推しを通して己を知る。①
少し前、私は沼底で窒息死しかけた。
キムナムジュン沼で死にかけた。
約1年前、ナムジュンに沼入りした瞬間からリアコ脳発動し、数週間は食事が喉を通らず痩せた。
リアコダイエット最高!な気分だった。
ナムジュンを好きな自分が大好きで、ナムジュンに感謝する毎日。
それはそれは楽しい毎日。
ナムジュンはマメ男。インスタを使って色々と共有してくれる。好きな男が頼んでもないのに色々共有してくる。リアコ脳の私は簡単に距離感をバグらせた。
頭では世界的大スターだと分かっている。
…いやいや、わかっている風で全然わかっていなかったんだと思う。
会ったこともないし、一生会えない可能性の方が高い人。国籍も年齢も…諸々非現実的な推しをごく身近な存在と勘違い、思い込み、希望的観測…そういう系思考の総動員。
ここで「執着」の話。
執着…
一つのことに心をとらわれて、そこから離れられないこと。
推しに執着をしたら苦しいだけ。
執着は良くない。
執着は手放さなければいけない。
執着ということば自体になんとなくネガティブなイメージがあるからそう言われるとそんな気がする。
"執着は良くないもの"
そこから私の思考は発展する。
推しに執着をしている私はダメな人間。推しを手放せない私は未成熟でみっともない。
———私はナムジュンを推してる自分が嫌い。
ナムジュンを好きな自分が好きだったはずが真逆になってしまった。
本来の自分はもっと明るかったはずなのに、どんどんネガティブになっている。
ナムペン、楽しくない。
(②に続く)
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