″音素code″と命と「いのち」
命 、「いのち 」の表現の違いについて
今日も、初物のどじょうインゲンを食べました。
初物食いは75日寿命を伸ばす。と云う言伝えがあるので、今年はもう15品位食べたので・・・
1.125日寿命が伸びる!
という事は、34年掛けると?10年伸びたわけだ!
農的暮らしの有り難さをしみじみ感謝!
ところで、命、「いのち」という言葉を
3、11以降よく見聞きされ、又、使われていると思いますが、
この二つの言葉をどうやって使い分けしているでしょうか?
生命の「命」、それを優しく表現する時に「いのち」?、あるいはもっと広がりを持たせた、つまり地球上の全ての命を表す時に「いのち」と使っているのでしょうか?
アヒムサを認識する者にとっては、次の様に考えます。
地球上の全ての生命は、日々刻々変化し消滅の方向に向かう、移ろい行く現象であります。
又、生命現象だけで無く、物質(機械、金属、様々な分子構成物、原子)も同様に億年単位で考えれば、消滅する、移ろい行く物質現象です。
よって、生命(有機物)の現象、無機物の現象共に物質現象といい、
移ろい行く物質現象=「命」と規定します。
それでは、人の心、思い、出来事、はどうでしょうか?それらは全て、
形の無いエネルギー現象です。
その、形の無いエネルギー現象を、想念現象と云い、
これら二つの現象である、物質現象、想念現象を括った存在を、現象界と表現します。
ところで、永遠の「いのち」という言葉よく耳にするかと思いますが、「永遠」は時間を超越した存在であると認識する時、永遠の「いのち」とは【絶対無一の存在】と言っていいと思います。
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その【絶対無一の存在】を色々な言葉で表現すると、
「絶対神」、「真理」、「ロゴス」、「法」、「実在」などといいます
そのことから、「実在」と「いのち」は
同意語であるといえます。
その「いのち」、「実在」を、界という括りで表現すると、実在界といい、
実在界は、大実在と小実在に分けられます。
その、一つの小実在を、[個性ある「いのち」]と称し、簡略化し『いのち』とも表わします。
小実在の一つひとつは、物質、生命からなる物質現象界と、想い等の心からなる想念現象を包合しており、小実在は、現象の数だけ存在しています。
それら無数の小実在『いのち』を包合する大いなる存在が、大実在であり「いのち」でもあります。
『いのち』は、【物質や想念の個性ある「いのち」】でもあるので、その現象が消滅すれば大実在「いのち」に帰する事になります。
よって、私達が通常使っている「いのち」は、大きな括りの実在を言っているのではなく、【個性ある「いのち」】である『いのち』の事の方が多いのでは無いでしょうか。
"いのち"についてこのような認識を持って使い分けて、接して見ませんか。
※
巻頭画像は、1.5mまで成長し、実も充実した、スペルト小麦が、この長雨で穂発芽し、緑の芽🌱が出て、したから白い根っこも出ている有様。 この後、雨の合間をみて仮払い機で細かく裁断し、地に戻しました。
この先も雨が続けば、地に落ちた発芽麦が根張り場を得てしっかり根付き、さらに大きく成長するでしょう。
40〜50cmくらいまで伸ばし、その後、刈り倒し、土にすき込む事で微生物の餌になるでしょう。
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