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英賀保の苫編山に登ってきました。

英賀保の「苫編(とまみ)山」に登ってきました。

JR英賀保駅の北にあります(Google Mapより)


『苫編』は「とまみ」と読みます。
漢字の意味を見ると、【苫】は『菅(すげ)や茅(かや)などを粗く編んだむしろ。和船や家屋をおおい雨露をしのぐのに用いる』とあります。
おそらく「苫」を「編」んだ人々が多く暮らした地域だったのしょう。
英賀はかつて、海運や商業のさかんな地域でした。
戦国時代、和船の帆の多くは筵(むしろ)でした。ここで編まれた「筵帆」が、漁や戦でも多く使われ、それを扱った商人が豊かになったのかもしれない……。そう考えると色々なイメージがふくらみます。

こんな感じの里山です。
お稲荷さんの脇を通って頂上へむかいます。
けっこう急な岩道でした。
標識が倒れていました。
藪中の道をぬけて
たぶん頂上だと思います
なにか構造物のあと?

調べてみると山頂には以前、マイクロウェーブの反射板があったそうです。
無線通信用の施設だったようです。


頂上からの眺めです

南には瀬戸内海が広がります。
男鹿(たんが)島と家島が見えます。家島の奥にうっすら見えているのは小豆島かしら?

男鹿島です。採石によって島が削られているのがわかります。
家島の奥のいっそう大きな島影は小豆島かしら?

東北方面に目をやると姫路城も見えています。

↑ 姫路城も見えています。(iPhoneXRの限界^^;)


西へと下っていくと見晴らしの良いところがありました。

英賀の街から夢前川の河口までが一望できます。
秀吉の英賀攻めのさいに、大将だった弟の秀長が陣を敷いた場所のようです。

英賀の街を一望にできる場所ですから、攻めるにも守るにも重要な場所だったのでしょう。

地図がありました
英賀保と港、見えている島々との位置関係です

この地点は山崎山というようです。苫編山の先っぽの方ですから、山の崎(さき)「山崎」ですね。

先にすすむと貯水タンクがありました。
降りていくとお墓とお寺さんがありました。
本徳寺の西山廟所でした。

英賀本徳寺は秀吉による侵攻のあと、飾磨の亀山に移転されました。
その後、大坂本願寺の陥落の経緯もあって、東西に分裂し、その影響は姫路にも及びました。現在、姫路城の近くには船場本徳寺もあります。

山崎口には本徳寺がありました

英賀本徳寺は戦国時代に自律した商工業都市の中心として、豊かな寺内町を形成していました。
信長と対立した大坂本願寺の西の拠点でもあり、海に開かれていた「英賀」は石山合戦に人や物資を多く供給しました。木津川口の海戦や別所氏を滅ぼした「三木の干し殺し」でも兵站をになっていたと考えられています。
興味はつきませんが、そのお話についてはまた考えてみたいと思います。

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