魂の願いが、人の可能性を拓く。

ずっとメンタルモデルをともに探求してきた仲間の集いがあった。

最終日、その地は雪が降って
交通網が混乱した。

寒冷地に住むわたしにとって
それは「すこし」の雪だったので
一番近い駅までメンバーを連れていくという役を引き受けた。

6キロくらいの距離。
スタックしている車や
交通機関までいく手段がなく仕方なく歩いているひとたちを横目にみながら
仲間たちを合計4組くらい送り届けたのだけど

途中目撃した歩いている人たちのなかで
ベビーカーを雪の中押している家族
薄着でスニーカーの男性二人組
これまた薄着でコートびっしょりな若い女性
歩き疲れていそうなカップル
にそれぞれ声をかけて駅まで届けた。

車では10分のところ、歩いたら2時間〜3時間はかかるだろうところだった。
余計なお世話かもしれないけど
気持ちは「岳」のさんぽさんの気持ち(笑)
「おつかれさま。がんばったねえ」と声かけたかった(笑)

雪道の運転、3時間以上、何往復もして、雪をまとった木々の美しさにみとれながら、、、
そのおかげなのか
会場を出たのは一番遅かったのだけど
一番早く目的地まで着いた。
陰徳を積んだ気持ちだよ(笑)

ーーー

さて、
わたしはずっとこれまで
人はなぜ死に、なぜ生まれ、なぜ、なんのために生きるのかと
ずっと問いかけてきた。
はるばるといえるほどの地にもいったし
ありとあらゆるそのこたえを持っていそうなところに出かけていくほど
そのことは探究しがいのあるテーマだった。

ーーー

同時に
私の中にはずっと
深い悲しみと
まったく理解されないし
「だれもいない」という感覚や
大切なひとは去ってしまって
自分の体のまんなかには大きな穴があいて
すーすーと風が通っているような体感覚が同居していた。

ーーー

地球環境の劣化を目にするたびに
感じるたびに
激しい怒りと悲しみが湧き上がった。
なぜひとだけが
その土地を「自分」のものとして
生きている木をまるで自分のものかのように思い
勝手にその生命を奪って、燃やしたりするってどういうこと?と。

ーーー

だからしょっちゅう、そのことをどうにもできない自分の無力さに絶望していたし、そのどうしようもないことを生み出している人間がまた自分自身で、その人間のシステムが作り出した一部であることにも絶望していた。

しょっちゅう土になりたいとか
あーだこーだと
鬱になっていた。

ーーー
とくにここ5年ほどはひどかった。
ーーー

そんなときからずっと共にあったひとたちと集って
なんだかつやつやして元気だねえと言ってもらって
少し驚いた。
そうだったのか。

そんな友と過ごして思い出した。
それは
痛みも願いもぜんぶぜんぶ
人としての喜びだということ。

ーーー

人の願いもうつくしいが
痛みも
いきるために生み出した世界も
すべて美しい。

心の底からそう思った。

人が
ほんとうにこの世界にうまれた願いをいきたら
どんな世界が立ち上がるのだろう。

そんなことを仲間とかたりあえた
すばらしいひとときだった。

ーーー

それにしても
子どもが離れていると
こんなにも時間ってたくさんあるんだねえと
びっくりした。
自分のことをやりきってもまだ時間があって
いつもなんであんなに時間がなくて疲れているのか
ほんとうに驚いた。

子育てが終わったら
こんなふうになるのだろうか。

そのころはおばあちゃんになってそうだけどね。

ーーー

同時に子どもたちからもらった
豊かな体験にあらためて感謝した。
子どもがいなかったら決して
経験できなかったことを経験させてもらっている豊かさ。

ーーー






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