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お遍路は人生だ!


7月11日の朝、神戸は夏空が広がり、風が強く吹いていた。僕はバイクにまたがり、一路徳島市を目指していた。リュックにはノートパソコン、本、着替えに巻き煙草、そして巡礼地図。お遍路には決まったルートがあることは知っていたけれど、事前にあまり調べることはしなかった。そもそも、僕はガイドマップみたり、事前に調べたりすることは好きじゃないんだね。若いときからそうだった。「インドはだいたい東のほうでしょ」とかね。アバウトに分かれば、とにかく行けばいいんだ。調べすぎるとロクなことはない。縛られるだけだ。「よっしゃ、やったるでー」明石海峡大橋は強い横風が吹いていた。バイクに風は大敵だ。まるで行く手を阻むかのようだった。荷物は重い。横風にふわっと持っていかれそうになる。ハンドルを握り締めていないと転倒しかねない。〝お前、この強風でもお遍路するんか。死ぬかもしれんぞ、わかっとるか〟風神様に試されているようだった。僕も本気で祈ったね。〝お遍路やらせてください。頼みます〟と。ようやく風がおさまったのは、徳島市内に入ってからだった。まさに、最初から試練のスタートだった。


といっても、実は、最初は、お遍路をする予定ではなかったんだね。当初予定していたのは、スペインにあるサンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の道カミーノを歩くことだった。カミーノは、スコットランド人として、そして一応クリスチャンとして、一生に一度は歩かないと駄目だと思っていたし、人生の区切りにふさわしい。日本でも、シャーリーマクレーンやパウロ・コエーリョの本などで知っている人も多いだろう。54歳の誕生日が近づいてきていた。50歳を過ぎた頃から、人生の残りの時間について考えるようになっていた。この年齢で、一度今までの人生を眺めわたし、1サイクル完成させたいという思いが強くなってきていた。言っておくけれど、何かの記念とか思い出に浸るということとは、まったく違う。これからを生きていくための使命を果たしておきたかったのだ。日本でも「人生五十年」と言う。サラリーマンなら定年が見え始める年齢だ。会社に入って30年、一見順調な人生に見えたって、自分自身の決まりきった思考に行き詰まりを感じていない人はいないはずだ。たとえバリバリ出世していたとしてもね。別にこれは特別な問題じゃない。自分のこと、健康のこと、夫婦のこと、いよいよ直面しなくちゃいけない課題が見えてくるということ。逃げていたって始まらない。


カミーノに行きたい理由は、有名だからというだけではなかった。僕がここ数年調べ続けてきた「テンプル騎士団」が、カミーノを完成させたという説があるからだ。テンプル騎士団は『ダ・ヴィンチコード』にも出てくるから、名前くらいは知っている読者もいるだろう。十字軍に端を発する騎士修道会であり、全ヨーロッパに支部を張りめぐらせた巨大金融結社でもある。

12世紀頃、サンチャゴ・デ・コンポステーラに向かう巡礼者のために、宿泊施設をくまなく設置し、食事の世話もし、ルートを整備したのがテンプル騎士団だったのだ。当時、この道を歩くために、旅人は1か月分の金貨銀貨を持って歩かねばならなかった。当然、追剥にも狙われるし、第一重すぎる。そこでテンプル騎士団はきわめて合理的なシステムを編み出した。それがテンプル騎士団発行の預金ノートだ。巡礼をしている間は、旅人は宿泊所や食堂で使った額をノートに記入するだけでいい。あとは、目的地で精算すればよかった。まさにクレジットカードの原型だ。ちなみに、テンプル騎士団は銀行の原型も作り上げていた。

当時、各国の王は戦費の調達に頭を悩ませていた。戦地に遠征するのに、莫大な金を持ち歩くわけに行かない。その悩みを解決するのに手を貸したのが、テンプル騎士団の支部ネットワークだった。騎士団の各国の支部は独特な円形の建物で、屈強な戦士が入口をガードしていた。王たちは自分の国の支部に財貨を預けたのだ。そこで小切手を発行してもらえば、あとはどの国でも金が引き出せる仕組みだった。


修道会として清貧を重んじ、スピリチュアルでありながら、巨大な金融システムを利用して巡礼者のために力を尽くしたテンプル騎士団。そのなかで脈々と巡礼者が歩き続けてきたカミーノ。どうしても行きたい……行かなくちゃ駄目だーと心の中で叫んだ。

ところが、この道は全行程800キロ。歩き通すには少なくとも一ヶ月はかかる。


「ああー、そんなに仕事休めん……。どうしたものか」僕は迷っていた。何回かに分けて歩くのは、もっと大変なことになる。でも行きたい。誕生日まであと2ヶ月足らずの5月になっても、僕はまだ決めかねていた。その時だ。オフィスのベランダでふと閃いた。


「ん? そういえば、日本にも何か巡礼の道があったな……88ヶ所歩くとか……」

 調べるとすぐにわかった。「おへんろ」というのか……どういう意味じゃ? 巡礼という日本語は知っていたが、お遍路は知らなかったのだ。


「あれ、四国ならすぐ近くじゃないの。これ行けるやないか、よし行く。決めた!」

 僕の頭の中には、お遍路する自分にカミーノを歩くイメージがダブって浮かんでいた。距離や場所は関係ないのだ。目的地が違っても、歩くことと祈ることはどこでも同じ。それに、僕はいまヨーロッパで生活していない。祖国スコットランドよりも長い時間、日本で過ごしている。それだけ日本にはお世話になっているのだ。


キリスト教徒とか仏教徒とか関係ない。僕はそもそも旅人だった。歩きながら人生を振り返ることが最も大切なのだ。そう考えれば、四国お遍路は全世界の巡礼をするのと同じになる。つまり、お遍路が重層的な意味を持ち、フラクタルになるということだね。そうと決まったら、僕は早い。誕生日の7月9日に、「お遍路やるぞー」とブログで宣言した。絶対にやらざるを得ない状況を作ったのだ。言挙げですね。こうしないと人間は言い訳しちゃうからね。これから何か始める人も、秘密にしないほうがいいですね。宣言すること、誓うこと。退路を断つということ。これが人の力をどれだけ引き出すかということだ。




お遍路は徳島から始まる。市内にバイクを駐車し、3泊4日歩いて戻ってくる予定だった。毎月一回、同じようにバイクで目的地近くまで行ってはお遍路し、終えたところでバイクの場所まで戻って帰るというやり方で、88ヶ所回ることに決めていた。歩き遍路の場合は、こうして4日間くらいで区切りながら、回るのが一般的だ。一番寺、霊山寺までは歩いていくつもりだった。詳しい場所は確認しなかった。日本のことだから、お遍路さんのために、「お遍路の方、こちら←」みたいなでかい標識があるだろうと思い込んでいた。だって、日本はそういうところ親切じゃない?で、最初から道に迷った。標識なんか一切ないのだ。これは象徴的なことだった。インドもアフリカもたった一人で旅してきた僕が、徳島市内でなんでいきなり迷うか? これには参った。でも仕方ない。地図を広げてみると、市内からずっと外れたところに霊山寺はあった。こうなったら歩きながら訊くしかない。〝一番寺はどこですか?〟 みんな親切に教えてくれるんだけど、道が超ややこしい。結局、辿り着くまで1時間近くかかってしまった。要するに、自分のやり方が通用しなかったんだね。旅のプロだと自認していて、油断したのだ。


この「迷うということ」は、最後まで一貫した試練になった。お遍路のコース自体、実に複雑で、注意深く地図を見ないと迷子になる。進んでいるつもりが、戻っていることもある。自分がいま立っている場所、方角、お遍路道を示す小さな赤い標識。気楽に思い込んで第一歩を踏み出すと、えらいことになってしまうのだ。39番札所に向かって歩いていたときのこと。すっきりした快晴で、冷たい朝の風が気持ちよかった。向こうからお遍路さんが歩いてくる。歩き遍路の方だ。すれちがって、しばらくするとまたお遍路さんがこちらに向かってくる。〝ああ、この人たちは逆周りしているんだな〟。そう思い込んだが、実は逆回りしているのは自分だった。もう歩き始めてから1時間も経っていた。〝ああ、時分はなんて馬鹿!〟。僕は天を仰いで、大慌てで戻る羽目になった。不注意は、エネルギーも時間も浪費させるね、まったくの話。自分の周りに何が起きているか、それを注意深く観察するとき何が起きて、観察できていないとき何が起きるのか。よく観察することは、人生の大きな課題だと思うんだね。

あらかじめ決められたコースと、そこから外れること。不注意でなくても、僕はそもそも、決められたコースを、その通り歩くことが好きじゃないんだね。すぐにコースアウトしたくなる癖がある。でも、お遍路は決められたルートを歩かざるを得ない。他の人も、なぜか違う道を行きたくなるらしい。で、迷う。完璧に迷子になるね。そのとき初めて、外れたくなる自分に気づくわけだ。自分のやり方を押し通し、人の言うことを聞かない頑固な自分に、まともに直面させられる。正しい道を行くのが一番早い道なのにね。


でも、迷うのは僕だけじゃない。実は、大詰めにの88番を経て1番に行くときのことだった。ある30歳の男性と一緒に出発した。彼はかなりの健脚だった。まるで競歩のように歩く。さすが若いね。平均時速6キロだというから、ついて行けない。こういうときは互いのペースを尊重する。お遍路は競争じゃないからね。僕は、先に行ってもらうことにした。

僕が、夕方になって1番寺に到着したとき、彼はとっくに着いているはずだった。ところが、ついさっき到着下ばかりだと言う。

「どうしたの? 何かあった?」「3回も迷った。もう参ったですよ」

「どうしたの? どこで迷った?」「女体山の下りで……」彼はため息をついた。確かに女体山の道は草ぼうぼうで、ほとんど誰も歩かない道。標高770メートルの山道には岩場もあって結構大変だ。下りる道はもっときつい。

「下っては間違いに気づき、登りなおしてまた迷い、結局3回迷ったです」まあ、あそこなら迷っても仕方ない、女体山だもの。最後に女の身体に登るんや、30歳なら迷うのは当たり前やね。人生これからということじゃ。



という自分も、お遍路道で何度も迷子になって、地図を上にしたり斜めにしたり、ホント苦労した。何度もルートを見失った。あまりに何回も迷うと、自分の馬鹿さ加減に腹が立ってくる。思わず天に向かって吼えたね。

「もういい加減にせんかー! このアホたれが! いつまで迷えば気が済むんじゃ!」日焼けしたガイジンの奇行蛮行に、農作業している人もビックリしてたね。もっと驚いてたのは、お遍路始めたばかりの「ピカピカのお遍路さん」グループだったけれど、構うもんかという気分だった。すっかり頭に血が上っていた。僕は、新人お遍路さんたちに、〝これから大変なことになるよー。楽しいのは今のうちじゃー〟と胸のなかで毒づいていた。


まあ、最後の頃になって、ようやく農家の人に道を尋ねられるようになった。そして、そのたびに、〝訊いておいてよかったぁ。思い込みで歩き続けてたら、どないなってたやろ〟と心から安堵したものだ。こうした気づきは、自分の身体で学ぶしかない。自分の癖を発見していくということだ。癖は良し悪しの問題ではない。自分の思考パターンの囚われだ。その癖が、現実を呼び寄せる。僕の場合なら、メインロードから脇道に逸れたくなる。決まった道を行きたくないんだ。で、迷う。道という言葉には、言霊があるでしょ。ホント、人生の問題が詰まってますよ、四国のお遍路は。




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