中身

資格の類でも

有資格者以上の知識・技術のある無資格者
資格試験は通れたものの、実際にはアレな
有資格者…が、いないわけではないけど

それでもまぁ
そのハードルなかったら
騙りが上手い人に
都合良すぎる&他諸々の理由から

肩書きが全てではないけど
判断材料として有効なので
公的なお墨付きの必要性を
認識するわけですが

人との関係性の類に
公的なお墨付きを欲する感覚は
ケッコー謎なのです


重要案件抱えている時に
「居てほしい人が追いやられ」
「何でいるの?って人が、でかい面」 
とか…
そーいった事態回避の為に
「今、なんとかなる方法が必要」
という意味なら
わからなくないのだけど

皆が皆そうだとも思えないですし

「権利の不平等」への疑義…も
掘り下げ具合がどの程度か
正直よう分からんのです

…で(あくまでおのれの観測範囲ですが)
当事者・非当事者に関係なく
よく目にするのが
「好きな人と一緒にいたいのは当然のこと」
といった類の主張…なんですけど

まぁ「好きな人と一緒にいたい」…は
自分にもある感覚ですが

「制度」に「お墨付きを与えてもらいたい」
という気持ちは発生しないのですよね
なんで「お墨付き」が欲しいのだろう?
お墨付きが欲しい人は
そこへの疑問や警戒心が無いのだろうか?

「制度のお墨付きを得やすい/
得にくい/そもそも想定されていない…関係性」が
あることに対して
「理不尽」と思うのは(実際、肝心な時に排除
された経験のある人なら尚の事)わからなくない
けど

自分には
「制度や(ある種の)規範意識が
それを実行する理不尽」の方が
より引っかかる…というか

個別の関係性…って
かなりプライベートなことだから

そこへの法・公の介入って
表現の自由…的な意味とも絡めて(?)
「お墨付き篩」がかけられることには
慎重になる気持ちが湧いてしまいます

でもこれ言うと
「単身者のイチャモン」扱いする人
おるのだよね

「反対意見言うのはどうせ
こーゆー人」的
安易な決め付けって
マイノリティへの差別で散々経験してきた
人でもやるんですよね
(よくあることなので自戒込めまくりですが)

単身でなくても「おかしくないか?」と
思ってる人はおるし

あ…「切羽詰まった状況を経験して
ないから、そんな悠長なこと言えるんでしょ」
的な決め付けもあったよなぁ

何故見てもいない
他人の人生を
そうジャッジするのだろう?

自分は
「どんな組み合わせであれ
好きな人と一緒にられたらハッピーだから
制度も認めたらイイとおもうよ」
的な考えにはなれない

その選別・ジャッジは
「制度」のやることなんでしょうか?






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