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エディアース~作成現場のウラ話~#2
#エピソード2 :エディアース/Edy_earthのイラスト・アートの原点。
(幼少期~高校生編)
皆さん、私の制作部屋にようこそ。
第1回目の
エディアース/Edy_earth誕生の由来編は
もう、ご覧いただきましたか?
まだだよって方はぜひ、
ご覧いただけたら嬉しいです。
さて、第2回目は
私がなぜこれほどイラストやアートに対して
こだわりを持つほどに大好きになったのか、
これまでの経緯をお伝えしたいと思います。
ほんのひとときお付き合いください。
原点
1964年(昭和39年)11月22日。
東京オリンピックの感動も冷めやらぬ頃、
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![](https://assets.st-note.com/img/1701238265464-9hTbincyE7.jpg?width=800)
愛媛の片田舎で産声を上げた私は、
さんぱつ屋を営む両親のもとで育ちました。
実は私の両親は耳が不自由でまったく聞こえません。
でも、そのぶん、
愛情あふれるスキンシップは
惜しみなく与えてもらえたと思っています。
父は幼少の私を喜ばせようと、
新聞広告の裏に鉛筆でひこうきとか、車とか、
ちょっとした落書きをよく描いてくれました。
![](https://assets.st-note.com/img/1700828019353-zvIsKPUdIX.jpg?width=800)
ここに私の原点があるような気がしています。
ちょうど、そのころ時代は高度成長期。
父の店も大忙しでした。
だから私は日中はほとんど、近所に住む、
祖父母の家にあずけられることが多く、
絵本さえ与えておけば
おとなしい、良い子だったそうです。(笑)
そんな環境で育った私は
“イメージづくり” に関する右脳の働きは
一般の人より長けていると思います。
(反対に計算する側の左脳は動きませんけど。…悲。)
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これは本当に父に感謝です。
出会い
マンガを読み漁った
小学生・中学生時代を経て、
絵を描くことに興味を覚えた私は
高校進学と同時に、
美術部に入部。
![](https://assets.st-note.com/img/1700828461004-VHo2UqfsEz.jpg?width=800)
そして高校2年生の春、
運命の出会いが。
新卒で赴任してきた
美術教師O.U先生によって
私の美術意識は大きく開花され、
若い感性が呼応するかの如く、
美術の世界に傾倒していきました。
![](https://assets.st-note.com/img/1700831070388-0N5MqZzuG9.jpg?width=800)
木炭デッサン、陶芸、油絵、グラフィックデザイン…
鉛筆の削り方から、カゲのつけかた、線の強弱に、
はたまた大学生活でのエピソードなど、
私にとっては先生の発する言葉すべてが刺激的で、
次第に先生のまなざしの奥にある世界に引き込まれ、
当然のごとく、美術大学に進学を希望するようになりました。
学べる環境があるってそれだけですごいことですよね。
”絵で飯は食えない”
ところが、思いもよらぬ壁が。
高3の春、個別進路相談があり、
担当の先生に進路の希望を問われ、
私は意気揚々とした気持ちで
美大に進学したいと希望を伝えたところ、
帰ってきた言葉は信じられないものでした。
『夢を夢見るようなことを言うな!』と
一喝されてしまったのです。
一瞬で自分の顔が青ざめたのを今でも覚えています。
担当の先生いわく、
『君の成績なら十分に就職でいける。
浮付いたことを考えないで地に足を付けたことを考えた方がいい。』と。
今思えば、進路相談の先生からすれば、
一人たりとも失敗させたくない思い
だったのかもしれませんね。
けれどエディアース少年の心は
深く傷ついてしまいました。
![](https://assets.st-note.com/img/1701241978765-97A4u4kQYY.jpg?width=800)
ここで、人生ではじめて
”絵で飯は食えない”
ということを知りました。
(これがのちに呪いの言葉となってしまいました。)
そもそも、世間知らずに育った私は、
自分を貫き通す術を知らず、
その時間はただただ、閉じた貝のように
押し黙るしかありませんでした。
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周りの同級生は次第に
次々と進路を決定していき、
私は内心焦るばかり。
『進路相談の先生の言う通り、
就職した方が良いのかも…。』
私は自分の本当の意志に反し、
周りに流され、夢や希望に
フタをしようとしていました。
運命
しかし、運命の女神は私を見放しませんでした。
私の状況を見かねた、美術教師O.U先生が
私を再び進路指導の先生のもとに連れて行き…
『今は商業デザインの仕事も確率されているので
就職の問題もありませんし。本人もそう希望しています。
どうかこの子を美大に行かせてやってください。』
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と助け舟をだしてくれて、
そこからすんなりと美大への進学希望が通りました。
今思えば、今ほど個人の意見を尊重する
風潮もない時代の中にあって、
よく許してもらえたなと思います。
ブレイクスルーってこれほどにも
あっけないものなのでしょうか(笑)
進学を決めた日からは、猛ダッシュです。
私は木炭デッサンをテッテイ的に描きまくりました。
![](https://assets.st-note.com/img/1701499984605-kP802mKpWS.jpg?width=800)
一般の学生なら、これが受験勉強ですね。
毎日消しゴム替わりに使う食パンと木炭を手に、
石膏デッサンを繰り返し繰り返し描きました。
私のデッサン力は間違いなく、
ここで大きく培われました。
そんな努力が実を結び、
なんとか無事、大学に合格し、
新天地で期待と不安を抱きつつ、
キャンパスライフをスタートさせたのですが…
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その時の私には
この後に起きる人生の大波乱が
待ち受けていることなど知る由もなく…
…と、お話はまだまだ続きますが、今回はここまで。
続きは次のエピソードにてご紹介させていただきます。
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いかがでしたか?
今回の話についてのことや、聞きたいことなど、皆さんのご意見やご感想をお寄せください。
ではまた、次のエピソードでお会いしましょう。
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