現実だと、よう言わん

(スポーツに限らないけど)スポ根系
フィクションの

先輩やコーチや…まぁその類のポジから
後輩やら主人公から

「やります/できます」という
実際に実現可能かどうかより
その意気込みの表明…ほか諸々として
このテの
台詞を言わせる(?)流れ…は

読んでいて
燃える場合もあるけど

現実だと

相手がその言葉や意気込みを
求めていることが
汲めてしまえる場合でも

「そんな無責任なこと言いたくない」
自分には

『そのキモい誘導、何なの?』
と、思うことがよくある

ひとによって
言葉の感覚は違うし

少し(今の実力より)背伸びした発言を
することで気合いが入って伸びる人は
いますし

過程/結果…等
どこを重視するかも違うので
そこ求める感覚も
わからなくないけど

ワシみたいなタイプの
ハッキリしない弱腰発言が
多い人間は
根性論スキーな側からしたら

「すぐ逃げを打つ」
「自己肯定感が低い」
「卑屈」

に見えるみたいだけど

そこはそんな単純な話では
ないんだよな…と思う

つーか
「できます」発言したはいいけど
実際はできなくて
でも「できます」って言っちゃったから
助けを求められない人だって
おるやんなぁ

↑後で発覚して
大変なことになったりとかなぁ

迂闊に「できます」と言わないのは
「どうせ自分にはできない」
という意味とは限らないので

立場を利用して
他者に

「聞きたい言葉を言わせる圧」
をかけるより

せっかく強い立場にあるなら
自身の快楽に付き合わせるより
他にやることあると思うのですよね

…あ、ワシが気味悪く思うのって

喧嘩している人達に
仲直りの握手させる人と

同じニオイ(?)を感じるから
かもだな

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