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Ep.14 書くけど読まない

※夢小説について話している

夢小説っていわゆる二次創作。基本的に既存の作品の既存のキャラクターに対して、全く関係ない夢主というキャラクターを恋人的な位置で配置してその既存キャラクターとの疑似恋愛的なものを楽しむ読み物、だと世間的に思われている、はず。
私は夢小説を書くけど、読まない。読まんというのは、私は普段から他者が書いて公開している夢小説(夢イラスト)もまじで見ない。目に触れて嫌悪するとかではないけど、他者が書いた夢ものはあまり興味が無い。どうしようもなく、なんとなくに過ぎないけど既存キャラがどうしてその夢主ちゃんを好きなのか、どういう出会いがあって、夢主はどういう性格でみたいなバックグラウンドを知らないと話自体を軽くし過ぎてしまう気がするからだ。他者の尺度で見る既存キャラクターってすごいきもちわるい。他者の見解とか尺度とか解像度みたいなものをこれでもか!って押し付けられているようで不気味で好きじゃない。「このキャラこんなこと言わなくない?」と思う時もあれば、思わない時もあるので、そういう「私の方がこのキャラのこと知ってる!」みたいな感情がそれを否定しているわけではないと思うけど、「このキャラ、こんなこと言うのかな」と懐疑的になる瞬間はあります。例えば作品内で悪として配置される人間に食事という神聖な行為をさせるべきかみたいなそのものの概念すらあるし、そういう固定された概念を私が持っていることで夢小説を否定的に見ているのかもしれん。私が持っている固定された概念は作者からするととんでもお門違いだけど、私の中にある私の解釈のその既存キャラクターっていうのは私の解釈があったからこそ好きになったし好きでいるんだし、私がその既存キャラクターに解釈を持たなければ夢小説を書くほど愛することはない。
つまり夢小説及び二次創作って愛じゃない?そもそも原作じゃない時点でこの世に存在する二次創作は否定されるものだけど、原作じゃこんなことせんし、でも原作に無いシーンでこのキャラがどう動いてどう思考しているのか知りたくて、それを勝手に想像することから二次創作は始まる。知りたいなーって思うことはきっと愛で、提供されない部分を自己想像で補ってアウトプットする行為には時間も思考も労力も使う、それって恋人的な扱いで、こんなことするのはもう愛じゃん?って思う。まぁだから私は金を払うことは愛じゃなくて自己満足だなって言うんですけど、歴もどうしようも無い年齢を否定されても私土俵入りしてませんしってなるんですけど。(グッズ買って歴があって二次創作しない人が作品を愛していないと言ってるわけではなく、アウトプットの形次第です。作品を語ったり映画の感想を書いたりすることの延長線上に夢小説がいる。)
これらに関しては私の夢関連の作品も誰かにとってはそうであって然るべきだと思っています。それでも私が知人の夢作品を嗜んだり喜んだりするのはその「知人」そのものに興味があって、文章や言葉の羅列に興味があるからですね。おもしろい。あぁこの人にはこういう解釈があるんだなぁとか、この人はこのキャラのことすっげぇ好きなんだなぁとかそういう。私の知人でなければ、同じ人が書いた作品も別にどうも思わんのだと思う、というか読まん。

うわ、私ってすごい狭い世界で生きてんだね。

これでタイトルにある話はおしまいなんだけど、補足したいところがあるので続く。先の「作品内の悪人が食事という神聖な行為をさせるべきか」という部分についてなんですけど、私は会食恐怖症の気があるのが関係しているかもしれない。
これは全然関係ない話かもしれないけど私は人と食事をするのが苦手、でも1人で食べるご飯の味気なさも大嫌い。だから仲良い人と食べるのが一番好き、というのがあって、知らない人とと一緒に食事をすることがほんとうにできない。知らない人と食卓を共にすると、なぜだかわからないけど羞恥的な心が前に出てきて口を開けられない。それを不思議に思って調べてみたら、食事・睡眠・性は共に「欲」を使用する行為であって人が最も無防備になる瞬間だからだという論文のようなものが出てきて腑に落ちたことがある。私にとっては知らない人と食卓を共にすることは、知らない人と同じベッドで寝ることだし、知らない人と同じベッドで性行為をするようなことなんだなぁと納得した。でもお悩み相談の掲示板には同じ悩みを持った人の質問に対して「誰も見てない自意識過剰」って解答が多くて、私的な考えは少数派なんだなぁというのも知った。
だから私には、食事は自分の弱さを見せたり素の部分を見せる行為であるという概念があって、「悪人の食事シーンは無い方が良い」と思う気がある。素を見せないことで生活感が消えるし、よりミステリアスで、強者感が出る。(でも夢小説って原作でかかれない部分をかく行為だから生活感のあるネタが多くなってしまって、あー!って叫びたくなるほど矛盾してる。)逆に主人公には大口開けてハンバーガーとか頬張ってほしい気持ちがある。食事という行為も主人公の人となりを表現する手段のひとつとして、読者や仲間に無意識に見せて親しみやすさを持たせたい。(傑みたいな善人にも悪人にも取れるキャラはむしろ食事シーンがあって欲しい、闇堕ち(こんな簡単な言葉で済むことではないような事を)しても食事シーンがあることでこの人の中にある善人極まりない精神が見え隠れすると思うから!縫い目にもあったらおもろいな。傑の魂の形だけはその身体にまだ癒着しているんだなって感じたい。)

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