シェア
転勤族の一家に生まれて、あちらこちらで「よそから来た子」をくり返しているうちに、自分にはふるさとと呼べる場所がないことが判明した。ある学校で「ふるさとについて知ろう」と教わったことが、次の学校では誰も知らない、知っていたってしょうがない、無価値な情報になり下がるのも、新しい学校ではみんなが知っていることを、ひとりで覚えていかなくてはいけないのも、とても嫌だった。 どこの方言も身に付かないまま、なんとなく標準語らしき日本語で子ども時代を過ごして、そろそろ進路のこともあるか