自分へ

【新社会人の過去の自分へ】

これを読む皆さまが学生ってことはないと思うんです。

なんせ私のブログテーマはキャリアアップを謳っておりますから。


何かしら自分の仕事をスキルアップしたいとか、
別の稼ぎ所・キャッシュポイントを増やしたいとか、


20代~30代前半な方なのかと。
(もともと後輩のために始めたこともあり)


私自身、30代後半に入りまして、社会人になって10年以上経ちました。


子供も2人おりまして、
下の子は小学一年生になりました。


ランドセルを担いで、
うきうきルンルンで通っております。


「いつだって1年生」


そういう気持ちで下の子の通学姿をみて
自分自身そうありたいと思っています。


親になって下の子が6歳の時の「1年生」だし、
社会人になって10数年の時の「1年生」だす。
(だすって)



でも、新社会人になった過去の自分に授けたいものもあります。


そんな動画をしっかりと作ろうと考えてぼやっとしている今です。


その構成となるヒントを散りばめた今日のブログにしようと思います。



ぼやんとした内容になってしまうけど、
何かしらの「1年生」の方には参考になるかもです。


宜しくお願いします。


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▼ 社会人とは
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学生と社会人の間に何があるのか?

「価値を生み出す」

授業という言葉からも“与えてもらう”ことがあります。


今までは何かを与えてもらうことが主だった。
(もちろん、それでも与えることもありつつね)


そこから与える側に回ること。



相手に“与える”



それが社会人なのかと思います。


一体何を与える?価値とは?


過去の投稿で「価値=聴くこと」と述べました。
(えらそーにすいません)


「聴くこと」は確かに価値ですが、
どうにも解像度が低いですよね。



もう少し深掘りするために「伝統文化」を紐解きました。



いやね、何かを生み出す。ってことは偶発的な部分もあるでしょうが、
ちゃんと残っている、継承されているってことは普遍的な部分が隠れ潜んでいる気がしませんか?



いいね!やヘイト集めの情報にも価値は生み出されますが、すぐ廃れます。



アンパンマンが「文化」となり、続いている。
ほぼ8割以上の子ども達は少しだけでもアンパンマンを通ってくるんじゃないかなー。



じゃあ、アンパンマンが途絶える時はくるのか?


面白いテーマじゃないですか?



これを知れれば、どんな文化が残るのか、どんな価値を生み出せばいいのか。
何か見えてきそうじゃないですか?



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▼ 残る文化はどんなものか?
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「伝統 残す」で検索してヒットした面白い記事をご紹介します! 
漆塗りの文化をクラウドファンディングで残そうと奮闘されている記事です。

↓↓↓


https://readyfor.jp/projects/urushiyui/announcements/100687




読む時間の無い方のために私的に要約するとー。

・関心は決して高くない学生たちに「伝統は本当に残すべきか?」を問うた。

・「残すべき」では残らない。義務感で窮屈。

・自然に湧き上がる愛着のバトンリレーを作る要素は2つある。

・① 全体を紡ぎ直すこと(例:里山から食卓までの水の循環)

・② 価値/変えるは、還る。/生き甲斐を感じること。



ここで私が感じたのは「お金」と「想い」を両立しないと、文化は紡がれない。ということ。


ちょっとムズイですよね?


私はそれまで「価値」という言葉が一つなばかりに「~とは。」と一つの正解を見つけようとしてきました。


いや、正確に言えば「価値=聴くこと」に間違いはない。
でも、価値が続く=文化となり、残る。には1要素では成り立たないということ。


だから、しっくりこなかったんですね。



「文化を紡ぐ」とは「お金と想い」の2要素がないと成り立たないものみたいです。


具体例をあげるとー。


冒頭お伝えしたアンパンマン。


ぶっちゃけ楽なんですよ、親が。


8割以上の子ども(2~3歳)アンパンマンみせておけばキャッキャする。


NHKの“お母さんといっしょ”も“いないいないばぁ”も今後もなくならないでしょうね。


かつ、おもちゃやグッズでお金は回る。


親は自分にはお金かけませんが、子どもにはかけますからね。 


楽ってだけじゃなく、そりゃ想いは崇高なものじゃないですが、子どもの発育に少しでもプラスになりそうなものを取り入れている気分にさせてくれます。
テレビばかり見せるな、というよりは「親子のコミュニケーション材料」になっているでしょう?



多くの人が「救われた」という実感を獲得できる文化が残ると思います。



想いだけでは食べていけないし、
食べるだけでも想いがないとむなしい。



「救われる」にはお金/想いの両面が必要なんです。


しかも、登場人物は2人以上。
親子・師弟・などなど。


教育のコミュニケーション材料に必須なわけです。


その視点からすると、

・宗教
・茶道
・歌舞伎 

などなど


それぞれの文化が残っている所以と、存続が危ぶまれている理由が見えてくるかもです。
(えらそーにすいません)



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▼ 古くなっていくと価値が出るもの
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新しくできた神社が安っぽく見えて、古い神社が神々しく見えるのって何でですかね?


普通の概念なら、新しくてきれいなものに価値があるでしょう?


そう考えても価値観って様々で面白いですよね。


子どもの頃には気付けない価値観がゴロゴロころがっていて、でも人間万国共通して「いいね!」という価値観が垣間見えたりして。


子どもの頃に気付けない、わけでもないか。
むしろ気付けていて心躍っていて、大人になると気付けなくなって、それを再獲得しながら表現方法を磨くというか。


子どもの頃には「表現」ができないだけかな。



その視点からも社会人っていうと「表現者」になる1年生でもあるのかな。



とかく、その表現を重ねていって「救われた」という実感を重ねていく。
できるなら多くの人の「救われた」を。



その「救われた」=お金/想いの両面が重なっているのが透けて見えるから、古くなればなるだけ価値が出てくるんでしょうね。
↑ 
これ大事な文よ。



救われた想いだけでは一瞬。


そこにコミュニケーションツールであるお金のエッセンスを交えないと、紡がれない。



宗教なんかはそこら辺、ガッツリがっちり押さえまくってますよね。


悩みを解消してくれる心の拠り所なわけだから、それに毎年のイベントと掛け合わせている。
人生のイベントにも。
・正月
・お盆
・結婚式
・お宮参り
・七五三


かつ、お守りを含めて「思い出してもらう」キッカケづくりにも余念がない。


うーむ。宗教すごし。



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▼ 自分の使命を見つけよう
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表現者の一年生。

自分で書いてて「なるほど」なんて思いました。笑


それにしても、時代は熟成されるほど、どんどんポジションは奪われて。
インフラ整備が整いまくっているこの時代は新地開拓などない気がして。 


さらに、日本のマーケットで言えば少子化で、数を稼ごうにも未来が見えない。


こんな状況で新たなる価値なんてあるの?


そう暗いイメージで苛まれる「社会人1年生」の私達ですが、
(10年以上でもいつだって1年生の気持ち)
未来への活路は見えるものでもなく、もがいて見出すものらしいです。


そこで大切なのは価値=聴くこと。


ただ、注意しなければならない点が一つあります。


相手の悩み・ニーズを聴くことに正解がないということ。


私たちの社会は「正解」を出すことに教育が重きを置かれていました。


それはそれで大切なことですよね?


点数以外で実力を推し量れるものなんてないし、正解がない世の中は、羅針盤がない海や山の中を歩いているようなもの。



でもでも、学校の外。


つまり「与える側」に回った時にある世界は「正解がない」ことばかり。


相手の悩みに答えるのが「正解」じゃなかったの?


そうなんです。


そこに「正解」はないんです。



じゃあ。。。



じゃあ、どーしたらいいんだよっっっ。



もう、何も残されていないじゃないか...。



。。。そんなことはないんです。



あるんです。



というか、元からあったんです。



忘れているだけなんだと思います。



自分達が幼少期にキラキラしていたあの気持ち。



あれって何ですかね?



やっぱり冒頭の話の「想い」「生き甲斐」になるんでしょうね。


そこに「お金」「コミュニケーションツール」の循環を掛け合わせる。



それがその人それぞれの“使命”なんだと思います。



その“使命”を表現する方法を私たちは模索しているんでしょうね。
一人じゃない場合だってあります。



そのワクワクの達成のために“株式会社”が存在しているように。



あなたの役割(手段)は何ですか?


手段(役割)を探しているのは何でですか?



その根本には「使命」があるはず。


かくいう、私の使命は“身体(環境)が変われば、心が変わる”をお伝えすること。


元々、健康分野で生きてきている人間ですからね。
(リハビリ、整体、ヨガ、スポーツトレーナーなどなど)



その手段としてドリンク断食を使って、食=コミュニティを手放す体験を届けること。


食べなきゃ死ぬ。本当の死は“孤独”です。


4月の新社会人になっていくこの季節に1年に1度、思い出して欲しい。


~ねばならないを壊す。手放せる大切さと。手放したからこそ気付くコミュニティの大切さを届ける。



その表現方法を探っております。



動画で届けられたらいいと今は考えているんだけど、これまたなかなか進まんです。



今分かっていることは、最高の商品にはしてはいけないこと。
というのは語弊があるか。
自分自身(商品)にポイントが入ると言うより、作品(使命)にポイントが入るようにすること。


作品は別の言い方をすれば、コミュニケーションツールだったり、空気を味わせる環境だったり、文化・ブランドだったり。
もう何か察してください。
(なげやり)


最高の商品にはお客様が味わうからこそ、成立するように「作品」には環境だけ設定させる。
そういうものを作りたい。



(はぁ?何言ってんの?)



格式高き評価者が自分のフィルターに染めたいがゆえに、メッセージの交換を無視して、正論ぶちかまして非難してきたりします。
それがもしかしたら自分自身だったり...。


こわいですよね、表現するの。でも。



もがき、あがく。



表現者1年生(いつだって)



お互いがんばりましょうね。

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▼ まとめ
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☆ 社会人とは「与える側」にまわること

☆ 残る、続く、繋がる、紡がれる「文化」には「お金/想い」が両立すること

☆ 自分の使命を表現することこそ「与える側」の人間

自分の使命と向き合うのは、自分の嫌な面も直視することになるだろうし、裸の自分を評価されることにもなるから怖い。怖いけれど、がんばりましょうねー!!


ということで本日は以上でーす。


※  サムネ画像は特に意味がないです。
9歳娘が病院診察待ちで暇な時に描いた「富士山」この頃のワクワクを思い出して表現していきたいですね♪


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