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そこにあるから、

なんにもすることないなぁ、でもこんな天気だ、外に出たら気持ちいいだろうと、とりあえず外出を決める。日光が草木にあたり、木陰をつくるのを日陰で見るのが好きだ。そんなシーンに出会うために今日はどこに行こう。気になっていたカフェか、近くの公園か。なんとなく浮かぶその日の気分にあったイメージと自分の中にある選択肢をすり合わせて決める。

晴れているとそこに行きたくなる。30分早く家を出なくちゃいけなくても、学校に着く前に汗だくになっても、そこに行くのは価値がある。青々とした緑の下を、顔を上げ風にさわさわとゆれる葉っぱをみると、ホワァーとする。ここに歩いてこれる距離の家に生まれた事に感謝さえした。例えば、最寄駅から家までの道を歩いている時、イヤホンから流れる曲を脳内で歌うか全く違うことを考えていることが9割。しかし「そこ」に行くとどんな時ですら、そこの空気を、全体を、感じている事に気づいた。絶対に気分が晴れる。自分でも好きすぎだろ、と思う。 (笑)


4月26日のカフェゼミは飯田美樹さんをゲストに迎えパリのカフェにまつわるお話をたくさん聞いた。飯田さんのお話はパリの人々にとってカフェとはどんな存在であるかや街の中でのカフェの役割など、たくさん気になる要素がポンポンと出てきて、話にどっぷり浸かりたいしつぶやきたいしと、頭の中をまとめられない状態になった...。その中でも、カフェはサードプレイスであり、informal public lifeを生み出しているというのにそそられた。サードプレイスとは家でも職場でもなく、気軽に訪ねることができる場でそこにいけば気分が晴れる、と飯田さんのスライドには書いてあった。ビビっとした。わたしにもそんな場があったから。

わたしにとってそこはカフェではなく公園なのだが、どうしてこんなにまたおとづれてみたいと思うのだろうと、とても不思議に思う。物や人ではなく場にはまるというのが不思議なのだ。場には要素が多い、見た目・利便性・そこにいる人達・居心地などなど。だから一体自分はそこのどの要素に惹かれているのか紐解くのが難しい。トータルかもしれないし、どれかが飛び抜けてるかもしれない。未だにわからない。でも場の大きな力は、絶対そこにあるということだと思う。行くと決めて向かえば、絶対にある。何か嫌なことがあっても、絶対に存在する場は私たちが向かえば受け入れてくれる。その安心感はとても大きいと思う。予定になくてもいい、ふらっと、少しの間でも、いいのだ。場は私たちを包んでくれるような安心感がある。人々がそんなサードプレイスをみつけたら、日々の生活の中にあったら.....。そう考えるとわくわくした未来しか浮かばなかった。改めて場に引きつけられる謎さとinformal public lifeへの憧れを強く思った。



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