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退職とガパオとゲラゲラ人間

 本当に毎日書いておけばよかったと思うほどに、この数日で私の世界の現実が大きく動いたので、おおきなことだけかいつまんでお送りします。以前は自分の脳内をすべてさらけ出すことに抵抗があったのだけれど(ほんとか?)、文としておもしろいとか、何か気づきがあったりとか、誰かの人生に一瞬でも楽しい時間ができれば最高だし、単純に私が楽しい。

退職宣言をいつするのか問題

 最近の私の思考の大きなトピックだった退職宣言問題。5月末に自分のやりたいことがわかって、退職する意志は固まったものの、いつ職場に申し出るかがずっとしっくりこなくて決められずにいた。
直感でくるものもなく、思考もピンともこなかったので、どこかのタイムラインの私が決めてくれるんだろうと思って、意図してお任せ。

「職場に退職の意思を気持ちよく伝えられる瞬間を教えて」

私が目的に対してやれることは本当にこれだけ。
余計なことは一切考えない。たまに頭をかすめるけど全部無視。
あとは毎瞬心地のいいことをやり続ける。お湯を飲んだりゲームしたり本を読んだり。
それから、どんなことがやりたいか、どうだったら最高かのデータを自分の中に蓄積していく。

新しい出会い

 話は変わって、私が受けているコンサルのコミュニティで知り合った熊本出身の女性が、最近関東から熊本に引っ越したことを知り、これもご縁!と思って勇気を出しておランチにお誘いした。快諾してくださり、当日を迎える。この時の私はどうにかして雇われから自営業に踏み出した人のお話が聞きたかった。

 この方、長らくケアマネをされていたのだけれど、上記のコンサルをきっかけに、唐突に歌いたい!という気持ちからFacebookライブで歌を歌い、オリジナル曲を持ち、会場を借りてライブをし、離婚し、仕事を辞め、実家に帰り、来月には鹿児島の結婚式もできるような素敵な所でライブをするとのこと。勢いがえぐい。。今後は夢を叶えるライフコンサルタントをお仕事にされていくそう。

母上以外に個人事業主とお話しする機会のなかった私、いろいろと衝撃を受ける。どんなかしたところ公務員グセが抜けないので(一応まだ公務員)仕事となると資料を作ったり、システムやパッケージを構築してからじゃないと何も始められないと思っていたことが判明。そうじゃん。なんでもできることから始めればいいんだった。。。やだ~やりたいこと始めよ。。はやく開業届出したいし、もう仕事さっさとやめるって言おう。と思って帰りにふと携帯を見ると久しぶりに職場の上司からメールが。

「今後について悩まれていましたが、その後いかがでしょうか」

ウワ――――――!!来た!!

 先月の面談でやめることも視野に入れてます。とだけ伝えてたけど、言おうと思った今の今で連絡来るのは絶対今ってことでしょ~~~~~!
この感覚に絶対の信頼を寄せて生きる楽しさは本当に言いようがない。

そしてここで焦らない(重要)。
この瞬間ですら今何がしたいかを自分に聞く。
おうちに帰ってゆっくり返信を打ちたい。
→トイレ行きたい
→おなかすいたからなんか食べたい
→を延々繰り返して実際に返信を送ったのは翌日の夕方。
結果めちゃくちゃエネルギーが乗ったメールを送って、電話して最高の気分でお買いもの。
さらにその翌日に面談の提案を受けて了承。
意図したのが6月初旬、連絡したのが11日、ランチが15日。流れが速い気がする。
これでひとつ心の中のトピックが終わった。これについてはあとは流れるままに流されるだけ。

望みとエゴの話

 退職宣言問題と同時並行で考えていたこと。
私がたどり着いた宇宙の話を仕事にしたい。

 自分の本当の声が聞こえること、(大体の人が自分の気持ちと思っていることは本当の声ではないことが多い)それに沿って生きていくことの楽しさ、自由さを、生きづらい人はもちろん、自分の人生をしょうがない、こんなもんだって思っている人にそうじゃないよって、ついこの間までもう終わりだー!と思ってた私でも何にも努力しなくてこんなに変われたから大丈夫だよ、全部自分で選べるよって、本当に伝えたい。
何より私はこの話をしているときがどんな娯楽よりも一番楽しくて、うれしくて、何時間でもできるししたい。とずっと思ってた。

でも、もう10年近く母上とはこの話を探求してきたけど、家の外でこんな話はできないとも思ってた。だって宇宙の法則の話なんてとっても怪しすぎませんこと??

 そう思ってたけど、結局我慢できなくなっちゃって、最初は小学生からの友達に赤本を教えて、少しお話をして、もともと自己肯定感エグめの女の子だったから今ではその子はほしいものをガンガンに手に入れまくって毎日楽しく過ごしてる。

そうやって生きていけてると聞いたとき、うれしくて、仕事がうんんぬんより先に私は身近な人が幸せに過ごしていることは私の幸せの一部なんだなとその時思った。
だからまずは、大好きな友達たちにこの話をしようと思った。

…違う。
本当はみんなとこの話題を共有したかった。
幸せに過ごしてほしいのだって本音だけど、私はこの話で盛り上がれる仲間が欲しかった。
エネルギー回してやりたいことやって、3次元も全力で楽しみたい。
一人でこれをやるなんてもったいない。みんなで優勝したい。
それが私の望みだった。でも途中で気づいた。
それって私にとってはめちゃくちゃ怖いことだ。

もし、まったく受け入れられずに疎遠になったらどうしよう。
メンタルおかしくなって頭もおかしくなったのかもしれん。とか、
現実逃避するやつってスピリチュアルに走りがちだよね、とか思われたくない。。数少ない大事な友達たちにこそ言わないほうがいいかな。。

もうね、昨日さんざん自信満々に何時間もしゃべっておきながら2週間前ぐらいまでこんな感じだった。笑う。

指輪のときも同じだけど、これって無力感や恐れからくるエゴなんよね。
このエゴて実はめちゃくちゃ相手に失礼な話で、この思考は自分の考えをまわりに押し付けてることと全く変わらない。

「受け入れられなかったらどうしよう」
→掘り下げていくと、根っこには友達に自分のことを全部受け入れてほしい。という意識があることに気づく。
 そもそもこの話を聞いて受け入れるか受け入れないかは相手が決めること。それを勝手に決めつけて相手の意思決定の機会を奪うとか、全然その人のこと信用できてない。
さらに突き詰めると、この受け入れられなかったらどうしようは、自分のことを受け入れきれてないから湧き出てくるもの。
そもそも自分ですら受け入れていない自分を他人に受け入れてもらおうなんて、むしが良すぎる話よね。

きっとその言葉だけを聞いたら、ただの自信無い風に聞こえるけど、実際はなにより傲慢で自分勝手な考え方。無意識下とはいえそんな気持ちを抱えながら接するなんて、自分は本当にその相手を友達と思ってるのか?(自戒)

つまるところ”こういうのが好きな自分”にどこか引け目があるから、その意識がエゴになってそんな真っ当っぽい言葉で頭の中を支配してくる。だからやりたいことにブレーキをかけてしまう。

 これに気づけた瞬間、散々自己対話をし続けてきてよかったなと思った。そうだったそうだった。まずは自分に寄り添うことからだった。

 そこから、丁寧に時間をかけて、宇宙の話がすきな自分?最高じゃない?と思えるところまでありとあらゆる手を尽くして、受け入れられようがそうでなかろうが、自分の価値は何も変わらない。
そして受け入れられなかったとしてもその相手だって最高だし、相手のその状態が私にとっても最高。ただ単に私の好きな聞いてくれたらうれしいな。そんな風に心の底から思えるようになった。

死ぬほど前置きが長くなったけど(いつものこと)、私がこの話をふんわりとでも言えるようになるまで、こういう葛藤がありました。
めちゃくちゃ具体的な例で、たぶん誰にでも似たようなことってあるんじゃないかなあと思った。(もともと自分に制限がないひとはあんまりないかもしれんけど笑)あとはこうやって文章にすることで私の理解も深まる。

ガパガパガパオ

 昨日当日にお誘いを受けたガパオの会。
これが私にとっては本当にうれしい日だった。ガパオはもちろんおいしいし、そのバジルのために荒尾まで行ってくれてたとか、なんて高級ガパオ。

Ma家+Uで特製ガパオとか、ショコラテリーヌとか、ゲンダッツを堪能してまったりしてたらなんと宇宙の話を聞いてもらえることに。


 全くその話をしようと思ってなかった中、その話題を選んだこと(自分で持ち掛けたんだけどね)にびっくりしたけど、本当にね、うれしかった。
真剣に聞いてくれること、それぞれの経験と照らし合わせて理解しようとしてくれたこと、最初はちょっと何言ってるかわかんないっていうエネルギーからだんだん腑に落ちてってるのが手に取るようにわかったこと、恐れず質問をしてくれたこと、思ったことを素直に言葉にしてくれたこと。そして、そうやってみんなから出てきた言葉がそれぞれが自分とつながって出てきた言葉だったこと。
これは、私のことを理解してくれたからうれしかったんじゃなくて、私がみんなに知ってほしかった感覚を思い出してもらえたことが一番うれしくて。
何だったら私のほうがもらってるもの多くね?って思った。
みんな素地がえぐすきる。理解力と柔軟さの鬼。

自分でも引くほどえげつない周波数で喋ってたね、ちょっと怖い。
気づいたら朝の5時半。帰りの運転は清々しかった。遅くまでごめんね。

あとね、はたさんから言われた、どれだけ私が生きづらかったがわかった。て言葉にめちゃくちゃ救われたし、別人みたいになった私を知ってもらえたこともとてもよかった。きっとこれまで私が気を遣ってた分みんなにも気を遣わせちゃってたなあとずっと思ってて、でもこれからはきっともうだいじょうぶになった。私も皮をむき始めたばかりだし、人間だから、忘れちゃう日も、落ち込んじゃう日もあるけど、日々皮をむき続けて、磨きまくっていこうと思う。


ほかのみんなにも直接話す機会がいつかあったらいいなあと。そう思いながら今日も大好きなおベッドで寝ることにします。おやすみ。

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