雑な考え①

1-1「時間を大切に使わなければという戒め」

ついこないだまではモラトリアム期間などといって残り僅かな大学生活を堪能していた。周囲の友人も等しくそのように過ごしていた。あるものは北海道にあるものは沖縄に、友人間が感じていた気温の寒暖差はすさまじいものであったろう。みな思い思いに限りある時を過ごしていた。しかし、当然終わりはある。気がついたら卒業式になっていた。4年間はあっという間だったと思う一方でもう一度やり直せと言われたら断りたいような満足感もある。まあ、そのようなわけで社会への扉を開いた。実感はなかなかすぐにはやってこない、しかし一体何が変わったのだろうか。大きな門出であることは間違いないはずであるが。まず思う事は、時間が変わった。具体的は配分である。大学時代は多くてもバイトは週に30時間程であり、その他の時間は授業なり遊びなりに割いていた。社会人になってからは少なくとも9時間弱は仕事に割かれる。出社を伴えば10時間程度になるだろう。それが週の5日を占める、言うまでもなく週の大半である。大学生は時間があったんだなと改めて実感した。そのような1週間という時間の配分が変わった。仕事に割く時間が中心になったという事である。まあ社会人というくらいなので当然ではあるけれども。そんなわけで毎日の過ぎるスピードが速い。ビュンビュン過ぎていく。イベントというか予定が仕事のみというのも起因しているだろう。そして1日1日と過ぎるたびに不安になる。今日1日で少しでも前に進めたのだろうかと。なかなか自分に自信を持てない。固定の時間が増えたからこそ残された時間を大切に過ごさないといけないそう強く思う。社会人になる前は、無限の可能性を感じ野心に満ち溢れ楽しみに思っていた。何か大きなことをしてやりたい。そう思っていた。いざ社会人になり日常を過ごすとその野望の大きさと日常とのアンバランスさに目がかすむ。抽象と具体との大きな乖離とも言える。ともかくこの過ごし方が自らの大きな野望に果たしてつながっているのか、自信を持てないのである。かといって何もしないのもよくない、答えはシンプルでどう時間を過ごすのか今の自分の頭が考えられるなかで最善を尽くすしかないという事だろう。毎日24時間から、9時間を仕事で引いて、8時間を睡眠で引いて、3時間を洗顔やお風呂、炊事などで引くと残り4時間。この4時間詰められるだけのすべてを詰めて前進し続けなければならない。それにこそ今後の発展がかかっているのだろう。そう考えると何となく触っているスマホ。SNSをのぞいている時間などが勿体なく思える。

1-2「個性が拍車をかけて強まる」

大好きな小説を読むこと、日記を書くことですら少し贅沢なんではないかと思えてくる。まあそれはいい。社会人になると学生の頃と比較して経済的に安定する。そのため資金的に今までは取れなかった選択も可能になる。自らのやりたいことがお金によって左右される機会が減っていく。(もちろん完全には撤廃はされない。そういう歯がゆさはあるが)そのため、その人個性が色濃く反映されて、まさにその人の人生となる時期だともいえる。その個性の発露たるや今までの何倍もの傾斜で現れていくだろう。y=axのaの部分が急激に高まるそんな感じだろう。例えば5年後に今の友とあったとしたら、かなり変化しているのではないだろうか。あくまでも予想であるが。一方で自らの個性に気が付くことが出来ない人も一定数いるのではないか。そのような人は毎日を格式的に過ごしどこかレールの上にいるかのような感覚をぬぐえないまま日々を使う恐れがある。周囲の自らの人生を生きて過ごすものとの差も年数をまず毎に大きくなってくるだろう。それは何故か、社会人になったことによるできない事の減少に起因するだろう。先に述べたような資金的な話だ。そういうわけで、自らの個性を知覚しそれに従い自分の人生を生きようとするものとそうでないものの差は深まるだろう。だからこそ今一度問いかけるべきだ。「どのように生きたい?」ただ寿命を切り崩すだけの人生は絶対に嫌なはずである。

という様な雑な考えを持ちつつ過ごす。

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