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「日本は過去の成功体験にすがるのではなく、新しい選択肢を探すべき。」 11/8 枝野幸男、早稲田祭で語る

11月8日に、早稲田大学の早稲田祭にて講演を行いました。第一部の講演書き起こしを公開します。

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人生、自分だけではどうにもならないときがある

みなさん、こんにちは立憲民主党代表の枝野幸男でございます。

早稲田祭の企画で、こうして早稲田大学で講演をできること、大変嬉しく思っています。何度も聞いたことある人いるかもしれませんが、早稲田で講演するときのお約束でございまして、今をさること40年、38年ほど前ですね、私は、第一志望の早稲田大学を不合格になりまして東北大学に行きました。その合格できなかった早稲田大学によんで、そこで講演ができると、よんでいただいて講演できるってというのは、いろんな機会によんでいただくたびに喜んでおります。一昨年でしたかね、私もやはりこの学園祭にこさせていただきました。今年は、言うまでもなく新型コロナウイルス感染症の影響で学園祭が開催されること自体がもう大変ないろんな工夫と努力で例年とは違う雰囲気の学園祭になっています。一昨年は、早稲田大学で講演をした後、学習院大学ではしご講演をしまして、同じ大学でもでも学園祭の空気がこんなに違うという面白い貴重な経験をさせていただきましたが、おそらく今年は、キャンパスの中、人が賑わうということにはならない、大変残念なという思いの方の多い学園祭かというふうに思います。

というところから、私の今日の話を始めさせていただきたいと思うんですが、大学生のみなさんも、今年の前半は、授業がない。あってもほぼ100%リモートというような状況だったと思います。なんで今年だけ、なんで自分ばっかりと、思われた方がたくさんいるんじゃないかというふうに思いますが、実は今年このコロナの影響で対面の授業がなかなか行えないという事態は、異常なことだし、それに対してしっかりとケアと対応をしなきゃならないのですが、ちょっと振り返ってみると、例えば大学生活とか、大学のこととか、実は自分の努力だけではどうにもならないというかですね、努力をしてきたのに、その結果が何か報われないみたいなことはですね、実は、時々あるんですね。

あえて言いますが、わずか80年前にはですね、学徒動員というのがあったそうでありまして、みなさんもちゃんと近代日本史勉強した方がいいと思いますが、大学生、理科系の一部以外は大学生全部、勉強しなくていいから戦争に行けというような時代が、わずか80年前にありました。それから、1970年安保と言われたんですが、今は去ること50年前はですね、これも私は知らない世代ですけども、いわゆる学生紛争というのが、大学紛争というのがたくさんあってですね、ある年は、東京大学の入学試験そのものが全部なくなりました。そのとき、東大を目指してらっしゃった方は一年、受験もできずに浪人を覚悟するか、それとも、受験大学入試があった大学に志望校を変更するかというようなことを余儀なくされた学年というのがあります。それから、この早稲田大学も、固有名詞言っていいでしょうか?一部の立憲民主党ファンのみなさんにはご存知の、私に同行してくれる関田くんが早稲田大学の学生だったころは、その学生紛争・大学紛争の余波がまだまだ残っていて、学園祭そのものが1回も行わなかったという時代もあったそうであります。私自身は、そんなにそういったものの影響を受けてないんですが、実は私が東北大学に入学をした昭和58年、1988年時点では、やはり学生紛争・大学紛争の余波で入学式というのが行われなかったというようなことの当事者でもありました。

何が言いたいかというとですね、最近私はいろんなところで言ってるんですが、自助努力や自己責任だといろいろ言ってるけれども、人生の中にはどんなに努力をしても自分の力ではどうにもならないことにぶち当たることが必ずある。今、現役の大学生、特にこの4月に入学をされた大学生の方にとってはとんでもない状況で、せっかく大学に受かって入ったのに、みんなで集まることもできなきゃ、大学学内・キャンパスにくるなという大学もあったりして、ひでえなあと思われている方がたくさんいるんだと思います。確かにひどいことなんです。ひどいことなんですが、人生の中にはそういうことが、ときどき残念ながらあると。問題は、しょうがないね運が悪かったからねという社会の方が暮らしやすいのか、それとも、もちろんどうにもならないことなんで、新型コロナウイルス感染症そのものは、政治がどんなに頑張っても、それこそ医学の研究をされている方、製薬メーカーなどが頑張らない限りはですね、状況が劇的に変化をするということはないわけですけれども、そうしたところの中でも、運が悪かったりしても、それを少しでも穴埋めをするようなことを政治がやらなきゃいけないよね、ということの社会の方がいいのか。多分、実は世界が、この二つの流れの中でせめぎ合っているというかですね、多分、せめぎ合いの結果は、ほぼ出たんだろうなあというふうに思っています。

社会主義の興亡

実は、もう一つ今の同じ話を使って申し上げたいのは、少なくとも政治家、私ども、民主主義の国で選挙で選ばれて政治をつかさどる人間にとってはですね、主義主張とかイデオロギーとかということ以上に、政治家として何をやるか、何をどういう政策を推進するかということについては、実は、主観的な主義主張やイデオロギー以上に大きな要素を持つのは、時代状況だというふうに私は思っています。それこそ、学徒動員が行われた戦前、1940年前後の政治状況と、それから学生紛争・大学紛争の1970年前後と、あるいは、そして今と、時代状況が全然違うわけなので、そのときそのときの政治家がやらなきゃならない課題・命題というのは、実は全然違っているわけで、もちろん政治家にとっては、主義主張というものが大事なわけで、主義主張を放り出してですね、選挙のとくだからと、あっちいったりこっちいったりしている人間はほぼ政治家としては無能としか言いようがないと私は思っていますが、これも大事なんだけど、実はそれと同じぐらい、時代状況に応じて何をやるのか、何が優先順位が高いのか、どういう社会像が求められているのかということは、実は変化をしていて、例えば、今、立憲民主党の掲げている綱領、つまり理念とか、あるいは、政策を、1945年、あるいは、1940年に国会で訴えたら、阿保ちゃうかと言われたはずです。だから、実は政治が考えなきゃならない、あるいは、政治を見ている人たち、当然全ての国民のみなさんが有権者として政治に関わるわけですから、その時にはどうあるべきかと、今の状況が何が求められているのかということの両面を見て、そのバランスを取らなきゃいけないというふうに私は思っています。

という前振りをした上で、じゃあ、今日本はどういう社会状況であるのか、せめぎ合いが決着がついたんじゃないのかというようなことを先ほどちらっと申し上げましたが、残りの時間でそういう話を少しさせていただこうと今日は思うんですけれども。20世紀というのはどういう時代だったのかと言うとですね、ロシア革命というのが起こって、ロシアがソ連、社会主義に、共産主義と言われてますけど、実際に行われた政策は社会主義。そして、その後1946年に、中国が中華人民共和国になって、このいわゆる社会主義と資本主義のせめぎ合いというのが、20世紀のある時期までの世界の政治の選択肢と言うべきなんでしょうか、資本主義をベースにして自由な競争で社会を発展させるという西側と呼ばれていましたが、アメリカとかヨーロッパの主要な西ヨーロッパの国々とかの考え方と、ソ連からはじまって中国などに広がって、おそらく1970年ぐらいが世界史的にはピークだったんだと思いますが、生産手段を政治が持つ行政が持つということで経済をまわしていこう、そのことによって、できるだけ公平平等とされるような社会を作っていこう、これが20世紀のある時期までの20世紀の中心的な政治の選択肢、社会像でありました。

これは、決着がつきました。社会主義は、少なくともソ連型・中国型の社会主義はうまくいかないというのが、1990年のベルリンの壁の崩壊によって結論が出たということです。つまり、理念的・観念的には社会主義ってのは一つの考え方なのかもしれないけれども、例えば、権力は必ず時間が経てば腐敗する、癒着が出て、歪が出て、歪んでいくということを制度的に質していく手法をソ連型社会主義はまったく抱えていなかった。いわゆる独裁的な政治体制にならざるを得ないということの中では、どうしても腐敗とかですね、腐敗による不効率とかですね、そういったものがどんどん膨らんでいって、それを是正する手段を持っていなかった。

私は、そのことが決定的な原因だと思いますけど、結局、米ソの対立では、アメリカが勝った、西側が勝ったというので、ベルリンの壁が崩壊をして、日本では55年体制というのが崩壊をしました。50年体制というのは、どちらかというとソ連や中国に対するシンパシーの強かった社会党と、自由民主党との擬似二大政党的な政治というのが55年体制で、1955年にスタートした。これが1990年ベルリンの壁の崩壊、具体的には、1993年、私が衆議院議員に初めて当選をした選挙ですが、今の大学生は日本新党とか言われても、生まれてない時代の歴史の話になるわけですが、日本新党というですね、新しい党が出てきて、そこが伸びる中で、自民党政権が一旦終わりをつげて、非自民政権ができると。

ついには、その流れのなかで、社会党出身の村山さんが総理大臣になってしまうという、そういう大転換期を経て、今に至っているわけですが、そこからの30年、40年あまり、30年近くの政治というのは、世界史的に見ても、日本の国内で見ても、やはり新たな凌ぎ合い、せめぎ合いがあった。資本主義、民主主義、自由主義は、従来、1990年までの世界の構造で言えば、西側、アメリカとかイギリスとかフランスとか西ドイツとか、そして、日本とか、というような政治体制の方が社会にとってはいいんだという結論が出たわけですけれども、じゃあ、その体制の中でどういう政治を行っていったらいいのかという新しい二つの選択が出てきました。最初のうち強かったのは、ソ連が結局うまくいかなかった、そして中国もそれまでの従来型のソ連型に準じたような社会主義ではうまくいかなった。中国は、そこから改革開放という社会主義の形をかぶったちょっと不思議な政治形態になってるわけですけども。

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新自由主義の台頭

それがだめだったよねというところから、その後の世界というのが動き出したということも大きな背景にあるし、また時代状況的にも、実は1945年、第二次世界大戦が終わってからの西側諸国、ソ連などに対抗するアメリカやイギリスなどを中心とする社会においても、自由競争、資本主義がベースだけど、ソ連が社会主義という大義名分のもとに、社会保障などを充実させていますねと、それをそれである部分ではそれが進んだ部分もあったんですが、西側諸国もそれは取り入れられるものは取り入れていきましょうということをやってきた。ところが、1990年の段階では、1945年から45年ぐらい経っているので、どうもやりすぎとか歪とかというものはそこにも出てきていたという事情と、それからソ連側の社会主義が崩壊をしたという事情と合わせて極端に自由な競争を加速することが社会と経済にとって良いことだという風潮が先進国に共通しました。

このあいだも、合同葬というのが行われた中曽根康弘さんという人が総理大臣をやっている時代に、他の国で言われたかどうかは知りませんが、少なくとも日本では、アメリカではレーガン大統領、イギリスではサッチャー首相、そして、日本では中曽根首相が、要するに、できるだけ自由な競争を加速をさせていくんだと。自由な競争を加速をさせるということは、できるだけ規制は少ないほどいいんだと、規制は少ないほどいいし、できるだけ民間に任せた方がいいんだから政府は小さい方がいい。競争させるということは、実はその当時はあまり言われていませんでしたが、競争に負けた人が出るわけで、でも、競争を大事にするんだから、負けた人は気の毒だけどしょうがないよねと、そういう方向に実は1980年代の後半、アメリカもイギリスも日本も、そっちに大きくふったんですね。

今、みなさんはJRというのを利用することがときどきあると思いますけれども、私が子供のころはこれは、国鉄、日本国有鉄道と呼ばれていた。これ、中曽根さんがが民営化して、分割しました。今、ドコモとかNTTとかと言っているのも、昔は電電公社、日本電信電話公社という国有の存在でした。これも中曽根さんが民営化をして、民営化をした後、分割されたり、ドコモができたり、とこういうプロセスです。ついでに言うと、もう一つ三公社というのがあって、今JTです。日本たばこというのも専売公社と言って、国がたばこを売ってました。というような時代が1990年前後ですが、そっからずっとそっちの方向に進んできたんですね、日本は。小泉さんがその後出てきた。中曽根さんの後、有名な人だと、小泉さんが出てきて、今度は郵便局を民営化しましょうと言ったわけで、実際に民営化したわけですよね。ずっとこちらの流れが日本では圧倒的に強くきました。実はこれ日本だけなんですね。日本は、2009年に、非自民政権ができて、3年3ヶ月、そうではない方向性の模索をしたんですが、あんまりうまくいかなかったという、でしかも、わずか3年3ヶ月で。

新自由主義も終わりを迎えつつある?

違う方向に軌道修正するというようなパワーは、ほとんどこの30年間働いてきませんでした。でも、他の国は違います。アメリカは、レーガンさんの後にクリントンさんという人が大統領を二期8年務めました。それからオバマさんが大統領を二期8年務めました。この2人のアメリカの民主党の政権の時代は、いや競争、競争ってそればっかりやってちゃだめだと、ちゃんと政府が社会の下支えをするような、例えば、アメリカは医療保険制度も十分ではない国です。医療保険制度で、どんな人でも病気になったときに安い値段で病院にかかれるようにしましょうみたいな、単なる競争じゃなくて、競争がうまくいかなかったときでも下支えをする、そういう政策を、この30年間のあいだでも少なくとも16年間、そういう政治をやっています。それから、イギリスでは、ブレアという首相、これはイギリス労働党の首相ですが、この人が政権を取って、この人も、例えば、教育を変わらなきゃいけないと、教育を単なる競争で、親が金持っているからとか、そういうところだけ教育の恩恵を受けるという、こういう社会じゃだめなんだと言って、教育に相当お金をかけるという軌道修正をしました。

日本だけ、これ、2009年からの非自民政権が十分な成果を出せなかった、そのことも理由の一つなので、責任の一端は私にもあるんですが、日本だけ、競争だ、政府は小さいほどいい、規制が少ないほどいい、競争なんだから負ける人が出るけどそれは気の毒ですがしょうがないですね、そういう政治の傾向を、実は30年間、一方づいてやってきた数少ない先進国が日本であるというのは、実は今の日本の状況であります。

決着がついたと思うのは、アメリカでも、そうは言っても、クリントンさんとかオバマさんの軌道修正に対して、ところん自由な競争で、自分の国さえよければいいんだっていうトランプさんが4年前に勝ってしまって、4年間はどちらかというと新自由主義的な極端な路線を走ったけれども、さすがに再選できなかったという状況が、おそらく象徴的な姿になるんだろうと思いますが、競争一辺倒、政府は小さいほどいい、規制は少ないほどいいという、それが正統性を持っていた時代状況・時代背景は、多分15年か20年ぐらい前に終わっていたんだろうと。ソ連が崩壊をして、ソ連型の社会主義というのは、これはもう時代遅れだねと、1990年に決定づいたようにですね、実は競争さえ加速すれば、自己責任だ、小さな政府だ、規制は撤廃だっていう、こういう時代は、15年から20年ぐらい前に終わっていて、ようやく世界でその共通認識を持つことになったと、20年ぐらい先にですね、言われる年に多分2020年というのがなるんではないかと私は思っています。

それはなぜかと言ったら、言うまでもなく、新型コロナウイルス感染症という世界なパンデミックで、いろんなものを、政治も、あるいは、一人一人の人間も、社会も、突きつけられて、競争じゃうまくいかないよねということを、みんな認識せざるを得なくなったんだと思っています。これが一番ひどい状況なのは、途中の軌道修正をほとんどやってこなかった日本だから、世界一医療水準高い国であるはずなのに、病院のベッド数が足りないよっていう騒ぎが起こるわけですよね。今なお世界の中で有数な経済大国であるはずなのにですね、貧困でホームレスが増えているとか、年末に向けて、年越し派遣村って、これもみなさん、小学生や中学生ぐらいですね。もっと前かな。年を越せなくて、食べるものがなくてっていう人が、このままほっておくとおそらく相当な数出てくる状況になってしまっています。

これは、日本は手当をちゃんとこの30年間、どんどん削ってきたから、そういったことに対する支援を、極端なんですけど、先進国みんなどうにも単なる競争だけでは社会が回っていかないということを突きつけられていると思っています。これは、実は、コロナで明確になっただけではなくて、従来から、単なる競争を加速するだけではだめだっていうことは、先進国で出てきていて、トランプさんが4年前に大統領選挙で勝ったのもその一つだし、フランスなどでですね、西ヨーロッパの国々で、移民に対する様々な嫌がらせというかですね、排斥的な運動が、実はこの10年ぐらいのあいだでじわじわと広がってきていました。こうしたことも全部、競争とか、小さな政府だけでは世の中回っていかないよねっていうことを表してきた、示してきた、影の部分が顕在化をして表にてきているんだと私は思って、見てきましたが、いよいよ社会全体に広まって、もういわゆる新自由主義と言われる考え方は時代状況としてあってないなということが、多分、世界的に共通認識になるだろうというのが、今年2020年です。

競争すればよかった時代

少しだけ理論的な背景を説明したいと思うんですが、競争することで経済が発展して、社会がよくなっていくという構造がですね、成功していた時代もありました。日本は、1946年ぐらいから、おそらく1980年から85年ぐらいまでは、それがうまくいっていた。なぜうまくいっていたかというとですね、競争と言って、民間企業にどんどん競争しろとやると、民間企業の経営者は何を考えるかと言うとですね、コストを小さくすることを考えますね。安いコストで同じものを作れば、利益が膨らむ、競争に勝つ。したがって、いかにいいものを安いコストで作るのかということを競争して、その競争に勝つとたくさん売れるわけですよ。同じような品質・性能だったら、値段の安いものの方が大量に売れるんです。大量に売ると大量に儲けることができるんです。大きく儲けようと思ったら、大量生産して大量消費をしてもらわないといけない。大量に売れるためには、値段で競争して、値段の安さで勝たなければいけない。

もちろん値段が高くても品質がいいから売れるというものもあります。でも、それはたくさんは売れません。特に値段が高いけど、その分野に特にお金を注いででもっていう価値を持つ人であったり、あるいは、お金に余裕がある人であったりとかしか、お客さんになりませんから、品質がいいけど値段が高いというものは売れるかもしれない。値段が高いから、利益率は高いかもしれないけれども、大量には売れません。やっぱり大きく稼いで、大きく成長しようと思ったら、価格で競争しなきゃいけません。価格で競争するためには、コストを下げなければいけません。人件費が安い国が圧倒的に優位になります。だから、1946年から1970年80年ぐらいまでの日本はアメリカと比べる人件費が安かったので、どんどんどんどん競争すれば競争するほど、安いコストでたくさんのものを売ってたくさん稼いで、日本全体が経済成長をしていくという、こういうプロセスが成功することができました。

だけど、豊かになってくると、コストを下げるコストを下げると言ったって、こんなに会社儲かっているんだから、給料を上げろって話に絶対なるわけで、会社が儲けてたら、べらぼうに儲けてたら。給料もどんどん上がっていきました。給料どんどん上がっていくあいだは、実は経済成長しません。なぜかというと、輸出だけでは、一本柱になってしまっていて、輸出で伸びる、同時に国内でもものが売れる、こうすることで、先進国は安定的な経済成長をします。この国内の需要、国内で消費できる力、つまり一般の市民の所得も上がっていかないと、国内の消費は増えていきません。そうして、日本の場合は、1945年にいっきに民主化が、外からの力もあって進んだので、例えば、労働組合・労働運動などが一定の力を持って、そんなに儲けているんだったら、俺たちの給料上げろということで戦ったわけです。結果的に、当然じわじわと働いてる人の給料、企業が安いコストで儲けて儲けた分を、一定程度働いてる人の賃金に戻す、給料が上がっていく。給料が上がっていくから、実は企業経営者にとっても幸いなことに、輸出で数を稼いでいたものを、今後は国内の作っている人たちが自分たちの作ってるものを自分たちでも欲しいな、これなら買えるなという話になって、国内でも売れるようになって、もう輸出だけじゃなくて、国内でも商売ができるということでどんどんどんどん成長していきました。

競争によって分断が生まれた

だから、競争が成功に繋がっていったんですが、今はだめです。だって、コスト安いんだったら、日本に工場を作る意味ないもの。世界中にはもっと人件費が安い国が山ほどある。それはアメリカにとってもそうだし、ヨーロッパにとってもそうです。競争だ競争だ、とにかく安いものをたくさん作って稼ぐのは正義なんだという経済政策・社会政策を取ってくると何が起こっていくかと言うと、否応なく工場は海外に出ていくということになっていきます。海外に工場が出て行くと、働く場がなくなって、雇用不安になるから心配だ。国内に残すためには、人件費を安く抑えないと、国内に残って工場を立てても、国内の工場で作ったものは人件費の分だけ値段が高いから、売れない、競争に負けてしまう、こういうジレンマに、1980年ぐらいから日本は陥ってるんですね。

そんな中で、競争、競争と言って、従来の路線にアクセルを踏んできたら何が起こるのかというと、国内ではできるだけ安く人を雇う。人を安く雇えるように、昔は派遣なんてほとんどなかったんけどね、ところが、派遣労働の比率だとか、もっと増やせるように法改正をしてしまって、そうすると、貧困が増えていくと。不安定な働き方が増えると。こういうものになっていて、社会不安がどんどんどんどん広がっていった。

それで経済成長が本当にできるのかっていうのは、最後のところで言いますが、実は日本以外の国は、例えば、西ヨーロッパのかなりの国とか、特にアメリカは、日本はほとんど海外からの労働者を受け入れてこなかったけれども、アメリカはもともと移民で成り立っている国ですから、ある程度経済成長した後も、海外から安い労働力として移民をどんどん受け入れることによって、実は安い労働力でそれなりの競争ができた。ヨーロッパの国々は、例えば、フランスは、アフリカなどに植民地をたくさん持ってました。実はアメリカやイギリスやスペインだけじゃなくて、フランスも帝国主義で、植民地たくさん持つという政策を持ってて、そこの関係が深かったから、そういう国からたくさん移民が来ました。それが安い労働力となって、実は日本よりも、そこの部分では優位性がある時期まであったんだけど、でも、結局は一緒です。国内に競争の結果勝つ人と、競争の結果、安い賃金で不安定で低所得に追いやられる人と、社会が分断をされるという状況は、移民という形で顕在化をしたフランスと、それからもともと移民国家だが、ネイティブなのかアフリカ系なのかそれとも南米系のかなというところで、国内的には分断を産んだアメリカか、日本国内の場合は、従来の日本人の中で社会的な分断を産んでしまった。

でも、これだと、例えば、パンデミックみたいなところではうまくいかないなというのが今年世界中で突きつけられてきたし、ヨーロッパの国々は、移民に対しての移民の排斥、移民以外の長くそこに住んでいる人からすれば、安い労働力だから工場で働く人たちは、移民の人たちが仕事をうばっていく。俺たちの仕事取ったじゃないか。違うんです。元々住んでる人たちの生活水準を維持しようと思ったら、その工場の賃金では、その生活を維持できないから、だからあなたたちがその仕事をしたかったから、こっちの仕事はもっと安く働いてくれる移民の人たちが取ってたんでしょというのが実態なんだけど、自分たちの仕事が取られたという意識なので、社会は分断が起こってきて、社会の不安定さが出てきていると、こういう状況になっています。

諸外国は競争以外の選択肢を模索しはじめている

ということの中で、競争一辺倒じゃだめだと、実は日本以外はだいたい気づきました。日本とアメリカ以外は、だいたい気づきました。OECDって、日本語では、経済協力開発機構という経済分野では世界的な権威ですよね。OECDがレポートを出しているんです。格差の拡大は経済成長にマイナスである。ああそうかと、みんな気づかざるを得なくなって、社会の分断を是正していく方向に、ヨーロッパは、かなり明確に舵をきりました。

理屈だけちょっと簡潔に説明すると、結局大量生産でやって値段が安いといって世界に勝てるという話は、先進国は勝てないですよ。みんな勝てないんですよ。だって、人件費が安い国、山ほどまだあるんですから。東南アジアや南アジアから、南米から、東ヨーロッパから、アフリカから。もう実は先進国は安いものをたくさん作って売るなんていう商売・ビジネスモデルはとっくに辞めてるんです。日本もそうです。日本は、大量生産で稼いでる分野ほとんどありません。ほとんどは、研究開発であるとか、あるいは、日本の企業が日本の資本で海外に工場を作って、その上前をはねるとか。それから、大量生産に至らないというところ、こういうところで輸出は稼ぐんです。実は、こういう分野でもそこそこ稼げているんです。

実は日本の経済成長率って、バブルはじけた平成4年ぐらいからずっと1%程度の成長で、ずっと低成長なんです。みなさん、「悪夢の時代」とかと言ってね、ある時期をやたらディスる総理大臣がこのあいだまでいたんですね、勘違いしてる人がたくさんいるので、政治家の言うことは嘘が多いですから、ちゃんと自分でデータを見た方がいいですからね。経済成長の通信簿って、一番客観的な数字は何かって言ったら、やっぱりGDPなんですよ、国内総生産なんですよ。その国の国内で生み出した富、そのトータルが国内総生産なんで、それが大きくなるか小さくなるかで、まさに経済が成長するか小さくなっていくかっていうのは、最終的な通信簿は、GDPなんですよ。GDPも、しかも、実はやっぱり実質経済成長率なんですよ。名目っていうのは、例えば、1000%のインフレになったりすれば、名目経済成長率は、自動的に上がるんですから、インフレになれば。それはやっぱり本当の経済の実質を表していない、実質経済成長率を見なきゃいけない。この実質経済成長率は、安倍政権の7年8ヶ月よりも、非自民政権だった2009年からの3年3ヶ月の方が高いですから。

みんな騙されてますからね。株価に引っ張られて。もはや株価って報道する価値ほとんどないということになってます。株持っている人にしか関係ない。昔は、株価は経済の先行指数です。西の空が夕焼けになれば明日は晴れるとか、そういう話といっしょで、株価が上がれば、それに遅れて経済も良くなっていく。株に投資している人は、景気が良くなりそうだなと株買うわけで、理屈から言えば。株価がよくなり景気がよくなりそうだから、この会社儲かる、これから儲かっていくと思うから、株価買うわけです。という理屈から言えば今もそうなんですが、今は政府が買っちゃってるので、株価維持のために、全然先行指数として意味がありません。株をやっている人たちが株価見て、株価上がって景気いいんだとかって勘違いをさせる材料にしかなっていないというふうに私は思っています。

非自民政権の時代に景気がよかっということを言うつもりはありません。ずっと1%程度の成長なんです。ただし、輸出は4%ぐらい成長しています。ていうことは、輸出のせいじゃないんですね。1%しか成長してないのは。それ以外が悪いからなんですね。輸出は、やっぱり先進国みんな、そういう最先端の部分、途上国や人件費が安い国ではやれない分野のところで、そこそこ稼いでます。それは、アメリカも日本も西ヨーロッパの国々もだいたい同じなんです、同じようにやってるんですね。ところがですね、日本だけ全体としての経済成長率は、先進国の中で低いんです。なぜかと言ったら、日本だけ一本調子で競争政策をやってきたからです。国内でものを売らないと、経済は発展しないというのが、OECDのレポートのベースでもあるし、経済の理屈であるということです。

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日本も、昔の成功体験にすがってはならない、新しい選択肢を探すべき

実は、発展途上国の中には、ある段階までは発展をしてきたんだけど、そこから壁にぶち当たって、その壁を抜けられないっていう国がいくつもあるんです。あるいは、その壁を抜けるのに結構時間とエネルギーを要したっていう国が少なからずあります。なぜそういうことが起こるのかと言うと、実は、輸出がまずのびていくんだけど、ある程度輸出で自分たちがのびたときには、もっと貧しい他の国が追いかけてくるんです必ず。そうすると、それまでは値段が安いことで世界にばんばん売って稼げた国も、もっと貧しい国が追い上げてくるころには苦しくなてくるんです。で、苦しくなってきたときに、今度は輸出だけじゃなくて国内のお客さんにも売れるようになる、国内市場もマーケットになる。ということに成功すると、途上国から中進国を抜けて先進国になるんです。

日本は、これを奇跡的に短時間で成功させたんです。さっき言った通り、労働組合などが頑張ったし、戦後改革で労働組合などに対する労働者の権利を厚く認めたりすることがあったりして、そして、人手不足っていうのがあったと思います。高度経済成長期には、やはり日本の企業は、働く人が足りないということがあって、働く人を大事に抱え込まないと人手不足というのが昭和40年代とか50年代前半ぐらいまであったので、だから賃金上げてきました。上げてったので、国内でお客さんが生まれてきた、一億人も市場があるんだから。輸出で稼げる分野はどんどんどんどん狭くなるけれども、そこは付加価値の高い分野で、最先端の分野で一定程度稼ぐ、そして、国内のマーケットに対して売ることで経済を回していく。これを日本は世界の先進国の中でも奇跡的に一番短時間で成功したのが、昭和40年代から50年代の日本なんですね。それができないと、国が壁にぶつかって、国内の混乱が起こったんですよ。

結局、そこなんですよ。どうしても、成長してきたプロセスは、輸出で稼いで動いてきたので、それでのばすんだって、みんな過去の成功体験に縛られているんですが、今も縛られているんですよ、菅さんも安倍さんも竹中さんも、あの時代だったからうまくいったんで、今は、国内で一定程度経済成長しないと、日本経済の6割は国内ですからね、輸出って15%ぐらいですからね、経済全体はなかなか成長しないんですよ。それなのに、格差を拡大したら、貧困を増やしたら、国内のもの売れないです。だって、年収100万の人は100万しか買い物できないですから、年収200万の人は200万しか買い物できないですから。という、状況が、実は日本では深刻化をしている中で、このパンデミックが起こっているという状況です。

ヨーロッパの先進国は、かなりの部分がシフトをして、国内の格差を縮小しようと。簡単じゃないですよ、金がない中で格差を縮小すると、経済はまわっていかないし、社会はまわっていかないから、段階的にやっていかないといけないんですが、どういう段階でやっていくのか。日本の場合は非常にわかりやすいです。これまで金をかけてなくて、非常に格差が顕著に出ている分野には、金を注ぎやすいです。一番は医療です。このコロナでみんな日本て世界一の医療水準だったはずなのに、このパンデミックで、アメリカやヨーロッパの国々と比べて患者の比率少ないわけですよ、それなのに病院パンクするのは何事なのって。病院増やしましょうと。お年寄りも介護施設なくて困っていますよね。介護施設増やしましょうと。それから、保育所たりなくて困っていましょね。保育所増やしましょうと。実は、今後、保育所だけではだめで、小学校一年生になったときの壁あって、学童保育や放課後児童クラブ足りないでしょって話でしょ。

そして、みなさんが当事者の教育ですよ。どうなんだろ?今大学生は。私が認識する限り、直感的に、やむなく奨学金を借りている人が半分近くではないかというのが、今いろんなデータなどから判断する実態だと思いますが、これ当たり前じゃないですからね。みんさんの世代にとっては当たり前なんですけど、40年近く前は、たしかに奨学金をもらって苦学している学生もいました。いましたが、あの子は奨学金をかりて進学している苦労している頑張ってるんだけ、彼は彼女は、というのが、目立ちました。ちなみに、私の大学の同級生で、このあいだまで法務大臣をやっていた森まさこさんは彼女はそういった意味では当時珍しい苦学生でした。目立つんですよ。特別だったんです。ついでに言うと、アルバイトしているっていう人は、ごく一部の例外を除いたら、学費や生活費のためにやっている人はほとんどいませんでした。政治家とか役所の上の方の人は、自分が学生時代だったころのイメージが残っているので、今の学生さんたちの実態をまったくわかってないと思った方がいいです。奨学金を借りている、親の金だけでは進学するのは大変だという人の方が、下手すると多数派だという状況がほとんど見えていない、これではですね、日本の教育がよくなるはずがありません。

だいたい教育を語る政治家は教育の中身を語るんですよ。教育の中身を語る政治家は信用しちゃいけません。ごく例外的に、学校の先生の出身とか、大学で専門的に教育学を学んだという人ごく一部いますよ。教育の現場の実態や、教育学の基本的な知識もないなかで、みんな教育を受けたことはあるからみんな能書きをたれられるんです。みんな教育の中身に口を出そうとするんですが、政治がやることは、教育に口を出すことではありません。一人当たりにかける教育予算の額を今よりもせめて3倍、できれば10倍ぐらいにしても、先進国の平均値です。中身に口出す、教育のわかってない政治家に教育に口を出させるのをやめさせて、とにかく金出せよと。あとは現場の当事者がみんな考える、大学の先生なんて、早稲田大学の先生は早稲田大学の学生から将来りっぱな大人が出てきてくれた方が、嬉しいと思って教えてるし、小学校や中学校の先生も自分の教子の中から将来行政を背負って立つ人が現れてくれたら嬉しいと思ってみんなやってんですから、あとは現場に任せて、政治家は余計なことに口を出さず、金だけ出しましょうということで、私の講演はこれで終わりに致します。

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*今回、講演を主催していただいたのは「早稲田大学政友会」です。



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