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日記 2023/1/28

衝動的だった。
あまりにも衝動的に私は浜寺公園という公園に行きたいと思った。

午前11時、二度寝からしばらく時間が経ち空腹感に朝食(?)を食べるよう促され、身体を起こした時、何の前触れも無くただただ浜寺公園に行きたいと思った。

浜寺公園とは大阪府堺市にある大きな公園で、松の木が沢山生えている、薔薇園や交通遊園地(ゴーカートなどで遊べる)、園内を小型の汽車(遊園地などによくある汽車を模した物に跨る様なのではなく、ちゃんと乗り込める汽車)が走っていたり、と中々楽しいアクティビティが数多くある公園だ。

だが、私はそれらのアクティビティへの興味はほぼほぼ無かった。
この公園は私が幼稚園児かそれより前の頃、今は亡き母方の祖父に連れられてよく行った公園の一つだった。
当時は私も祖父も大阪市内に住んでいたので、この公園は遠く、わざわざ来る事自体はそこまで多くはなかったものの、たまにチンチン電車に乗って終着駅である浜寺駅前駅に祖父に連れられて行った事は今でも確かに記憶に残されている。

私は特におじいちゃんっ子だった。
父方の祖母が幼稚園に迎えに来た時は泣き喚いて文句を言ったそうだ。
幼少期の記憶は実家より祖父の家に泊まっていた時の記憶の方が濃い。
洗濯ばさみを組み合わせて作った謎のオブジェクトや手作りの迷路を見せてそれを解いてもらったりして遊んでもらったり、今はもう無きフェスティバルゲートに連れて行ってもらって怪獣のソフビを買ってもらったり、近所の公園や神社に行ったり、仮面ライダーBLACKの悪魔峠の怪人館やウルトラマングレートやエースの録画されてる特定の回だけ擦り切れるほど何度も観たり、祖父の手作りのちりめんじゃこ入り焼き飯を食べたり…

祖父との思い出は話し出すとキリが無い。
上に挙げた思い出はほんの一部だ。
他にも祖父の自転車の後ろに乗せてもらって遠い公園まで行ったり、一緒に風呂に入って身体を洗うのを完全に祖父に任せたり、夜、布団をくっつけて手を繋ぎながら寝て「一緒に死のね」と約束したりとまだまだ沢山あるのだがこの辺にしておく。

とにかく私は祖父が大好きだった。
祖父も私の事が何人かいる孫の中で…いや人生で一番好きになったのが私だと言ってくれた。
それは晩年のガンに身体を蝕まれ、肺炎を患った病床で告げられた言葉だった。
祖父は元気な人だった、野球チームの監督をしたりしていた人でとても若々しくて、おそらく祖父母の中で一番長生きするだろうと思っていた。
しかし、結果として祖父母の中で一番早くに亡くなった。
今思えばビールもよく飲むし、肉や揚げ物もよく食べるし、野菜は食わず嫌いするしでそりゃガンになってもおかしくはないなと思うのだが、あんなに元気だった祖父が肺炎で心底苦しそうに死んでいったのがとてもショックだった。
むしろ元気で体力が人より有ったせいでポックリ逝けなかったのかもしれない。
祖父が苦しみながら死んでいく中、親族はみんな祖父に声をかけて沢山の想いを伝えていた。
私は人生で一番好きだと言ってくれた祖父にたった一言だけ「僕も」と言うだけでよかった。
だが、言えなかった。
そのたった一言が言えないほど当時の自分は内気な人間だった。
たった一言、自分も祖父と同じ気持ちである事を伝えられないまま祖父は息を引き取った。
あんなに苦しんでいたのが嘘のように静かになった祖父の側で「ちゃんと伝えれば良かった」と泣いた事は昨日の事のように後悔が残っている。
これがきっかけで私は「やらずに後悔するより、やって後悔した方がいい」という当たり前の事を学び、性格がかなり変わって今に至る。

話が逸れに逸れ倒してしまった。
…と、言うぐらい浜寺公園は思い出深い公園なのだ。祖父が亡くなってから、と言うより幼少期に祖父と来て以来、おそらく一回も訪れてなかったので久々に行けて良かった。

我孫子道駅での乗り換えの際に撮った写真
幼少期、奥の滑り台で延々と滑ってました。
あと、手前のターザンロープも私の幼少期では全然使って大丈夫だったんですけど、もう使えないみたいですね。悲しい。
松の木ばっかりの公園です。
芝生のスペースがあまりにも広大なのでテントとかを設営してピクニックやBBQをしてる人が結構いました。
ここから汽車に乗ると交通遊園に歩かずに行けます。
近くを流れる河。海が近い。
この日はポカポカしていて散歩日和でした。
松が風除けになってるのか風もあまり強くなくて過ごしやすい。
寒いけど思い出の味をどうしても食べたくて購入。
何の思い出も無いけど与謝野晶子の歌碑があったので
撮ってごぼうさんに送りつけました。

久々に来たら思い出と同じような…違うような…?って感じで色々と楽しかったです。
色々忘れてた事も思い出せたので来てよかった。

書いてて思い出したんですけど祖父が亡くなったのって確かこれぐらいの季節だったんですよね。

だから行きたくなったのかな。
とまあ私の2023年1月28日はこんな感じでしたけど貴様は?

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