地域おこし協力隊になったいきさつ

※これは4年前の記事を転載したものです。

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ぼくはいま和歌山県の新宮市熊野川町というところに暮らしている。25歳のときに移住して、もうすぐ3年になる。「どうしてここに移住したんですか?」ってよく聞かれるんだけど、そのたびに返答に困る。僕の場合とくに「ここが好き」とも思ってなかったし今でもよその地域に移住したいなあ、なんてことをしばしば考えたりもする。
どこでもよかった。生きるハードルが低くて、自給農で暮らしていける場所にいきたかった。
「田舎は生きるハードルが低い」という考え方は同じ京大出身のphaさんの著書で非常に共感した。この著書で紹介されていたのが現在僕が暮らす熊野川町である。実は、僕はこの場所を学生の時に一度訪れたことがあった。その時の知人を頼りに、もう一度熊野の土地に行ってみた。すると、驚くことに行ったその日に家賃が5000円の家をあてがってもらった。田舎暮らしをするにあたって、いろいろな地域を見てまわるお金の余裕もなく、「とりあえずここで」という気持ちだったと思う。それから一ヶ月もしないうちに荷物をまとめて熊野に移住した。ぼくは「ご縁」とか目に見えない力に導かれる感覚というものを信じていて、「行き当たりばっちり」が座右の銘なんだけど今回もそれを感じたから何も迷うことはなく移住を軽やかに決断した。
ちなみにどうして自給農を目指しているかというと、ぼくはずっと、生きることに罪悪感を感じて生きてきた。僕が何かを買うにつけても、どこかへ移動するにしても、食べても飲んでも排泄しても、環境破壊や途上国からの搾取といったことから無縁ではいられなかった。生きているだけで誰かを傷つけている感覚があった。僕が生きる世界、バビロンシステム。こんなクソみたいな世界から脱したかった。その入り口が、自給農というわけである。お金をなるべく使わない生活を理想とした。22歳の時に恩人から譲り受けた著書がある。「ぼくはお金を使わずに生きることにした」ぼくの理想はこれだと思った。いや、正確に言うと100%の理想ではない。彼は夜な夜なスーパーのゴミ箱をあさり、「バビロンの残りカス」を主食にしていたから。ぼくはバビロンシステムと縁を切りたかった。だから、田舎で自給農。誰も傷つけず未来から搾取せず、自分が生きててもいいと肯定したかった。正論は極論から導かれる。
しかし、田舎に暮らしてみると自給農なんかでは全く生きていけなかった。ひとりならまだしも、僕は家族を養う身である。移住当時、息子は4ヶ月の乳飲み子。僕はあらゆる面から現実的に考えて「自給農生活でなるべくお金を使わないことが健康的で豊かな暮らしだ」と考えていたんだけど、お金がなければ市街地まで買い物に行くガソリンも買えないし車の維持すらできない。自然と外出する回数も減り家に篭る。その家たるや雨漏りがひどくカビ臭く床は抜け落ち風呂は朽ちている。こんな環境で子育てなんてできないと訴える妻に「気合が足りない」と突き放す。僕は世間一般では「夢追い人(かっこわらい)」に分類される存在なんだとその時は気づいてもいなかった。みるみるうちに貯金は底を尽き、夫婦喧嘩は絶えず、何度も離婚話をした。しかし辛抱強く妻は耐えた。息苦しい家庭内で僕は失敗と反省を繰り返し、ようやく、ある程度のお金がなければ家庭は維持できないということを身を以て知った。
ぼくはこれまでの人生でやりたいことしかやってこなかった。「いま、やりたいこと」は自給農。でもそれじゃあ家族は養えない。「家族を養える範囲」でいちばんやりたいことを探す。これが僕にとっては本当に難しい作業だった。そして仮に「やりたいこと」が見つかったところで資金がない。安いアルバイトをしていたけどそのほとんどが生活費に消えていき、どうすることもできず森家の船は暗い底なし沼に沈みこんでいった。
そんなときに熊野川町で「地域おこし協力隊」の募集がかかった。地域おこし協力隊とはざっくり言うと、3年間給料をあげるから田舎で暮らして地域に貢献したり、事業を立ち上げたりしていずれはそこに定着してねという、言うなれば「若者向けの移住支援制度」である。
給料や活動に使えるお金は総務省によって定義されているんだけど、活動の内容は自治体に任せてある。熊野川町では「起業」がテーマであった。僕はここに一筋の光明を見た。この制度を使えばぼくのやりたいことが実現できる!!
しかし、地域おこし協力隊への応募条件は「都市圏に住民票があること」。すでに熊野川町に住んで一年経っていた僕はもちろん住民票は熊野川町に移してしまっていた。しかし、この一年でほとんど目立った行為をしていなかったことも幸いし、しれっと京都時代の家に住民票だけ戻し、さも京都から応募しましたと言わんばかりにエントリーシートを作成した。
実はこれには裏話があって、当時の行政職員の◯石さんの計らいでこのように話を進めていただいた。◯石さんは◯石さんでちゃんと総務省に連絡し「募集しても全然応募がないから」と今回の特別措置を認めてくれるよう頼み込んでくれたということだった。だから違反ではない。たぶん。そういう流れで、晴れて僕は熊野川町の地域おこし協力隊に就任した。

「安定は希望です」というどこかの政党のキャッチコピーがやけに目に付く日々を送った。

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