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たいわ


2021年が終わろうとしている。

新型コロナウイルスの世界的パンデミックにより、生活様式の変化を求められ始めてから約2年…長くもあり、短くもあり、なんだか不思議な時間を生きてきた感覚だ ずっとパラレルワールドの中にいるような浮遊感が私の中にはある もうひとつの並行社会で、マスクなんてせずに、呑気に笑いながら、好きなひとたちとやんやし合っている そんな光景が時々脳裏を過ぎる


コロナウイルスが蔓延したことにより、様々な事象が顕在化した それは、社会的にも、個人的にも そして、ネガティブなものも、ポジティブなものも、どちらに於いてもだ きっとこの記事を読んでくれているあなたにも何かしら心当たりはあるはず


このブログのタイトルを「身体」と「話」で「たいわ」と読ませた これは完全に当て字だが、コロナウイルスの影響で、自分自身の身体と、家族の身体と、友人や恋人の身体と、はたまた、見ず知らずの人の身体を、心配したり、思いやったり、どうしても気になったり、向き合ってみたり、したと思うのだ 今までだってそうやって考えてきたかもしれない しかし、このパンデミックの影響で、今までよりもっと深く考えた人は少なくないはずだ そして、落ち込んだりもしたはずだ


私は人間の身体と向き合う仕事を生業にしている いわゆる、エッセンシャルワーカーと呼ばれるお仕事 だから、という訳でもないが、きっと、ちょっと、人より人の身体のこと、考えていたし、向き合っていたとも思う(そもそも、介護や医療に従事する人々をエッセンシャルワーカーと呼ぶようになったのは、コロナ禍以降だろうか?この肩書きに当事者としても若干の違和感を覚えることは記しておく この違和感とエッセンシャルワーカーとしての葛藤などはまた改めて記事にしたい)

自粛、自粛と注意喚起され、否応にも人々は家にいた/いることしかできなかった 蓄積されるストレスの行き場は限られ、家庭内暴力や虐待などの痛ましいニュースは私の心も苦しめた 職を失い、やりたいことも見つからない 見つけるための行動すら制限される 自己嫌悪に陥り、自己否定感で圧迫され続けた心は時に思わぬ形で破裂してしまう 自己に矢印が向き続けた結果、その矢はやわらかい心に静かに穴を開けていく、傷をつけていく 心は案外もの静かなので、自分の心の痛みにさえ気付かないことは多く、放置しがちだ サイレントキラーと呼ばれる疾患がいくつかあるが、精神疾患もそのひとつなのではないか、そう思うことが時々ある 特に、弱音を吐くことが罪とされ、寡黙に休まず努力する人だけを称賛するこの国の風土も相まって、日本人は特に罹患しやすいように感じやすい 事実、日本の自殺者数は毎年上位にあり、世界的にみて幸福度も最低レベルである 「やさしい人から順に壊れてしまう」そんな光景を目の当たりにすることもあった 自己に向き続けた矢が、ときに衝動的に、何の前触れもなく放たれ、自死に追い込まれてしまう 先の見えない絶望感、拭いきれない孤独感、これはおそらく常に人間の心に潜在していて、突然その闇が心を侵蝕し始める これといった原因やきっかけなど無くとも、漠然とした不安感がより分厚くなったコロナ禍 目の前を霞ませる霧はなかなか晴れない この国の政治家に期待もしてみたけれど、無駄だったこともたくさんあった(もちろん例外もあり、生活に寄り添ってくれる議員さんがたくさんいることも知った しかし、そういった人たちがことごとく今回の衆議院選で落選しており、ひどく落ち込んだ)今まで学習をないがしろにしてきた自分のせいなのか?と自分を責めたてる日もあったが、様々な場所で、様々な人々のコエを聞いてみると、もっと教育のあり方を見直すべきだ、という意見が大多数あり、そうか。と、以前のように自分だけを責めたてることは少なくなった・・・話は逸れてしまったけれど、自分自身に向き続けた矢印が時に方向転換するケースも多く見られた 大きな事件にならずとも、身近な誰かに八つ当たりしてしまうことが増えたのではないだろうか きっと、ほんの些細なことから、大きな加害につながってしまうことは少なくないのだと思う 放たれた矢は、時として操縦不能となってしまう 


話は戻るが、このブログのタイトルを「身体話(たいわ)」と名付けた 心と身体は繋がっているとよく言われるし、実際に私もそう思っている 医学的根拠もある場合が多い しかし、私は、心と身体が、時としてあまりにかけ離れた場所にあるような感覚に陥ることがある
それは、心が目に見えないことのせいもあるし、自分自身の身体と向き合うことをかなりないがしろにしてきたせいだと、このコロナウイルスに気付かされた 今まで散々ネガティブなことを書き連ねたが、これが唯一(と言っても過言ではない)、私の中で顕在化されたポジティブな事象である

自らの身体に語りかける 耳をすまし、傾ける そうすることで気付いた自分の弱さや、痛み  身体話(たいわ)することで、不調にいち早く気付くことができるようになった 過去の私が見逃し続けてきた未病の数々を掬いあげ、抱きしめる 未病の段階で解決できれば医者知らず 100%めっちゃ元気!じゃなくても、はやめに健やかさを取り戻せたら、それで良いのだと思う

まだまだ未熟者もいいところだが、この術をできる限り多くの人に伝えたい そう強く思ったコロナ禍 これから第六波の到来を危惧する専門家の方々も多い 負けないための身体話(たいわ)を続けていきたい


PS

「抱き締めろ命は短い」過去の日記帳に書き留めていた言葉を突然思い出し、なんとなく検索 忘れていた自分にも驚くが、だいすきな「孤独のあかつき」という唄の一節であった 改めて歌詞を見直すと、この記事で伝えたかったことの全てがこの唄にあり慄く 私が言いたかったことは、こういうことなのでした 

自己の痛みを紛らわすことなく、押し殺さず、挫けても立ち上がれ だって、君は美しいのだから 



#健康 #予防医学 #対話 #身体話 #たいわ #コロナウイルス #孤独のあかつき #日記

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