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ニューヨークの想い(7)

2度目のLAへと戻ってきた。

俳優の夢はどうしたのかって?

 1度目のアメリカ生活で、所持金をすべて生活費で消費してしまったので、やむなく資金調達の為に日本へ一時帰国していたのだ。

1度目は無計画で、移民局に隠れて働けば良いという浅はかな考え方をしていた自分が恥ずかしい。

見つかって強制送還になれば、夢は一瞬にして消える。

帰国後も散々だった。壮大な送別会を開いて送り出してくれた友人たちにも、合わす顔がなかったからだ。

しかし高校時代の親友の鳴海と、ホテルマン時代の悪友、拓ちゃんだけは違った。

鳴海はいつも空港まで見送りに来てくれる。

シドニーの時は大学を休んで。アメリカの時は仕事を休んで。

本当に信頼できる親友である。

拓ちゃんの場合、よくホテルマン時代に当直を抜け出して二人で悪い遊び?に出かけていた大阪のBARで、二度目の渡米前に一緒に飲んだ。

すると彼は思わぬ言葉を口にした。

『俺、実は片親なんだ。母親に育てられたんだよ!』

拓ちゃんが何を言わんとしてるのか、さっぱりわからなかった。

『で!?』

『母親をひとりにできないから、本当は俺も昔から海外へ行きたかったけど、行けないんだよ』

まだ何を言いたいのかわからない。

『で!?』

『だからこのタグホイヤーの時計を持って行ってくれへん。それを腕にはめて写真を撮って送ってくれたら、俺も海外へ行った気分になるから』

なんとも泣かせる話だ。

そんな心斎橋の夜明けが近づいてきた頃。

二人はまたの再会を誓い合って別れた。

そう。今回の二度目の渡米前には色々な友との友情を確かめ合えた貴重な時間だったとも言える。

失敗して戻って来た時には、離れていった友人もいたのだから…

LAに着いた自分はまず、ローヤー(弁護士)事務所へ行き、グリンカードの手続きから始めた。

アメリカではタクシードライバー並みに弁護士がいる。

何でも弁護士に頼むのがアメリカ社会なのだ。

ちなみに料金は当時、1時間100ドル。

少し早口になるのは、弁護士社会で育っていない日本人の性かも知れない…

そしてサンフランシスコに少し滞在し、カナダのバンクーバーへと向かった。

なぜかって?

弁護士事務所では手続きからグリンカード当選の結果発表まで丸1年かかると言われたからだ。

しかし今回は想定内の出来事だった。

頭の良い鳴海が、二度目は失敗しないようにと、カナダで1年間働けるワーキングホリデーのVISAも取っていけ!と忠告してくれていたからだ。

真夜中にバンクーバー空港へ到着すると、

不思議と体が軽くなる感覚を覚えた。

アメリカではいつ襲われるかと、自然と背中にも目がついている感じだったのだが、初めて来たカナダという土地は、その緊張感がスッと抜けていくのだから、安全な国なのが足を踏み込まなくても体が教えてくれていたのだ。

そしてこの国で1年間、グリンカードの結果を待つ事になるのだが、作家になるきっかけを作ってくれた友人とも出会う事になる国でもあった。

その話はもっと先に話す事になるが、まずはカナダでの生活を次回、話すことにしよう…



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