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自分を豊かに

「自分の世界ってこんなに小さかったんだ。」

これは、それまで群馬の田舎で育ってきた私が、東京での大学4年間でつくづく感じたことである。初めての一人暮らし、アルバイト、海外、就活、様々な人達との関わり。良いことも悪いことも経験する中で、自分の「当たり前」が壊され、価値観や考えが大きく揺らいだ。正直、最初はそのような自分の価値観を壊される経験に戸惑い、ネガティブに捉えていた。

しかしそんなある時、「新しい価値観を受け入れること=ワクワク」と捉えられるようになるきっかけが訪れた。それは去年行ったエジプトでの経験である。

未知なる地、エジプトへ

エジプトは私にとって3度目の海外旅行であった。なぜエジプト?と思う人もいるかもしれないが、友人の知り合いがたまたまエジプトで働いていて、一緒に行かせてもらったのだ。これまでの人生の中で圧倒的に印象的な旅となったが、ここでは想像と現実のギャップのあったものを書き出したいと思う。

①エジプト人は人懐っこい   エジプト人の多くを占めるのはイスラム教徒とキリスト教徒からなるアラブ人である。敬虔なイスラム教徒が多いと聞いて、少し身構える日本人は多いのではないだろうか。事実私もそうであった。しかし現実は真反対で、超がつくほどの親日国。街を歩いていると「コンニチハ〜」と話しかけられ、ピラミッド周辺に行った時は遠足中の小学生に囲まれ何枚も一緒に写真を撮った。エジプト人はおしゃべり好きで、人と関わることが大好きなのだ。ちなみにエジプトではほとんどの人に英語が伝わる。

②店員と客の壁がない   これは主に喧騒の都市カイロから離れたルクソールという都市に言った時に感じたことである。まず印象に残ったのはエジプト版ケンタッキーの店員である。注文をするとなぜか準備している間に踊りだし、カウンターを越えて一緒に踊ろうと言ってきたのである。さらに印象に残ったのがホテルマン。私たちが日本人だと分かるとカウンターを通る度に嬉しそうに話しかけ、日本語を書き出すのである。ここでも、エジプト人の人懐っこさが垣間見られた。どちらも、日本では見られない光景である。

③物売りと値切り   物売りは多い、と聞いていたが、観光名所と呼ばれる場所は思っていた以上に多く、しかもしつこかった。対応していたらキリがないと気づき無視の作戦に。少し心が痛んだが彼らにとってはそれが日常茶飯事なのだ。もう1つエジプトに根付いているのが値切りの文化。タクシーや市場など、常に相手は高い値段を設定してくる。そこでお互いが納得する金額に持ち込むのは至難の業だった。現地で働く日本人曰く、彼らは観光客=金持ちだと考えていて、お金を持っているひとは貧しい人(自分たち)に多く払うのが普通だと考えているらしい。

もちろん全ての人がここに書いたようであるとは言いきれない。しかし国民性だけでもこんなに違うエジプトに日本人2人で身を置いてみて、改めて考えさせられることがたくさんあった。それまで韓国とフランスにも行ったことはあったが、ここまで現地の人と自然と触れ合う機会はなく、新鮮だった。もっともっと異文化の人達と関わり、自分の中の世界を広げたいと思ったのである。

異文化理解とは

「異文化理解」-この言葉はグローバル化が進んだ現代の中でよく耳にする言葉である。この言葉の定義をしらべると『複数の「文化」の概念を前提にして、自分のそれ(=文化)とは「異なる文化=異文化」を、理解したり、解釈したりしようとする努力のこと』と出てくる。(出典:http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/020511kyose.html)

では異文化理解の意義とは改めてなんだろうか?『異文化理解入門』(原沢伊都夫/研究社/2017)によると、私たちが「異文化理解」を学ぶ理由には次の3つが挙げられるという。

①世界における多様化という潮流   通信手段が飛躍的に発達している情報社会において、自国の価値観だけで生きるということは、世界で孤立することを意味する。現代に生きる私たちには、どんな面においても世界に通用する多様性を身につけることが不可欠である。

②自国における多様化という潮流   世界には多くの異なる人種が存在し、多様な社会を構成している。単一的な国家の日本でさえ、外国人居住者数や外国人留学生は増え(下記グラフ参照)、多文化共生は現実的な姿として捉えられるようになった。もはや外国人との共生なくして、私たちの生活を語ることは難しくなっている。

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(↑法務省「平成30年末現在における在留外国人数について」より)

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(↑https://education-career.jp/magazine/data-report/2019/numbers-foreign-student/  より)

③人間的成長の機会   異文化を受け入れることは、偏った見方を改めて、私たちを新しい世界へと導いてくれる。多様な価値観を認めることで、物事に対する多角的なアプローチが可能となり、多くの困難を乗り越える知恵や能力が備わることになる。

①と②はこれから社会に出るにあたり、避けては通れない、かつ、ビジネスに活用していくべき潮流である。③で書かれている人間的成長とは、私の目指す将来像である。

身近な異文化理解=他者理解

異文化理解と聞いてまず頭に浮かぶのは、海外に足を踏み入れることであるが、実は日本にいながらできることもある。

例えば大学内での授業やサークルで留学生と触れ合う機会を持ったことはないだろうか。今や英語や第2外国語の授業にネイティブの先生がいることも珍しくないはずだ。東京に住んでいる人ならば、入った店の店員が外国人だったり、道の途中で外国人に話しかけられたりすることも多いのではないだろうか。

また、外国人という国際的な他者でなくとも、異文化を持つ他者だと認識できることがある。例えばパソコンもスマホもなかった時代を生きてきた80歳の高齢者から見れば、SNSを駆使する17歳の女子高生は異文化を持つ他者と呼べるのではないか。東北で育った人から見れば、東京の大学で出会った友達も異文化を持つ他者として目に映るのではないか。

そう考え始めたら、この世は広い意味で異文化だらけである。つまり異文化理解とは、私たちが日常を生きていく中でも必要不可欠な行為なのだ。しかし理解とはいっても全てを共感し共有することは困難である。他者理解とは無理に他者を理解しようとせず、他者との差異を認め、その事実を受け入れることだと思う。

(参考:『大学生のための異文化・国際理解』(高城玲/丸善出版/2017)

わたしにできること

話を初めに戻そう。私にとってワクワクとは新たな価値観を受容し、自分を豊かにすることである。そのために今からできることとして、身近な他者理解も含めて、本やインターネットで色々な人の考えを知りたい。社会人になれば多くの同期や先輩に囲まれ、その中には違った考えや価値観を持った人も多くいるだろう。しかし自分とは違った見方ができる人は貴重であり、だからこそそんな仲間を大切にしていきたい。そして自分の中の新たな世界を広げ、周りの人に良い影響を与えられる人になりたい。